ひとは限られた人生の中で最後まで、不思議を感じることなく居られるの?
死ぬ時にやっと理解する?それとも死んでも、気付かず様々な団体に絡め取られ吸い取られ、単にエネルギーとして使われる。それは無くなったみたいだが新たな団体にすげ変わるだけか?舞台裏を知りたい。
半信半疑でも、予防的に考えておく、疑いを持っておく方が良いと思うの。死後、現代の宗教と教育に縛られない振る舞い方ができるように。
最近、布教の方々が訪ねてきて。
何度も足を運んでいただいていたのは知っていたし、身内の不幸に直面したいま、わたしも思うことがあって、ちょうどいい機会だったので対面しました。
いつも来る人の良さそうなおば様と、疑うことを忘れている様な若い女性でした。
わたしの語彙が足りなくて、俗な言葉でしか声をかけられないのが悔しいです。
ところで、神様は一人しかいなくて、それに従うのが幸せ…ですか?依存は幸せかな?
その神になんの働きがあるのかな。せんのうとどう違うの?
人が不完全だから、導かれないといけないんですって。…この人失礼だな。いや、この○教が失礼なんだ。
それも免罪符で帳消しのつもりか。あ、最悪、犯罪したって仕方ない、不完全だから←免罪符
そういうこと?人の心につけ込むよね。罪悪感から逃れたい欲求とか。
不完全だから導かれないと…は違うと思う。導きたい(=都合よく動かしたい)から自分を卑下させてるんじゃないかな
ニワトリと卵。
おば様は聖書の変遷を勉強しているらしいですが、見ている方向というか、疑いが足りない気がしたので、
わたしは勉強したことがなくとても失礼ですが、聖書を勉強し直してくださいと言ってしまった…。心の師匠すみません。人のふんどしで相撲しました…
日本の国にいて、(たぶん)日本人をしていて、国外からのものを盲目的にありがたがる、その弱さ?浅はかさが許せないと感じる。消費者思考を標準装備した結果なのか?
日本人で日本の地で生かされているのに。盲目的な人々や宗教関連は国外へ出て行って欲しいと思っていることも言ってしまった。
それにしても、優しいおば様は拙い私の話をよく聞いてくれました。
考えを改めてくれたらまた会いたいと伝えたけど、好きな気持ちは伝わったかな…
待機していた車に数人乗っているのを知っていたので、おば様を車までエスコートして、見えなくなるまで見送りました。車中のみなさんとも、拙い言葉ででもお話したかったです。勉強になります!また来てくださいね
義祖母の葬儀が終わって、落ち着いてきたので書き直してアップしようと。
うーんと、働きが先か、名前が先かと考えていて、働きがあるから名前が付いたんだろうと思う。
日本の神様は働き者で、お仕事が名前になるくらい。昔の日本人は家業の名前を付けたりしたんでしょ?日本の神様たちと同じですね。
こんなに身近に寄り添って、一緒に働いている神様たちがいて、どうして他所の、働き不明の、お金と人を集める道具の神を偉いと思うんだろう