声なき声を聴く政治 千葉県議会議員 鈴木ひとし

声なき声を聴く政治 千葉県議会議員 鈴木ひとし

千葉県議会議員選挙で20328票を投じていただき当選致しました。
引き続き公平公正な社会づくりに力を尽くしていきたいと考えています。

人口減少 

以前にもこのかわら版でお伝えしたのですが、日本は2010年の約1億2800万人をピークとして、以降は人口減少の局面に入っています。直近では毎年約50万人が減少しており、最新データの2022年10月では1億2494万7000人となりました。

 2022年の出生者数は79万9000人、死亡者数が約153万人だったので、16年連続で出生者数が死亡者数を下回る自然減少となりました。特に深刻なのは出生者数の激減です。2015年までは100万人を上回っていた出生者数は以降、毎年3%程度の減少を記録しています。これにより15歳未満の人口は1450万3000人と過去最低となりました。労働の担い手となる15~64歳の「生産年齢人口」は7420万8000人で総人口に占める割合は59.39%となり、現役世代が支え手となる社会保障の基盤が維持できなくなったり、経済が縮小していくこととなるのです。

 

「勝ち組」って? 

過日の千葉日報一面に、千葉県誕生150周年についてのちばぎん総研の専務取締役の方へのインタビュー記事が載っていました。その見出しには「人口増で“勝ち組県”に」とありました。

 いわく、「千葉県は全国的に人口が減少する中でも、今も増え続けている(流入増による「社会増」)。千葉県には1960年代以降に多くの団地が建てられ、鉄道や道路網も整備され、新たな住民が流入してきた。2000年代には、つくばエクスプレスの開通などにより、常磐地域にも人口が流入した。人口が増えれば経済が活性化するから、千葉県は勝ち組」なのだというのです。 

 もちろん、このインタビュー記事は、千葉県の産業の強み、弱みなど多面的な分析が述べられており、人口が増えているから諸手を挙げて、これからも順調に発展するという単純な論調のものではありませんでした。

 しかし、私が強い違和感を感じたのは「勝ち組県」という言葉に対してなのです。

                

「人口増=勝ち組」

こういった論調は、メディアの多くに見られるものです。千葉県なら「○○市では人口が急激に増えた、だからその自治体運営は優れているのだ」というような、虚像づくりがされていると思うのです。

 人口の「社会増」は単に日本国内での自治体住民の奪い合いに過ぎず、国内全体では人口増加に繋がっていません。むしろ「不便な地方から、利便性の高いが生活コストが高い都市部周辺へ」と言う人口の移動は人口減少・高齢化を加速させてしまっているのです。東京圏での未婚率の高さ、合計特殊出生率の低さは「都市部では人口の自然増がおこりえない」ことを裏付けています。

 地方で雇用の場が無いから若者は都市部に出て行く、結果として、さらに地域が空洞化し少子化・高齢化が進むと言った悪循環から抜け出さなければ、日本にはとても厳しい未来が待ち受けています。基盤が縮小してしまった国家の中で、一自治体が「勝ち組」と誇ってみても、それはいかにも空疎なものではないでしょうか。

 

 

 

6月10日

 さる6月10日に谷津干潟自然観察センターで開催された「谷津干潟ラムサール条約登録30周年記念式典」に招待頂き、出席してきました。

 1993年6月10日に国内で初めて「ラムサール条約登録湿地」に認定された谷津干潟の、30年間の歩みを振り返る時間を過ごすことができました。

 ところで、谷津干潟自然観察センターは1994年に開設され干潟の自然を学ぶ施設として運営されてきました。谷津干潟に渡来してくる鳥類を館内から観察することができ、来場者へは望遠鏡の貸出も行われ、館内にはカフェも併設されている憩いと、保全活動の拠点となっています。干潟の周囲約3.5kmには観察路が設けられ、淡水池や谷津干潟公園も併設されており、森林は生長して多くの陸上の野鳥が生活する場にもなっています。

 

干潟の歴史

 それでは、なぜこんな都会の真ん中に干潟が残されているのでしょう。東京湾の沿岸は1960年代から千葉県企業庁による埋立が始まり、工業地住宅地とされていきました。その中で、現谷津干潟は利根川放水路計画により旧大蔵省の所有となっていたので埋め立てらることなく、高瀬川と谷津川とで海とつながる干潟として残りました。習志野市の職員だった私の父(故人)からは、1970年代には地元の習志野市では環境保全の困難さ(ゴミの漂着問題)から、埋立を進める意見が多数であったと聞いています。

 しかし、シベリアやアラスカと東南アジアやオーストラリアを渡るシギ・チドリ類にとって中継地点として重要な役割があることが判り、個人タクシーの運転手から千葉県議になった故森田三郎氏など、干潟のゴミを回収をする活動を続けた多くのボランティアの方の努力により、1977年に国が鳥獣保護区に指定する方針を決め、1988年には指定を受け保全される事となったのです。  

      

