ashojiの「考えて遊ブログ。」

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僕の周りにいる、アーティスト・ミュージシャン・美容師・経営者・素敵なオバサマ・素敵なオジサマ・・・キャラのたった個性的な人たちに対して、「オール4タイプの自分が、自信をもって自分らしく生きるには何をすればいいんだろう!?」と考え続けて30年:)

Amebaでブログを始めよう!

ネット社会になり、”糾弾”がしやすくなった。

実名、匿名、年齢、性別など、何のハードルもなく、

誰でもどこからでも”糾弾”出来るのだ。


しかし、それはいいことばかりとも限らない。。。


知識人だけに”糾弾”を任せておく必要はないが、

なんとなく、”流れ”で”糾弾”に参加している人も多い気がする。

例えば、facebookのシェア。。。これは、”糾弾”をシェアすれば、その人も”糾弾”したことになり、

あっという間に”糾弾”の連鎖が広がる。

夕立の後の路地裏の水溜りに隕石が落ちたぐらいのスピードで波紋が広がる(笑)


それは、本当にいいことか、いやっ、みんな本気の”糾弾”か?

ってとこは、とても大きな問題なんじゃないか・・・?と考えるのだ。


いい人ぶるわけではなく、

”糾弾”すべきは、まずは、【起こった現象】であるべきで、

それを【起こした人】は、二番目だと思うのだ。

だから、事実誤認は罪深いと思い、「事実を知ろう!事実を教えて!」という時間を作る。


ところが、たいがい、この事実確認には、相当の時間がいる。

特に、専門や得意なところからかけ離れていると、

それはそれは大変だ。


そして、調べているうちに、「シェア」とかいうボタン一つで、

軽い友達から来た”糾弾”の輪が広まる。


これを、僕は、”糾弾”の【お祭り化】と名づけて横目で見ているが、

年に何回か、対象を変えて訪れる行事にしか見えなくなってきたので、

違くないか!!!???と自問自答としてここに書いてみた。


本当に”糾弾”したければ、

まずは、事実だけを、周知して、

ほんのちょっと考えるための時間を与えてから、

”糾弾”宣言をしても遅くないのではないか?

ネット時代だからこそ、グズグズしてみるなんていうのも、

クリックの精度が上がってよい気がするのは、間違いか?


なんてことを考えてみたりして、火曜日が終わっていく:)

この半年、いろんなことがありました。

こう切り出すと悲しく辛いことのように感じがちですが、

そのほとんどが、前向きなものです。


もちろん、解決や行動に移るためのハードルが高過ぎて、

一瞬ひるんだものもあれば、

今、まさにハードル越えのためにジャンプしたものもあります。


しかし、この半年で一番大きな変化は、

自分の気持ちのような気がします。

考え方の文法というかコンテクストを変わった。。。

いやっ、変えることに成功した!ということかと思います。


どういうことかというと、

結論を先に言うようにしたのです。

「なんだ、そんなこと?」

と多くの方が思われるでしょうが、

これが、日本語で角を立てずに言うのは、

タイミングや話題や参加者や相手の気分など、

いろんなことに気を配る必要があります。


「角なんて立ってもいいじゃん!」

という意見も多くあるでしょう。

でも、18まで茨城の片田舎で、

「いい子になりなさい!」教育を受けた僕には、

何事も遠まわしが楽でした(笑)

角にぶつかると、やっぱり痛いですからね。。。

だから、いろんなことが、ぎりぎりになり、

大して仕事は多くもないのに、時間のない追い込まれた気分の日々を送ってきていたのです。


そんな僕が、結論を先に言うようになると、

空いた時間(精神的に)が埋まれ、勉強したりのんびりしたりとする機会が劇的に増えました。

そして何より、英語を使ったコミュニケーションが、半歩進んだ感じがします(笑)

いつかブログも英語で書いてみますかね:-)


なんて半年の間に、こんな無料のフリーペーパーも始め、

インタビューと1つのコラムを担当しています。

よかったら、ぜひ、ご一読くださいませ。

https://www.facebook.com/sabrina.paper.desk


「いまさぁ・・・」と話を切り出すことがありますが、

この”いま”は、正確には、「ほんのちょっと前さぁ・・・」

と言うのが正しい。


なんでこんな、細かくちっちゃなことを言い出したかというと、

時差のある国の情報がリアルタイム(?)で入ってくる時代になって、

まさに”リアルタイム”とか、”今”を考え直さなければならないのではないかと

と、くだらない思いがわいたからです。

「いまさぁ・・・」と言っている間に、

あるものは、とても古いものになり、

あるものは、現実に変わったり・・・

twitterやfacebookのタイムラインの上をすべっているような感じですね。


では、この上滑りな感じは、最近始まったのか?

という話ですが、実はそうではなく、

「昔から上滑りはしていたけれど、それが顕在化してきただけ!?」

という気もします。

実は、”いま”と呼んでいるものは幻で、

僕たちには”かこ”と”みらい”しかないのではないですか?

”いま”は、過去と未来が交わる一点で、線になってつながっているのは、過去と未来・・・

このつながる部分を、過去と未来のアジャスター部分を”いま”と、

昔の誰かが名づけたと。

”いま”になんて、何の価値もないぞ!?


とまぁ、こんな話なのですが、

ようは、”いま”は、過去と未来を写すはかない水鏡でしかないから、

”いま”にとらわれ過ぎない方がいいぞ!!!

という結論に至りました。

”いま”とは、過去のログであり、

未来のデータベースといったところでしょうか。

だから、”いま”、”いまいち”だとしても、

過去の自分の結果だし、人生全体から見れば一瞬だから、

未来を考え始めた方がいいよ!と。


それにしても、8億人もの人が垂れ流す”いま”という名の”かこ”は、

どこへ向かっていくのでしょう。

きっと、大手IT企業のサーバーに貯まり続け、

”現代人の声”とか”現代人の思考”とか名づけられなおして分析された、

お金に変えられるのです。


余談ですが、現代は具体的な機能のあるモノは儲からずに、

お金や情報のように運用で機能を持つものが儲かる時代です。

”いま”ではなく、”さき”が儲けのポイントです。