ヨガのレッスンの前と後に唱えるマントラは幾つかありますが

その中の1つに、「プールナマダ」というマントラがあります。


“オーム オーム オーム


プールナマダ プールナミダン

プールナート プールナムダッチャー

プールナシャ プール ナマーダーヤー

プールナメーヴァー ヴァシシャテー


オーム シャンティ シャンティ シャンティヒー”


日本語に訳すと


「あれが完全に満ちています

これが完全に満ちています。

完全に満ちたものは、完全に満ちたものから現れます

完全に満ちたものが、完全に満ちたものから取り除かれようとも

完全に満ちたものだけが残ります

わたしと、周囲(家族)と、世界が平和でありますように」


あれとかこれって言うのは、宇宙を創り出した

有るとも無いとも分からない偉大な何なのこと。

(それを神と言ったり、空と言ったり、大いなる存在と言ったりします)


私たちは完璧な大いなる存在の一部であり、同じものなので

最初から満ちている存在だという意味です。


けれども、私たちの「脳」は不完全なので、

エゴに振り回されて幻想に惑わされて、満たされていないと誤解してしまうのです。



自分の人としての生き方について、常に自分に問いかけていますか


こういう生活をしていて良いのだろうか?

仕事はこれで良いのだろうか?

愛を体現しているのか?



問い続けるのをやめた人は、魂を捨てたも同然となります…

肉体だけでなく、魂にも糧が必要なのです。


魂の糧、

太古の時代なら、それは神へ祈ることだったかもしれません。


現代なら、本を読んだり、芸術に感動したり、勉強をすることで、

人間の価値とは何か、愛とは何か、真実とはなにか、人生とは何かを問い続けることが魂の糧。


肉体がごはんを食べたいと思うのと同じなのです。



一番大切なことは「自由」であるかどうか。

野生動物は、自由を追い求めて生きています。


人間も「自由」を追い求めて生きることが必要なのです。


私は本当に自由なのだろうか?

という問いを掛け続けることが大事なのです。


真の自由とは、好き勝手をすることではありません。


あらゆる執着から解放されることが真の自由です。


自由であるためにお金を稼がなくては…

と思った時点で、もうお金の奴隷になっています。


裏を返せば、お金が無いと不自由だ!

という信念を持っていることになります。


資格をとったら稼がなくてはならない…と言うのも同じこと。


学びたくて学んだならそれは、魂の糧になっているはず。


稼ぎたいなら、お金と時間を使って勉強するよりも

パートに行くほうが早いかもしれません。


本当は魂が学びを枯渇していたから学びたいと思ったのだと思います。

満たされていることを思い出すために学びたいと渇望したのかもしれません。


魂の渇望を物質世界との整合性を取るために、

勉強することを「仕事にするための自己投資だ」と思い込ませているのかもしれません。


物質(お金)への執着があると、そのような思考回路になります…


肉体に食事という糧が必要なように、魂にも糧が必要なのです。


素直に、学びたいから学んだ。

それで良いはずなのにね。


例えば、人の役に立ちたいと思う人は、

何の勉強をしても、学び終わったら人の役に立てるための行動をします。


できるようになろうと練習をしたり、

必要性を発信して必要な人に届けようとしたり。


それは、「役に立ちたい」というエゴがそうさせます。


今のままがいい、

努力したくない、


というエゴよりも、役に立ちたいエゴが勝つから、

役に立てるための行動をしてしまうのです・・・


どっちもエゴです。

どっちが良い悪いはありません。


ただ、魂が枯渇してしまうと、心が病みます。

心が病むと肉体が病みます。


魂は、満ちている状態を思い出したいのです。

だから学びたいと思うのです。


心を満たしたいなら好きな映画を観たり

エステに行ったり、サウナに行ったりすれば良いのですが、


魂を満たすためには自分が何者なのかを思い出さないとなりません


つまり、自分は完璧で何もかけていないことに

心から気づくための学びです。



何が起きても、どうなろうとも、

いつも「満ちている」と気づくために。

なかたさいこさんのメルマガを連載
 


今日のテーマ

「自己受容の先にあるもの」


マズローの欲求段階説はみなさんご存じだと思います。

1.生理的欲求

2.安全欲求

3.愛と所属の欲求

4.承認欲求

5.自己実現欲求


自己受容というのは、自分で自分を認めて受け入れる

ということなので、4の承認欲求になります。


だから、承認欲求が満たされたら次は自己実現欲求になるのですが


マズローは5段階説の研究を行い、

1969年にトランスパーソナル心理学会を設立しましたが

研究は未完のまま、翌年の1970年に心臓発作で亡くなります。


なので、5段階説は未完なのです。


マズローは、

「自分に適したことを行なっていないとそれ以外のどんな欲求が満たされていたも充足できず、満たされない」


と述べていますが、


「自己実現の欲求」よりさらに高次な欲求「自己超越 Self-transcendence) 」があるとも述べています。



しかし、自己啓発や経営セミナーなどでは、

この6段階説よりも5段階欲求説のほうが圧倒的に活用されています。


物質主義の世の中では、その方が受け入れられやすいからです。


しかし、自己実現をしても、人間はまだ欠乏感から解放されないのです。


この考え方は「インド哲学」がルーツです。

(トランスパーソナル心理学は神智学やニューエイジ思想の影響を受けている)


自己実現を果たした人の中には、自我を超越して

他者を幸せにしたい、社会、世界をよりよいものにしたいという

自己超越欲求を持つ段階にいたる人がいると述べています。



そして、自己実現の段階に至った人すべてがそうなるのではなく、

自己超越の段階にいたるのは人口の2%にすぎないということです


でもこれは物質主義の時代の「成功者」の話だと思います。


物質主義から精神主義へ移行して行く今の時代は、

「自己実現」に対する考え方も変わってきていると思うからです。


好きなこと、やりたいことができる状況は、

マズローが生きていた時代より今はずっと簡単です。


場所を持たなくてもオンラインで仕事ができたり、

印刷しなくてもPDFで書類が渡せたり、

コンピュータ1台買うのも大変だった時代から今はスマホ1つでなんでもでき、

高いお金を払って広告を出さなくてもSNSで誰でも発信ができる時代。


自己実現のスピードが昔より早くなり、

自己実現できる人の数もずっと多くなったと思います。


そういうライフスタイルを手に入れられた人が次に望むことは、

一昔前ならインスタ映えするような生活だったかもしれませんが・・・


そういう人に違和感を感じる人が増え、社会貢献できることがカッコイイ!

みたいな風潮になって来ていますよね。



なぜ、以前のような成功者に違和感を感じるのかと言うと、

一昔前より、「自己超越」を目指すことに価値を見出す人が増えて来たからだと思います。

なかたさいこさんメルマガより転載

つまりね、これが次元上昇(魂のレベルが上がる)というもの。



マズローの時代に比べて、人類、いや少なくとも日本は

次元上昇しているのではないかなって思います。