大麒麟の雑記帳 -4ページ目

「韓国ドラマ」にハマっちゃいました!

って、今さら?←そうなんです。今さらなんです(・_・)エッ..?


まさか、自分が…

韓国ドラマには、全然興味がなかったのになぁ…

世の奥様方が、熱狂する様を傍から冷めた目で見ていたのに…

嗚呼!それなのに( ̄‐ ̄)

何故なんだろう?

よ~く考えてみよう☆








う~ン

結局のところ、「ハマっちゃう時は、ハマっちゃう」ということで如何でしょうか←愚か者!理由になっとらんではないか





何にハマっちゃったかというと、


「19歳の純情」なんです
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何気なく手に取ったDVDだったんだけど、パッケージの女優さんが目を引いたのね


そもそも、何で韓国ドラマのDVDなのかというと、以前ブログにも書いたんだけど

先月、勤務先の海外研修で、韓国に行ってきたんですよ。

二泊三日の韓国(ソウル)旅行でしたが、貴重な異文化体験をして来ました。

「チャングムの里」「カジノ」「明洞」等など

本場の韓国料理も美味しかったし、韓国語とハングル文字に触れる機会が多々有り、すごく新鮮でした。

宿泊したホテルでは、ドラマやテレビショッピングをず~っとBGMにしてたので、韓国語が自然に染み込できた感覚がありましたね。

で、話しは戻るけど、気になった女優さんのことが知りたくて、「19歳の純情」を今、夢中になって観てるところなんです(^‐^)

このテレビドラマは、韓国では2006年にKBSで放送(一話30分、全167話)され、高視聴率だったようです。
(日本では、2010年にBS日テレで放送)

今、最終巻(全4巻)の第127話から見始めて第139話まできてるんだけど、

「渡る世間は鬼ばかり」もそうだったけど、この手のホームドラマには、なぜだかハマってしまう魔力のようなものがあるんですよねぇ…

何故なんだろう?←また考えてる



最後に私が気になった女優さんです
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ク・ヘソン

§地球は青かった§

「地球は青かった」

人類初の有人宇宙飛行に成功したソ連の『ユーリイ・ガガーリン大佐』の有名な言葉です。

先日、映画館で「宇宙兄弟」を観ましたが、

宇宙飛行士を養成するための過酷な訓練や最終搭乗者が選考される過程が、丁寧に描かれていました。

宇宙開発の歴史もコンパクトにまとめられていて、勉強になりました。
←ただ、楽しめるだけでもいいけどね(^O^)

調べたら、ガガーリンの時は、最終選考に2名が残ってるんですね。

もうひとりは、『ゲルマン・チトフ』といって、頭脳・体力とも優秀だったんですが、
決め手は、ガガーリンが労働者階級出身であることを、上層部が考慮したからだとも言われてます。

それから、二人には、共通する重要な選考理由があるのですが、何だと思います?


「身長」なんですね

そう、この当時は、宇宙船内が狭くて、大柄な体格だと無理だったわけです。

なんと、ガガーリンの身長は 158㎝ だったとか…
「山椒は小粒でもぴりりと辛い」
小さくてもハンディにならず、逆に有利になることもある。

勇気付けられるエピソードですね\(^Ο^)/

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ロケット最上段と結合したボストーク宇宙船

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船内の計器パネル


人類初という栄誉を与えられ、世界中で名が知られ、世界史の教科書に載ることになる「ガガーリン」

かたや、二番手として後塵を拝すことになる「チトフ」

一番と二番では、こんなにも違うの?

って思ってしまうけど、

その後のふたりの人生を比べると、一概にどっちがいいとは言えないのかなぁ…

ガガーリンは、帰還後、世界中を飛び回り(日本にも来ました)、ソ連の広告塔としての役割を果たし、国民的英雄になります。
しかし、人類初の有人宇宙飛行(1961年4月12日)から7年後、飛行訓練中の墜落事故で、34歳の若さで没します。(陰謀説もありましたが、近年、事故説が有力です)

チトフは、ボストーク2号で二番目の有人飛行を成功させ(1961年8月7日)、空軍大将(軍最高位)で退役しています。
そして、ソ連邦崩壊後のロシア議会で議員に転身しています。




チトフさんの名前も記憶に留めて置きますね!

☆スーパーおじいちゃん☆

いきなりで、すみません(^。^')

「伊能忠敬(いのうただたか、1745~1818年)」って歴史上の人物を知ってますか?

江戸時代に、精密な日本地図を作った人物なんだけど、
知れば知るほど、その偉大さに敬服します。

上総国(現在の千葉県)の庄屋の次男として生まれ、後に伊能家に婿入りするんだけど、

後世に名を残す人って、やはり、子供の頃から優秀だったんですね!

特に、算術(和算)が得意で、後に家業の傍ら「天文学」や「暦学」を独学で勉強し、高価な機器を買い入れて天体観測を行なっていたんですね。

「好きこそ物の上手なれ」って言いますけど、

偉業を成し遂げるには、とにかく好きになって、とことん探求しないといけないんですね。

そして、五十歳を過ぎて隠居してからは、生涯の師となる幕府天文方「高橋至時」と出会い、←師といっても、十九歳も年下なんですけどね

日本地図作りに係わることになるんです。

忠敬の測量日記「蝦夷于役志」によると、第一回の奥州街道北上の時は、一日に9里から10里、時には13里以上の強行軍を続けていたんですって(・_・)う~ン
1里は約4㎞だから、50㎞以上も…

当時の人々は、現代人と比べると、健脚だったらしいけど、それにしても、重装備だったことを考えると、忠敬は『スーパーおじいちゃん』だったのね(^◇^)←平均寿命50歳の時代だから、「おじいちゃん」なんですよね←ってことは、世が世なら、ワタクシも、…なんですね(@_@)

で、

江戸出発から30日目には津軽海峡を船で渡り、蝦夷地(北海道)に足を踏み入れています。

この後、忠敬は、55歳から71歳の17年間で
計8回の全国測量を続け、日本地図を完成させるのです。

あと、こんなエピソードもあるんです。

忠敬は、天文学を学ぶ過程で、「地球一周の長さ」を知りたくて、緯度1度の長さを測ろうとします。

赤道から北極点までが90度なので、緯度1度の距離×360で地球の一周の距離が計算できるというわけです。

結局、忠敬が天体観測と実測により、緯度1度を28里2分と算出したものと、至時が最新のオランダ暦書の翻訳によって算定した数値とが一致しています。

因みに、現在のデータと比べると、誤差は約1%で距離にすると1㎞短かったようです。←緯度1度の距離約111㎞に対して約110㎞と算出

伊能忠敬を目標にして頑張るぞ!

VIVA! じいさん☆