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                                  2021年10 月1日
                                       VOL.427
              
評 論 の 宝 箱
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第427号目次
・【書  評】  西川紀彦 『感染症の世界史』
               (石 弘之著 角川文庫)                                                                                                                               
・【私の一言】  庄子情宣 『人口減を考える』


             
・書 評
┌───────────────────────┐
◇          『感染症の世界史 』
◇        (石 弘之著 角川文庫) 
└───────────────────────┘
                             西川 紀彦


 昨年初からの新型コロナウイルスの世界的猛威が続いている。かつてこれほど長く全世界に感染症を経験したことはなかったのではないか。しかし、歴史を振り返ると今回に似た感染症は数多くあり、人類はその都度苦しみ生き抜いてきた。改めて世界的な感染症の歴史とその要因を理解したくなって最適なこの本を読んだ。著者は1940年生まれ、東大卒、朝日新聞社をへて国
際機関の環境問題関係に従事してきた専門家である。

 国際機関のデータベースによれば、20世紀の1900年から2005年の間、一定の条件下にある自然災害を、気象災害(洪水、干ばつ、暴風雨)、地質災害(地震、土砂崩れ)、生物災害(病気、病虫害)の三つに分類して発生件数をみると、それぞれ76倍、6倍、84倍と生物災害が最も多いという。
生物災害は、細菌、菌類、寄生虫等の病原体が生物に付着し、それが動物発生経由で人間に移すもので、元の病原体の発生原因は長い時間をかけた自然条件の中で生まれたものと考えられる。
人間に移す原因の多くは家畜、野生動物を経由してもたらされるとされる。微生物→動物→人間という永遠の関連性が文明の発展、すなわち農業の開始→定住化→集落→人と家畜の接触密・自然環境の破壊(水質汚染等)→感染症発生という経路をたどる。工業の発展で急激な都市化が進むと、上下水道、ごみ処理等の機能が追いつかず、水質汚染や廃棄物から鳥経由で人間に病原菌をもたらす。
また人間間の往来が感染を拡大させる。新大陸発見でスペイン人がヨーロッパの感染症を大陸にもたらし、アスティカ帝国が崩壊したことや、アフリカとの貿易で奴隷が新大陸に梅毒感染症をもたらしたことや、軍隊等の集団がスペイン風邪を蔓延させたことなど枚挙にいとまがない。

 感染症の巣窟として中国とアフリカが指摘される。中国は特に南部には農村の軒下で、アヒル、ガチョウ、豚、鶏を多く飼っており、コウモリ等の鳥インフルエンザの原因となっている。また人口爆発で大気汚染、水質汚濁の原因を造っている。アフリカは熱帯地方に多いダム等灌漑施設による静水域が蚊等の害虫を発生させている。

 今回の新型コロナ感染で分かったことは
1、発生源は、中国当局は否定しているが中国武漢地域らしいこ   

  と
2、グローバル化で中国人が世界各地にビジネスや観光で進出             していることで、蔓延が広がっていること
3、病原菌は絶えず変異して、一定の抗体が人間界にできるまでは感染が続くこと、すなわち1年や2年で収まるようなものではないこと

 歴史は次のことを教えてくれる。
人間は20万年前に誕生、一方、微生物は40億年前に発生した。しかも世代交代は人間30年に対し微生物は20分で変異するという。これは人間が抗生物質をやっと造っても微生物は違う耐性に変異してしまい、人間は永遠に勝てないことを示していることを自覚する必要があるということだ。歴史的に過去大流行した感染症は以下の通りであるが、今回の新型コロナ感染症はその規
模からみて(2021年8月1日現在で見て、死者421万人、感染者数1億9787万人)、歴史上最大の感染症といえるのではないか。

