クンダリニーの上昇とは詳しくはここでは省きますが・・・

自分が宇宙と一体化する体験(ワンネス体験)で、一瞬、悟りの状態になる体験です。


あ。悟った!

と、思った時点でもう悟りではないのですが…


悟ると、世界の全てが自分であるかのように感じ、そのように生きるようになるそうです。

それが聖者と呼ばれる人たち。



瞑想をする目的は、悟りを開くため。

悟りとは、ワンネス体験(自分が一切消えて無くなり宇宙と一体化する体験)。


そして最終的には、モークシャとか涅槃とか解脱と言って、

もう二度と生まれ変わらない状態になることが瞑想の最終ゴール。


悟ると「私が無くなる」のですが、そのことを「自由」とか「解放」といいます。

(私がある状態はエゴなので、私とあなたの区別が無くなる状態=自由、解放)



自由とか解放は、藤井風さんがよく歌のテーマにしています。



そこに辿り着いた人はブッダやキリストのように「聖人」と呼ばれ歴史に名を刻むわけですが…。


凡人である私たちが、ちょっとやそっと瞑想をしても悟りに至ることはありません。


瞑想は最低1日3時間の訓練が必要で、

6時間以上できるようになってはじめて瞑想状態(ディアナ)になれるそうです。


なので私が行う瞑想はまだダーラナという「集中」の状態。

マインドフル瞑想などもここまで。


瞑想状態に至らなくても瞑想をするのは、心を浄化するためです。



心を浄化するというのは、潜在意識のゴミ「サンスカーラ」を綺麗にするということ。


サンスカーラは、大きく分けると3つあります。

潜在記憶、煩悩、前世で犯したカルマの種の3つです。


水の表面に浮かび上がった油汚れのように、

瞑想をすると、潜在記憶や煩悩が「雑念」として浮かび上がってくるのです。


そのまま浮かんだことを追わなければ、だんだんサンスカーラは薄まって消えて行き浄化されます。


だから、瞑想中に、雑念は湧いて来た方が良いのです。


それだけ汚れが浮き上がって来たということなので、

浮かんだ雑念はそれ以上追わずに、どんどん捨てて行けば良いのです。



しかし「前世の犯したカルマは」無くなりません。

必ずやって来るので、解消しなければなりません。


瞑想をしない状態よりは、薄まった状態で起こるとされていて、

瞑想をすることで、解消すべきカルマが早くやって来るのだそうです…


だから瞑想するならその覚悟が必要なのです。

そして、解消すべきカルマがやって来た時は、執着せず、許したり、受け流すことが大事なのだそうです。


つまり、瞑想が進んでいくと、良くないことが起こるわけですが、

でもそれは、前世からの解消すべきカルマであり(前世で自分がしでかしたこの後始末)、

遅かれ早かれやってくることなのです。


だったら、瞑想をして悪いカルマを少しでも薄めて、

さっさと前世からのカルマにやって来てもらって、解消して早く心を浄化してしまおう。


というのが瞑想する意味です。


解消しないと、来世に持ち越しになります・・・


なので、瞑想をして心の浄化をしつつ、

日々の生活では、「良いカルマ」を積むようにして生きる。



そうすれば、来世生まれ変わった時に、

とても良い条件で生まれて来るのかもしれません。



例えば、生まれて間もなく、何かの才能に恵まれて花開く人っていますよね?

お金持ちの家に生まれて、美人で頭も性格も良い人とか…


あるいは、世界的なピアニストになれるような人は、

2才でもうピアノが弾けたりね…


それはもしかしたら前世でピアニストになりたくてものすごく努力したのに、

若くして亡くなった人なのかもしれません。


だから、また生まれ変わったら今度はピアノで成功したい…

みたいなカルマを持って生まれて来たのかも。


と言うことで、なんともスピリチュアルな話をしましたが、

インド哲学でも、西洋哲学の開祖プラトンのイディア論でも…

同じようなことを言っています。


信じるか信じないかは、あなた次第ですが。笑

なかたさいこさんのメルマガを転載