東京湾の原風景

 現在も谷津干潟にはゴカイ・⾙・カニ・プランクトン、魚類はボラ・スズキ・アカエイ・ハゼなどたくさんの⽣きものがすみ、それらの生き物を餌とすシギ、チドリ、サギ、カモ類など100種類以上の野鳥が飛来しているそうです。

 かつては谷津川に「谷津の船だまり」があり、菊田川に隣接していた「久々田の船だまり」とともに私の子供時代の遊び場でした。当時、埋立は袖ケ浦まで、その先には海苔の養殖の竹竿が点々と立つ、遠浅の砂浜が広がっていました。母の生家は海苔の養殖を営んでいましたので、祖父や伯父と船で海に出たこと、兄や従兄弟と船だまりでハゼ釣りをしたことは、いまでも鮮やかに思い出すことができます。多くの方の自然に対する思いを集めて、奇跡的に保全された谷津干潟、いまでは三番瀬とともに、東京湾の原風景を伝えてくれる貴重な存在です。人間の身勝手で、消し去ってしまわぬように、これからも大切にして行かなければならないと思うのです。

 

 

 

風を吹かせる 

この「県政かわら版」は野田佳彦元総理の「かわら版」と一緒に配布していますので誤解が生じないようにしたいのですが、これから述べていくことは、あくまでも私の考え方であることを、ご承知の上でお読み頂きたいと思います。

 私は日々、新聞を紙で3紙(日経・朝日・千葉日報)、ネット版を併せると5紙(前述+読売・毎日)に目を通しています。同じニュースでも、新聞社によって捉え方、書き方が違うので、考え方を広げるという意味で、興味深く読んでいます。

 ところで、各紙ともサミット前から「衆議院解散近し」という、いわゆる「解散風」が吹き始めたと、しきりに報道しています。いずれも「サミットで世論を盛り上げて、支持率が上向いたところで解散に打って出る。いまなら野党の選挙準備も整っていないので、勝機がある」。という論調ですね。

 

7条解散

 「衆議院解散」とは、「任期を満了する前に、議員の身分を奪ってただの人」にする極めて重大な行為といえます。さて、新聞などには「解散は内閣総理大臣の専権事項」と書かれていますが、それでは憲法に解散権の行使に関する規定があるのかというと憲法69条の「内閣不信任案が可決した場合には議会を解散して国民に信を問うことができる」という意外には、憲法には7条で「天皇の国事行為としての解散」がある以外、明確な条文は無いのです。実は1993年に宮澤内閣に対する内閣不信任案が成立し、解散したとき以来、憲法69条による解散は一度も行われておらず、「内閣総理大臣の専権」として憲法7条による解散が慣例化しています。

 この憲法7条による解散について、憲法学者の芦部信喜氏は(1)衆議院で内閣の重要案件(法律案、予算等)が否決され、または審議未了になった場合(2)政界再編成等により内閣の性格が基本的に変わった場合(3)総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等)に対処する場合(4)内閣が基本政策を根本的に変更する場合(5)議員の任期満了時期が接近している場合、などに限られるべきと解すべきであり、「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である」と述べていて、「解散は内閣総理大臣の専権事項」というのは絶対的とは言えないのです。

 実は日本が議院内閣制を敷く上でお手本とした英国では、2011年に下院の解散には議員の3分の2以上の賛成が必要となる法改正をし、首相が自分の都合がいい時に解散権を行使するしてしまうのを制限しています。

 議員に選出されるには、有権者の皆様から投票して頂く、つまり民意を得なければなりません。本来、その民意は任期中(例えば4年間)は有効であると想定されます。解散はその民意を覆す重大な行為であり、時の内閣総理大臣が自己の権力基盤強化や、党利党略で行うことが許されるのか否か、もし解散総選挙が行われたときには、頭の片隅に浮かべていただければと思うのです。 

 

 

横須賀軍港巡り 

少し前になりますが、ゴールデンウィークの合間に妻と横須賀に行ってきました。天気の良い日で、ドブ板通りを歩き、横須賀名物「ネイビーバーガー」の店で行列をして巨大なハンバーガーを食べるという、定番の観光コースを巡ってきました。若者達でお店も賑わい、すっかり日常を取り戻したのではないでしょうか。

 その後「横須賀軍港巡り」という観光遊覧船に乗船し、はじめて横須賀港を見て参りました。おりしも米海軍の原子力空母「ロナルドレーガン」が入港しており、空母を護衛するイージス艦の大群に囲まれた巨大な船体を遠目にし、米軍の圧倒的な戦力を実感させられました。軍港には海上自衛隊の潜水艦群、そして航空母艦転用が予定される「いずも」やステルス護衛艦「もがみ」が停泊しているなど、日米の海軍を目の当たりにする体験をしました。

 

記念艦「三笠」

遊覧船を下り、当日最大の目的だった、記念艦「三笠」を訪ねました。ご存じの方が多いと思いますが、「三笠」は1905年5月27日「日本海海戦」で帝政ロシアの擁する「バルチック艦隊」と決戦をした、連合艦隊司令長官東郷平八郎の旗艦をつとめた戦艦です。

