いつもブログを覗いて下さりありがとうございます。


保育力を生かしてグローバルに活躍する幼児教育者を新しい道に導く幼児教育コンシェルジュ岸田ひとみです。


 
年末に向けて、さらに忙しさに加速し、のんびりもしていられないな笑い泣きと思いながら、年末の旅行を計画してみたりして、現実逃避をしています照れ


この間のお話会で、鬱についてのお話とともに、
死について考えるというテーマがありました。


普段は、つらつら書けるブログですが、この事をブログに書こうとし、何だか筆が進まず、今日になってしまいました。


私は、今まで、同じ屋根の下に住んだ家族の死を二度経験しました。


一回目は、祖母、小さい時から、共働きの両親。
私のお守りは、年老いた祖母と、花王映画劇場でした。物作りや絵や字が書くのが好きだった私は、いつも広告の裏に何か書き、おばあちゃんにはなまるを付けてもらうのが何よりも嬉しかった。
今だにどこか古臭い言い回しをしたり、お相撲好きや、お寺好きもきっとおばあちゃんの影響なんだろうなと思います。



二回目は、父。
この時期は、いろいろな事が重なり、強烈に自分の人生に影響を与えました。
元気が取り柄だった父の癌がみつかった日、私は、部屋に籠り、必死にネットでその内容を調べ回りました。余命5年、確率 20パーセント。
幸い、家族はあまりネットを使いこなせず、私の胸にだけ収めておきました。




その後、頑張ろう、きっと大丈夫だよという顔をして、父や家族に接する自分。頭の整理がつかず、どこか、後ろめたい様なそんな複雑な気持ちになりながら、日々を過ごしていました。



父はというと、病棟での生活、抗がん剤治療が始まったものの全く弱音を吐かず、今まで通りとても元気に見えました。


 さらに、退院後から彼の様子に確実に変化が見られました。ギリギリ戦後生まれの頑固な父。自分が1番で、仕事と自分。なかなか、家族とゆっくり過ごす毎日なんて夢の様な世界、いわゆる昭和的な父親でした。


でもね。辛い事を経験したからか、死と向き合ったからなのか私たち家族に優しくなり、家族で出かける時間が増えました。姉は、すでに結婚し、子どもにも早くから恵まれたため、孫を自転車の後ろに乗せて、近所の公園を

「うちの孫かわいいやろ〜爆笑

と転々とする姿。
昔からは、想像できない素敵なおじいちゃん像。

おかげで姉の子ども達は、父が亡くなった今でも、武勇伝を話す様におじいちゃんってすごかった話をしてくれますおねがい


言葉に語弊があるかもしれませんが、私は、この時、死と向き合う事の素晴らしさを実感しました。真剣に考える時間が無ければ、いつでも、明日が来るって思うから、きっといい加減に過ぎていく。
でも、彼にはそういうチャンスを与えられたから、こうして、孫や家族とたわいもない時間を有意義に過ごす大切さを実感する事が出来てる。

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ふと
「お父さん、幸せやな〜。」

って私が言うと、


「ホンマやな〜。」

とぼそり。
そんな毎日が過ぎて行きました。


父は、生前から、定年退職して、時間ができたら、お母さんと旅行するんやって言っていました。余命の話、した方がいいかな?そんな想いもありながら、前向きに頑張る家族にネットの情報を伝える勇気はありませんでした。


よく母は、
「人間はオギャーと生まれたら必ず死ぬ。
一人で生まれてきて、一人で死んでいく。
だから、与えられた時間を一生懸命生きるしかないんや。」


と言っていたのが、今でも私の心の根底にあります。


私は、父が癌と向き合い始めたその日から、自分の人生と真正面から向き合う様になりました。


ワーキングホリデーで、オーストラリアに行き、地元の保育園で絶対に働く、英語を必ず取得するプンプンって固く誓ったのもこの時からです。
また、今でも、明日死んでも後悔がない様に精一杯やりたい事を遣り抜く爆笑



死を考える事で、そこから逃げだすんではなく生かされている時間をどの様にして生きるかを考える。


だからこそ、迷ったり、立ち止まったりする事もありますが、この気持ちは、私の人生を支える私の強みだなって思います。



色んな意味で、私のストーリーは、まだまだ、目次あたりを行ったり来たりしています。

これからも、失敗をくりかえしながらも、熱く、長い私にしか作れないストーリーを楽しんで過ごして行きたいです。



そして、また、新たに私の人生に新しい命を授けて下さった事に深く感謝いたします照れ


3児の母への道、新しいプロローグの始まりです。


長々とブログを読んでいただきありがとうございます。