全てを手に入れたとして… | 1泊2日無人島気分

1泊2日無人島気分

もし、1泊2日で無人島に行ったら、日常のことや音楽のことなんかを、こんな感じで、ひとり思い巡らすんじゃないか…というブログです。

最近改めて、スガシカオさんの「約束」はカッコいい曲だなぁ、と思った。

で、その歌詞の中に、「望んだことや欲しいものが全部手に入ったとしても、それが幸せだろうか?」…みたいな内容のフレーズがある。


それで、以前誰かが言ってたことを、ふと思い出した。

「欲しいものを全部手に入れた人が幸せになるため、最後に手に入れなければならないものが“楽観性”だ」

…俺は、この言葉をこういうふうに解釈している。


「欲しいものを全部手に入れる」という野心を持って、それを実現した人がいたとして、そういう人が楽観的な正確な場合は極めて少ない。

だから、欲しいものを全部手に入れても、精神的に楽観的な部分を獲得しなければ、「手に入れたものを全部失う日が来るんじゃないか」と怯えてしまい、幸せに暮らせない、ということ。

ところが、この楽観性を手に入れることは、内面的な問題で、性格を変えることに近いから、獲得するのはそうそう簡単じゃない。


じゃあ、最初から楽観的な人が欲しいものを全部手に入れたらベストじゃないだろうか?…

確かにそうだが、これは成立しない場合がほとんど。だって楽観的なら、欲しいものを全部手に入れること自体に執着がないし、そもそも欲しいものを全部手に入れることに幸せを見出さないだろう。

「人生はうまくいかないものだ」という類の言葉は、こういう場合にも出てくるんだろうけど、人間はみんな同じ価値観ではなく、人それぞれ違う価値観で幸せを見出すようになっているのは、こういうことを感覚的に知ってるからじゃないだろうか、と思うんだ。


俺はこのことを身を持って実感できる。

以前このブログに書いたが、俺には持病があって、食事制限をし続けなければならない(それについて詳しいことを知らない方は、こちらの記事をどうぞ)。そういう状態の俺は、おいしいものを食べることが生きがいの人にとっては、すごく不幸なヤツに見えるだろう。現に、面と向かって「不幸ですね」と言われることも時々ある。

しかし、もしここで俺がその人と同じように「おいしいものを食べることが生きがいだ」という価値観に傾いてしまったら、不幸に見えるヤツでなく、ホントに不幸なヤツになって「人生はうまくいかないものだ」と悲観してしまうだろう。だから、そういう価値観にはすり寄らず、何か違うことに幸せを見出そうと、自然としてしまうものなんだよね。


そういう面からだけで判断すれば、人間はちゃんとプラスマイナスゼロになるようにできてるのかもしれないな。