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あなたのハートに火をつけます! 
生きる力を身につけて人生をカラフルに!
 保育をカラーでよりグローバルに魅力的に!

 

今日は、ふといつもの熱苦しい感情が生まれてきた。

 

世間が、いろいろコロナでたまった怒りをいろんな方法で暴動やらなにやら。

でぶつける様子を見ながら、ふと自分の人生を振り返った。

 

タイトルにもあるように、私は、ずいぶん長い間、

井の中の蛙として 日本の田舎町に住んで、日本の田舎町で育って、

日本の田舎町で保育士として働いて。

 

安全で安心な線路の上をひたすら歩いていた。

 

地方の短大、地方の保育士、地方で結婚???までいけば、もう完全に

シナリオ通りだった。(母の・・・・・)

 

 

だけど、理由があり、オーストラリアに飛び出した。


ダウンダウンダウン過去記事からどうぞ


あなたは人生の何ページ目を歩いていますか?



 

実は、それまでも、

海外には、ずっと目を向けていて、何度か、チャンスをうかがっていた。

 

中学では、英語の成績のみトップ、

高校は、英語の進学校を選び、

何とか、親に認めてもらおうと必死だった。

 

日本では高校までは、

基本的にアルバイトが認められない

特に進学校は、ダメだ。

 

だから、バイトで、

留学資金をためることすら許されず、

 

結局

お金がない。

だから、結果としてチャンスがない。。。

 

 

ないなら、そこに力を注がない。

 

という選択をした。


0か100かグレーがない究極の性格のため。

 

高校でも英語トップから、最下位まで落ちた。

 

 

その頃の私には、白か黒かしかなかった。

 

そして、ゴールが自分で描けないものに対して、

無駄に夢を見ることもない。

 

だって悔しいでしょ。

自分でどうすることもできない事柄に向かって

イライラするのは。

 

だから、最下位、

勉強はしない

 

興味がない。

 

大学に行くための勉強は、興味がないのだ。

 

それで、親にも先生にも


「やればできるのに何でやらない。」


と聞かれるが、

 

答えは、一つ。


やる意味がないから。

今は。。。。やりたくない。

 


高校を出てから、

ほとんどのクラスメイトは優秀で、

大学で海外に行ったり、留学したり、

NGO活動をしたりしていた。


 

めちゃくちゃうらやましかった。

 


わたしは、保育の道を選んだ、

凄く楽しかった。


だけど、めちゃくちゃ忙しかった。


実習や勉強が意外と盛り沢山、


朝から夕方まで

学んでた気がする



自分で稼いだ、お金があったら、

世界中旅していたかな?

 

同窓会では、

 

「えー海外どこにも行ったことないんや。。。」

 

って若干馬鹿にされ。。。笑笑

 

ま、笑って

 

「そうやでー」

 

と、答えていたけど、腹の中では、

 

「自分のお金で行ったのか??」


なんて、疑問もあり。。。捻くれてる


しかも、保育士になったら今度は時間がなかった。



やめない限り長期の休みが取れない。

 



 

そんな 同級生も今は、何の仕事をして、

どんな生き方をしてるかは知らんけど。

また、同窓会であったら、何してんの?

て聞いてみよう。


 

高校でバイトと学校が両立OKなら、バイトしながら、ガンガン勉強したかも。。。


ま、知らんけど。


(オーストラリアでは、保育士としてバイトしてる子もいる。そんな制度を作ってみたいなー)

 


さておき、


 

私は、ハッピー個育的には、

がつっとゆるっとの性格なので、

ゴールは高く、

面白がってやり切るエネルギーは人一倍。


ハッピー個育の情報はこちらかや


 

過去を


「IF」


で語るのは、あまり好きではないけど、

もし、早くに日本を飛び出す機会があって、海外を経験していたら、どんな人生だったかな?

なんて思う。


 

今は、海外に住んだおかげで

 

外から日本を見たり、

 

英語が話せるようになったことで、

海外のニュースも一気に自分の心でしっかり読めるようになり、

無駄に誰かが訳した日本の新聞や雑誌は読まなくてもよくなった。


 

だから、ものすごく、世界が広がったのだ。

 


私は、井の中の蛙だった。

 

温かいぬるま湯につかって、

同じ髪の色、同じ目の色、同じ言語を話す

人に囲まれて、実は結局、なんでも与えられて

ぜいたくな暮らしをしていた。

 

そんな苦労しないで

ご飯も食べられたし、

家族もいて、

教育だって受けられた。



 


15年の間、現地の人と仕事したり、生活する中で

やっぱりいろんな現実を目の当たりにして、

実際に生活したりして、

なんでもやってもらえないもどかしさや、

理不尽を感じたりする事もある

 

でもそれは、本当はよく考えたら、

生きる力がなくて、考える能力も低下した、

いつも与えられてきた過保護な蛙、

人生を振り返って、甘えてたなって振り返る

 

これからの子ども達は、

 

井の中の蛙じゃいけない

 

安全な井はもうないかもしれない。

 


 

ま、知らんけどね。

 


そんな子ども達にするには、

与えすぎることをやめて考える時間を


手をかけず、見守って、

 

注意したり

先回りしたり

安全圏のみパトロールしたり


 

そういうのは、もう時代遅れかも。

 

 

最終的に、私は、親にホントに感謝している。

 

必要なものだけ与えてもらった。

 

 

 

なぜそれが欲しいかを究極に考える力と


無闇に与えられずハングリー精神が身についた

 

人と違う道を行く勇気や

 

みんなが持ってるからって


ホントに必要なものじゃないことも知った

 

そんなものはもう、要らない

 

Only Oneで生きる力を