すごい簡単だから覚えておこう。
忖度(そんたく)は名詞なので、使い方が動詞とは異なる。
そして「相手の気持ちを推(お)し量(はか)ること」という意味なので、
「推し量ったうえで何かする」という意味はない。
正:自然災害の被災者「を」忖度する=自然災害の被災者の気持ちを推し量る
誤:自然災害の被災者「に」忖度する=自然災害の被災者の気持ちを推し量り「募金する」
あくまでも気持ちを考える、汲(く)むというだけなので、
本来ならよい意味で使うべき言葉だ。
コミュ力や共感能力が実際にある人がやっていること、ともいうか。
「泣いてる赤ちゃんの気持ちを忖度する気がない」のは、道徳的にまずいわけだ。
それに対して斟酌(しんしゃく)は「気持ちを推し量ったうえで何かする」という意味だから、
現在の世間が間違った用法=一般的な用法で忖度という単語を使っている場合、
正しい表現は斟酌のほうである。
日本語すら満足に知らない愚劣なパヨク野党や立憲民主党や日本共産党カクサン部など、
そもそも本当に日本人かどうかさえ怪しい低学歴な反知性主義の連中だからこそ、
情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の「酌」と同じ文字だとは想像できなかったのだろう。
気持ちを「汲」むとか「酌」量の余地だとか、
感情ってよく液体にたとえられるもんなんだけどねえ・・・
そんなことも知らない無教養な連中に政治なんか任せていいわけがない。
一切勉強しなかった高校当時漢検2級の正答率が98%だった高卒の僕より無学なのだからな。
というわけで、
間違った意味で忖度という言葉を使っている人間を見たら、
あっこいつ辞書も引けないどころか超無教養かつ思想的にヤバいヤツだと断定してよろしい。
「相手の気持ちを察して何かしてあげる」のは「斟酌」だ。
「忖度」は「登場人物の気持ちを考えるだけ」だ。
忖度は、気持ちを察するだけ。
斟酌は、気持ちを察したうえで何かやろうとすること、何かすること。
動作や対応が含まれているなら、それは「斟酌(しんしゃく)」だ。