家系図って作ったことありますか?

母方の大叔母 祖父の妹
貢さん

「けーこちゃんが小学校に就学するまで
文字を教えないでほしい」と言った

貢さんのこと

わたしからの主観ですお話します


貢さんを「みーちゃん」って呼びますね

みーちゃんは2人の兄の下に生まれた女の子

上の兄は女系家族に生まれた久しぶりのの男の子
とても過保護に育てられました

次の兄は優秀でみんなから好かれました

母親は村一番の美人でした。
彼女は駆け落ちをして引き戻された悔しい経験から
女の子も職を持たねばという強い思いのもと育てられ
みーちゃんは師範学校へ進みました

師範学校を卒業して
地元の小学校の先生を5年間務めました

その頃は貧富の差が大きい時代でしたので
お弁当を持たず登校してくる生徒もいました

そんな子を見つけて3年間お弁当をこっそり届けたみーちゃん。
陰徳を積んでたのかしら~

渡し舟を使って川を渡って学校に勤務していたんですって

驚きです!今は立派な橋が架かって自動車が走ってます。


渡し舟で川を渡ると生徒が数人集っていて一緒に歩いて登校するという人気者。

教師生活をエンジョイしてたのですね。

兄さんたちは何していたの~

上の兄は農学校(いまでいう茨城大学)卒業して
仲間たちが官公庁などに就職していく中

母親が手元におきたくて農家を継がされました。

体が弱くあまり労働できなくて
ごろごろ寝てばかり・・・

でも農学校を出たということで
お嫁さんをもらえました。

女の子が生まれました!

みーちゃんが名前を考えて
当時ハイカラだと思う名をつけました。

ごろごろ兄貴にお嫁さんが愛想をつかして
女の子を置いて戻ってしまいました。

うーん家族関係良くないな~
義理のお姉さんとは仲良くしたい!

次兄は工業学校を出て川崎に就職していました。
親孝行で両親を旅行に連れて行ったり
姪にランドセルを買ったり
とてもやさしい次兄・・・
婚約者もとっても良い方で本当の姉のように
付き合っていたのに
結婚前に次兄は当時不治の病 脊椎カリエスで
他界してしまいました。

がんばって生きているのにどうして
不幸がやってくるんだろう?
切ないな~

みーちゃんはそう感じました。