紀元前  マラリア~アフリカ、霊長類、
13世紀  ハンセン病~東アフリカ、霊長類(チンパンジー他)
14世紀  ペスト~中国雲南省、ネズミ
16世紀  梅毒~スペイン、イチゴ腫
17~18世紀 天然痘~ラクダ、アフリカ、中東
19世紀  コレラ、結核~カルカッタ、細菌(下水)
20~21世紀 エイズ~ウガンダ、霊長類
      エボラ出血熱~西アフリカ、コウモリ
      インフルエンザ~中国、コウモリ


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

             『人口減を考える』
─────────────────────────
                             庄子 情宣 


 日本の総人口は1億2,622万7,000人(2020年国勢調査)である。これは 5年前と比べると、86万8,000人減少したこととなる。ご高承の通り、日本は現在長期の人口減少過程にあり、2026年には1億2,000万人を下回り、2048年には9,913万人、さらに2060年には8,674万人になると推計されている。(内閣府)
この原因は合計特殊出生率の低下にあり、2020年は前年から0.02ポイント下がった1.34であった。(人口動態統計)
また、新型コロナウイルス禍の影響も重なり2021年には一段と低下する可能性があるといわれている(日経2021/6/4)。

仮に合計特殊出生率が1.32で推移すれば、500年後には人口は縄文期並の15万人になるともいわれている。

 人口減は、人口爆発の副産物だった環境問題や資源枯渇の危機を和らげる可能性はある等のメリットもある。

しかし一方、クライン教授の国力方程式
( 国力=((基本指標:人口+領土)+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)に見られる通り、人口減少は経済力の低下により生産力低下をもたらし、さらに軍事力の低下を招く。その結果、人口減は国力の低下にもつながる。
 

つまり、人口減は日本のあり方を作用する重要な国家の基本問題である。
 人口減への対応として、短期的には、保育所や教育環境、親の労働環境等、
子育てに必要な要素が不足する事等の少子化圧力を除去する必要があることは当然である。しかし、基本的背景には経済発展や女性の教育と社会進出などの社会構造の変化が大きく影響している。これらの社会現象は逆流することは考えにくく、長期的にはこれらを所与として人口減に歯止めをかける諸策が必要である。

 

 このためには従来の発想を捨て、人口減でも持続成長を行いそれなりの国力を維持することを目標とする長期ビジョンを一刻も早く策定する必要がある。具体的には、例えば人と人が共生し、また人と自然が共生する事を前提とし、少数の人口でも実現しうる技術立国を目指ざすなどである。このためには教育制度を見直し、一流の技術国にふさわしい人材育成を行うことが喫緊の課題であり、また、人口対策もかね人材確保の一助となる移民政策をとるなど抜本政策の策定等を含めた日本のあるべき姿を描くことである。
 新内閣の発足も近い。新内閣には、人口減をも踏まえた日本国の未来についての明確な長期ビジョンを提示してもらいたいと願っている。

 編集後記
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 高齢化の進展で医療費の膨張が続いています。特に後期高齢者の一人当たり医療費は92万6千円であり、他の年代に比し極めて高く全体の4割を占めて、財政の圧迫要因となっています。日経新聞が47都道府県別の後期高齢者の医療費を死因別の死亡数等から分析したところ、脳卒中を減らし大往生となる老衰を増やす対策をすることが、医療費節減のため重要な鍵となると思われるという事です。このためには高齢者の働く環境を整えるなどの対策も必要ですが、経験者によると「じっと家にいない」ことが健康長寿の秘訣だそうで、自身の意識の持ち方も重要なようです。

コロナで自粛中心の生活になってきましたが緊急事態宣言も解除されました。許される範囲で活発に活動し、改めて、健康長寿を目指したいものです。
今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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第428号予告
・【書  評】   桜田 薫 『最後の将軍―徳川慶喜』
                  (司馬遼太郎 文春文庫) 
・【私の一言】  吉田竜一 『人間中心のAI 社会原則』

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                               2021年9月16日
                                      VOL.426


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第426号
・【書  評】   岡本弘昭 『生物はなぜ死ぬのか』
                  (小林武彦著 講談社現代新書)
・【私の一言】 吉田竜一 『有権者の意識改革』


