ネット社会になり、”糾弾”がしやすくなった。
実名、匿名、年齢、性別など、何のハードルもなく、
誰でもどこからでも”糾弾”出来るのだ。
しかし、それはいいことばかりとも限らない。。。
知識人だけに”糾弾”を任せておく必要はないが、
なんとなく、”流れ”で”糾弾”に参加している人も多い気がする。
例えば、facebookのシェア。。。これは、”糾弾”をシェアすれば、その人も”糾弾”したことになり、
あっという間に”糾弾”の連鎖が広がる。
夕立の後の路地裏の水溜りに隕石が落ちたぐらいのスピードで波紋が広がる(笑)
それは、本当にいいことか、いやっ、みんな本気の”糾弾”か?
ってとこは、とても大きな問題なんじゃないか・・・?と考えるのだ。
いい人ぶるわけではなく、
”糾弾”すべきは、まずは、【起こった現象】であるべきで、
それを【起こした人】は、二番目だと思うのだ。
だから、事実誤認は罪深いと思い、「事実を知ろう!事実を教えて!」という時間を作る。
ところが、たいがい、この事実確認には、相当の時間がいる。
特に、専門や得意なところからかけ離れていると、
それはそれは大変だ。
そして、調べているうちに、「シェア」とかいうボタン一つで、
軽い友達から来た”糾弾”の輪が広まる。
これを、僕は、”糾弾”の【お祭り化】と名づけて横目で見ているが、
年に何回か、対象を変えて訪れる行事にしか見えなくなってきたので、
違くないか!!!???と自問自答としてここに書いてみた。
本当に”糾弾”したければ、
まずは、事実だけを、周知して、
ほんのちょっと考えるための時間を与えてから、
”糾弾”宣言をしても遅くないのではないか?
ネット時代だからこそ、グズグズしてみるなんていうのも、
クリックの精度が上がってよい気がするのは、間違いか?
なんてことを考えてみたりして、火曜日が終わっていく:)
