ひふみ開運セミナー | 意識デザイン
ちょっと日にちが経っちゃっているけれど、先日ウォーブル社の主催で『ひふみ開運セミナー』と題して講師を務めた。

ノートの抜粋を公開。



開催日=1月23日。

旧正月。
かんたんにいうと1年で一番はじめの新月。

1月23日=ひふみ
言霊、音霊、数霊。



運というのは自分と宇宙とが仲のいいこと。

自分が思うことが、宇宙の流れに即している状態。
自分が思っている方向に宇宙が流れ、場合によっては後押しをしてくれる。

だから開運とか、あるいは運をよくするというのは、早い話が宇宙と仲よしになるということ。



宇宙と仲よしになるというとき、まずはじめに自分と宇宙の関係をちょっと意識してもらいたい。

もしかして、自分と宇宙をこのような関係としてイメージしてはいないか。

  [自分]vs.[宇宙]

でも、自分と宇宙とは別々に独立して存在している訳ではない。
多分、自分は宇宙の一部である。

もしかしたら、宇宙は自分の一部かもしれないけれど。
自分の体験する宇宙というのは、自分の意識の産物だから。

まぁ、どちらでもいいんだけど、要するに自分と宇宙とは別々の存在ではないということ。

それさえ分っていたら、自分はちゃんとしているのに、自分の周りの物事や、あるいは他人が思わしくないということはあり得ないということがご理解いただけるはず。



つまり、自分と宇宙の間を隔てている壁さえなくせば、当然仲よしになれる。

運を開くためには、何か特別のことをする必要はないし、運のよくなれる人となれない人がいるのでもない。
要するに、自分と宇宙との壁を取り払えるかどうか、それだけのこと。



では、この壁は何か。
どうして、そんな壁ができてしまったか。

たとえば動物や植物にはこの壁があるか?
あるいは小さな子どもには?

たぶん、ない。

動物や植物と人間、あるいは小さな子どもと大人とではどこが違うか、あるいは何が違うか。

──「考える」ということ。
考えるということが、この壁をつくる。



人は、なぜ考えるのか。

一説には、動物というのは一般的におかあさんのお腹の中でかぎりなく完成品に近い状態にまで育てられてから生まれてくると言われる。

生まれて数時間で立ち歩いたり、数週間で親と同じものを食べることができる動物はたくさんいる。
あまりモタモタしていると、他の動物に食べられてしまうのが自然界の現実。

ところが、人間の場合は直立二足歩行をするようになって産道が狭くなったのに対して、脳の発達に伴って頭が大きくなり、結果的にフルサイズで子どもを産むことがむずかしくなった。

このため未完成品の状態で生み落として、あとから足りなかった部分を補っていくという方法をとることにしたらしい。

ふつうの動物であれば目の前にあるものが食べることができるかどうかは本能で判るけれど、人間の場合は本能が完全には機能しない。
だから、たとえば、去年この模様をしたキノコを食べたオレの友達は死んだとか、村の長老があの山のキノコは取って食ってはいけないという情報を必要とするようになった。

それが思考。

思考は言葉によって行われる。

言葉とか思考の特色は何か。
それは、「ほんとうのことではない」ということ。

言葉や思考は、あるがままの何かを置き換えた結果。
「水」という言葉は、水そのものではない。
「あの人はいい人だ」という思考は、ありのままのあの人とは別のこと。
一見、どんなにそれらしいことであっても、あらゆる言葉と思考は現実を何かに置き換えたもの。

それを、現実と勘違いするところから壁が生まれる。

つまり、ありのままの現実ではなく、言葉と思考を本当のことだと勘違いした結果が壁となる。





ここまでのことは、多くの人が判っている。

では、どうしたらいいのか。



多くの人がとる道としては、ときどき、あるいはところどころ壁に穴をあけちゃう。
つまり、すごく単純にいうとあれこれ考えるのをやめて、人生をリフレッシュする。

お酒を飲んだり、趣味を愉しんだり、ギャンブルをしたり、恋愛をしたり……。
一番てっとり早いのは眠ることだけれど。

これはほとんどの人がやっていることで、生き生きとした人生を送るために有効ではあるんだけど、でもお分かりのとおり、根本的に人生を変えることにはならない。

つまり、壁と穴との間に連続性や整合性がないから、お楽しみの時間以外は往々にして退屈で苦痛を伴う毎日になりかねない。



他によく使われる方法は、壁を都合のよいものに置き換えてしまうこと。
たとえば、ポジティブシンキングとか。

どんなことが起こっても、それを「よいこと」だと解釈して日々を送る。

一応前向きな気持ちで毎日が過ごせるし、前向きな気持ちが好循環をもたらすので、ハッピーになれることも少なくない。

でも、ときどきいないだろうか?
口ではポジティブシンキングを唱えながら、じっさいの現実がしょぼい人。

それは、ポジティブシンキングといえども壁であることには変わりがないから。
だから、あるがままの現実とのつながりが希薄になって、けっきょく宇宙からの祝福が閉ざされてしまう。



稀に、何かの拍子に壁がなくなっちゃう人もいる。

『奇跡の脳』──統合失調症の兄を持ち、小さい頃から脳のしくみに関心を持って育った脳科学者=ジル・ボルト・テイラーさんが、脳卒中になり左脳の機能が崩壊をしちゃって8年間にわたるリハビリを果たすまでの経験と、その考察をまとめた本。

左脳の言語中枢が障害を起こすことによって、テイラーさんは言葉の上での思考ができなくなっていく。
「できない」っていうのは停止しちゃうというよりは、むしろ途切れ途切れで辻褄が合わなくなって、「どんどん考えが逃げていくかのよう」だという。

けれども答えと情報を見つける代わりに、「込み上げる平和の感覚」に満たされていく。

「高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって、意識は悟りの感覚、あるいは宇宙と融合して『ひとつになる』ところまで高まっていく」
「時間は静止したまま」
「『A』は『B』と何のつながりもなく、『1』も『2』と全く関係ない」
「周囲と自分を隔てる境界を持つ個体のような存在としては、自己を認識できない」
「自分は塊だという左脳の判断力がないため、自分についての認知は、本来の姿である『流れ』に戻った。私の眼はもはや、物を互いに離れたものとしては認識できない」
「わたしたちはそれぞれ、まったく同じ全体の一部であり、私たちのうちにある生命エネルギーは宇宙の力を含んでいる」
 ……

これらの表現は、スピリチュアルの世界ではよく知られたもの。

多くの人は、悟りとか覚醒と呼ばれる体験は、素質を持った人が修行を積まないと到達できない境地であるかのように思っているけれど、どうやらそれは左脳の活動を停止さえすればごく自然に体験できるものらしい。



それは素晴らしい世界だけれど、その状態では世の中で通常の生活を送ることはできない。
テイラーさんも、けっきょくはリハビリを受けてこちら側の世界に帰って来た。

こちら側の世界に帰ってきたら、残念ながら元の生活が待っている。

どうやら、ただ壁を取り払えばよいというものではないらしい。

壁はあるけれどそこで立ち止まらない──すなわち、思考をありのままの現実と取り違えないこと。
思考はあるし、それを利用もするけれど、でもその向こうにあるありのままの現実とダイレクトにつながる回路を築くことが必要。



瞑想はそのための有効なワーク。

それ以外のワークについて。

【思考を手放すワーク】

【幸福のエネルギー伝授】

【パワーグッズ制作実習】

【スイッチを入れる】



先日、「パーにさえなれば完璧!」とは書いたけれど、ほんとうは今回アップしたことがその続編です^^【応援をお願いします! → 人気blogランキング】