             
・書 評
┌───────────────────────┐
◇               『 生物はなぜ死ぬのか 』
◇      (小林武彦著 講談社現代新書) 
└───────────────────────┘
                             岡本 弘昭


 人間は、強い感情を持つ動物であるため死に対してショックを受けるが、死は、他の動物と同じように容赦なく訪れる他利的自然現象である。従ってそれは肯定的に受け止める必要がある。本書は、人間の死についての一つの入門書である。平易に書かれており、同時に進化論から見た現代社会の問題点を指摘している点もあり興味を持って読める。

 本書の概略は次のとおりである。
 地球に存在するあらゆる生物の発生から、死に至るまでの原因と仕組みを比較、最終的に人間の死の仕組みを解説し、死の意味を明らかにする内容である。
 具体的には、生物はミラクルが重なってこの地球に誕生し多様化し、絶滅
を繰り返して選択され、進化を遂げ生き残ってきた。生物が生まれたのは偶然であるが、壊れることにより次が出てくる。ターンオバー(生まれ変わり)は必然である。つまり、生物にとって死は、変化と選択を実現するためにあり、生命の連続性を維持する原動力である。

 その流れの中で、人間の死もこの世に偶然に生まれた奇跡的な命の襷を、次世代に繋ぐためのものである。人間も生まれてきた以上は次世代のために死ぬ必要がありそのようにプログラムされている。一言でいえば生物学的には死というものは、利他的であり、肯定的にとらえるべきものであり、それは種を維持する多様性重視の戦略である。人間もそのことを十分認識しておく必要がある。

 なお、進化論から見た現代社会に対する大きな問題点発議の通りである。
 一つは、地球に現存する推定800万種のうち少なくとも100万種は数十年以内に絶滅の可能性がある。これは地球の多様性の低下につながり、人類の先行きに大きな影響を及ぼす。その原因は人類にあり早急な対策を必要としている。
 二つ目は、現在、日本の人口は減少し続けている。先進各国でも同様な現象があるが、この状況が続けば人類は近い将来絶滅的な危機を迎える可能性がある。少子化対策を真剣に取り組む必要がある。
 三つめは、死なないAIとの関係である。死なないAIは世代を超えて進歩し、人類がコントロール出来なくなる可能性もある。これに対応するには人類を本当に理解したヒトが作ったAI、つまりヒトのためになるAIを作り共存するという事が課題となる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

            『有権者の意識改革』
─────────────────────────                                                                              吉田 竜一


 8月22日に投開票された横浜市長選の投票率は49.05%であった。前回(37.21%)を11.84ポイント上回った。この理由は、立候補者の多さに加え、市がカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致を進めてきたことがある。つまり、市政が民意と異なる方向に推進する中、特に反対の立場から市長選を『声を上げる機会』と捉えた人が相当数いたためといわれている。また、コロナ対応での総理への不満も大きく、事実上の与野党対立の構図になった結果でもあるという。

 この投票率49.05%は前回を上回るものであるが、2019年の統一地方選後半戦の59市長選の平均投票率47.50%並にとどまり、地域の政策論を含めて話題の多い選挙であったが、有権者の過半数は投票に行っていないという問題を残した。
つまり、同市の有権者総数は、3,103,678人。投票者数は、1,522,211人(有効1,507,554)で、当選者の山中氏の得票数は506,392票。これは法定得票率(有効投票数の4分の1)を超えるが、得票数は有権者数の16.38%にとどまる水準であり、これで本当に民意に添った円滑な政策運用が可能かどうかという選挙制度についての問題を残したといえる。

