谷津干潟の日 | 声なき声を聴く政治 千葉県議会議員 鈴木ひとし

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6月10日

 さる6月10日に谷津干潟自然観察センターで開催された「谷津干潟ラムサール条約登録30周年記念式典」に招待頂き、出席してきました。

 1993年6月10日に国内で初めて「ラムサール条約登録湿地」に認定された谷津干潟の、30年間の歩みを振り返る時間を過ごすことができました。

 ところで、谷津干潟自然観察センターは1994年に開設され干潟の自然を学ぶ施設として運営されてきました。谷津干潟に渡来してくる鳥類を館内から観察することができ、来場者へは望遠鏡の貸出も行われ、館内にはカフェも併設されている憩いと、保全活動の拠点となっています。干潟の周囲約3.5kmには観察路が設けられ、淡水池や谷津干潟公園も併設されており、森林は生長して多くの陸上の野鳥が生活する場にもなっています。

 

干潟の歴史

 それでは、なぜこんな都会の真ん中に干潟が残されているのでしょう。東京湾の沿岸は1960年代から千葉県企業庁による埋立が始まり、工業地住宅地とされていきました。その中で、現谷津干潟は利根川放水路計画により旧大蔵省の所有となっていたので埋め立てらることなく、高瀬川と谷津川とで海とつながる干潟として残りました。習志野市の職員だった私の父(故人)からは、1970年代には地元の習志野市では環境保全の困難さ(ゴミの漂着問題)から、埋立を進める意見が多数であったと聞いています。

 しかし、シベリアやアラスカと東南アジアやオーストラリアを渡るシギ・チドリ類にとって中継地点として重要な役割があることが判り、個人タクシーの運転手から千葉県議になった故森田三郎氏など、干潟のゴミを回収をする活動を続けた多くのボランティアの方の努力により、1977年に国が鳥獣保護区に指定する方針を決め、1988年には指定を受け保全される事となったのです。  

      

東京湾の原風景

 現在も谷津干潟にはゴカイ・⾙・カニ・プランクトン、魚類はボラ・スズキ・アカエイ・ハゼなどたくさんの⽣きものがすみ、それらの生き物を餌とすシギ、チドリ、サギ、カモ類など100種類以上の野鳥が飛来しているそうです。

 かつては谷津川に「谷津の船だまり」があり、菊田川に隣接していた「久々田の船だまり」とともに私の子供時代の遊び場でした。当時、埋立は袖ケ浦まで、その先には海苔の養殖の竹竿が点々と立つ、遠浅の砂浜が広がっていました。母の生家は海苔の養殖を営んでいましたので、祖父や伯父と船で海に出たこと、兄や従兄弟と船だまりでハゼ釣りをしたことは、いまでも鮮やかに思い出すことができます。多くの方の自然に対する思いを集めて、奇跡的に保全された谷津干潟、いまでは三番瀬とともに、東京湾の原風景を伝えてくれる貴重な存在です。人間の身勝手で、消し去ってしまわぬように、これからも大切にして行かなければならないと思うのです。