 「三笠」艦内は日本海海戦の当時を模して復元されています。東郷提督や幕僚の居室なども往事を彷彿とさせ、日本海海戦を描いたビデオを見ることもできます。

 ところで、日露戦争を描いた司馬遼太郎著「坂の上の雲」をお読みになった方は多いと思います。NHKでドラマ化され、東郷提督を渡哲也、名参謀といわれた秋山真之を本木雅弘が演じたのは10年程前のことでしょうか。

 この「坂の上の雲」の物語の舞台となった日露戦争はまさに日本の運命を決した戦いでした。1904年に当時の一大強国であった帝政ロシアと開戦、1年半を経て日本海海戦でロシア海軍を撃滅し、当時の外務大臣小村寿太郎らによる外交工作でアメリカの仲介を得て、講和を成立させ北東アジアに巨大な権益を獲得しました。                

 

明治の日本人

 欧米列強が覇権を唱える帝国主義のさなか、北東アジアでの権益確保を狙い開戦した明治政府の挑戦は幸いにして的中しました。日本は国際社会にその存在を知らしめ、世界のリーダーの一員として地位を確立したことは間違いないでしょう。

 その裏では、日本政府は戦費の調達に苦心し、高橋是清らの奔走により海外調達した戦費は約8億2000万円(8200万ポンド)にも上りました。「三笠」はイギリスの造船所で1902年に竣工、工費は約1200万円(120万ポンド)。翌1903年の日本政府の一般会計歳入は2.6億円(2600万ポンド)だったので「三笠」一隻で歳入の約4.6%、同型艦4隻建造で合計すれば歳入の約20%と空前の費用を投じた一世一代の買物だったのです。

 東郷提督が立った「三笠」の吹きさらしの艦橋から、海自ヘリが訓練を行うのが見えていました。明治の日本人が国家の命運をかけ戦場でまた外交でと懸命に闘ったことを忘れてはならず、「その繁栄と平和が続く努力を怠ることなかれ」と語られたように感じる一日でした。

 

マンションの2つの老い

 2015年の9月に東京都住宅政策審議会が答申した「東京都におけるマンション施策の新たな展開について」という文書が当時大きな波紋を巻き起こしました。マンションの分譲が始まっておよそ60年、この答申は、建物の老朽化と居住者の高齢化という「二つの老い」が進むのに、対策が講じられていないことが大きな問題となるとしたものでした。

 国は2020年には「マンションの建て替えの円滑化等に関する法律」を改正、老朽化したマンションの建て替えの促進を図っていますが、区分所有者の合意を形成して建て替えを行うのは未だ困難で、同時に建て替えに至る前にマンションの維持管理を強化し長寿命化するために「マンション管理適正化の推進に関する法律」を改正して自治体がマンション管理の適正化に関与する制度を創設しました。

 

県内のマンションの状況は 

さて、2019年には全国で約92万戸だった築40年超のマンションは、2030年には214万戸、2040年にはこれが385万戸に達すると推計されています。一方、県内には約41万戸の分譲マンションが建っていますが、いまから12年前の平成23年度に県が約3900件のマンションを対象として実施した「平成23年度分譲マンション管理等実態調査」でも管理組合の機能不全や、老朽化と耐震性に対する不安が問題点として最も多くあがっているなど、マンションの管理不全が大きな課題となっています。組合役員のなり手不足、所有者の管理への無関心、建物の定期修繕が行われなかったり、空き家の増加、不良入居者の存在などで、スラム化が懸念されるマンションも出ています。

 このようなマンション管理の諸問題に対応するため、過去にも法改正が行われ、さまざまな施策を実施してきましたが、効果が見えず、先の法改正では遂に地方自治体による「管理計画認定制度」の創設など、管理体制に行政が関与する踏み込んだ内容となったのです。

 

「建替えありき」からの脱却 

さて、今後はマンションの建物が持っている寿命をできるだけ長くしていく考えが必要となると思います。実は日本の建物の寿命は諸外国に比して極端に短く、平均で33年にすぎませんが、これがアメリカでは55年、イギリスでは77年という国土交通省の調査があります。

 マンションの多くは鉄筋コンクリート造ですが、適切に維持管理されれば100年以上の寿命があると言われています。現在東京駅前に建っている「丸ビル」の先代は1923年の竣工ですが、築後74年経った2007年に解体した時点では、コンクリートも地中で建物を支えていた松杭も全く劣化していなかったそうで、適切に管理された鉄筋コンクリート建築の寿命を示すエピソードです。

 今後は人口が大きく減少していくことが明白となっている現状では、住宅政策を新築からストックの活用へ、都市の拡大から中心市街地の再活性化へと転換していくことは必然の流れで、マンション管理の質の向上は行政にとっても喫緊の課題となっているのです。