 各種調査によれば、日本の選挙では、国政選挙を含めて棄権した有権者の意識には「どうせ誰がなっても」というあきらめがあって、無党派、無関心派になっているともいわれている。この原因は民意不在の政治が横行する風土もあるが、有権者自身が政策に対して「投票」という権利を行使していい政治を行うという意識が少ないためでもある。
この点に関して、戦後《《3R 5D 3S》という占領政策、特に3S政策を通じて日本国民の政治への関心を抑えることを意図し、その影響が未だあるともいわれている。この真偽は別として、有権者自身が自ら学び・自ら考え・自ら行動できる責任感のある人間になる必要がある。

このままの投票動向では、世の中は民意不在のまま動きかねないと同時に、結局は国・地方とも選挙制度そのものが崩壊することになるのでないか。
国政選挙が近い。責任感を持って国民の義務を果たそう。


 編集後記
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 皆勤賞というのがあります。本来継続して出席・出勤した努力を賞する制度です。特に小・中学校では体を健康に保ち、予定を調整するなどの能力・努力は立派なものとして、多くの学校で採用されていたと思われます。しかし、最近は多様化する時代の中、無理して出席・出勤した場合、体調がさらに悪化したり、周囲の人へうつしてしまうリスクもあり、「価値のある賞」ではないという意見があり、それが昨今のコロナ禍でより強まりつつあるようです。

皆さんのお考えはいかがなものでしょうか。私は決められたことは守る
という道徳面にもつながり継続される意味はあると思っていますが。

今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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第426号予告
・【書  評】   西川紀彦 『感染症の世界史』
                  (石 弘之 著 角川文庫)                                                                                                                                
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                                 2021年9月1日
                                      VOL.425


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第425号目次
・【書  評】   片山 恒雄

                 『日本人の心の傾き~習俗における左右の対立』
           (池田弥三郎著 文藝春秋)
・【私の一言】 幸前 成隆 『唯々諾々か』


             
・書 評
┌───────────────────────┐
◇    『 日本人の心の傾き~習俗における左右の対立 』
◇            
 (池田弥三郎著 文藝春秋)        
└───────────────────────┘
                                片山 恒雄


 私は生来の左利きである。親が矯正してくれたので、箸を使うときや筆を持つとき、算盤をはじくときなどは右手を使うが、ゴルフクラブや歯ブラシ、消しゴム、メンコ、ベーゴマなどは左手をつかってきた。つまり右手で仕事をし、左手で遊んできたと言える。左利きの人を「サウスポー」と言うのは聞いていて誇らしく感ずるが、「ぎっちょ」と言われると差別用語の匂いがしないでもない。会社に就職してすぐの頃、本能的に左の手で名刺を渡してしまった。それを見咎めた上司に、「左の手は汚れているのだ。昔の武士は左の手で縫った着物には、絶対に袖を通さなかったものだ」と諭された。

 さて本題に入る。お雛様は向かって左側に雄雛が、右側に女雛が飾られる。しかし江戸時代までは逆であった。歌舞伎や芝居の舞台では、向かって右側が上手であり、花道のある左側は下手である。天皇・皇后のお姿を拝見すると、天皇陛下が向かって左側にお立ちになり、雅子皇后は右手に立っておられる。
結婚披露宴ではどうか。現在では右側にお嫁さんが、左側にお婿さんが座っていることが多い。宮中と同じ風習である。

 京都は北の中央に大内裏があり、真南に向けて都大路があり、左半分を左京区、右半分を右京区という。左京区は右京区より栄えているが、その理由はわからない。多分地勢によるものであろう。役職では左大臣が右大臣より上位である。従って、上から太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣(徳川家康)・大納言・中納言(前田利家・水戸斉昭)・少納言と続く。お雛様では、天皇・皇后にあたる内裏様、三人官女、その下にいる大臣の中では、黒の着物を着ている大臣が上で、三位または四位以上、五位が赤い着物を着ており、そこまでが殿上人である。

 神社仏閣に行くと、狛犬さんが前に控えている。そこで神様あるいは仏様から見て、左側の狛犬が大きく口を開け、右の狛犬は口を閉じている。阿吽(あうん)である。阿は物事の始まりを、吽は物事の終わりを意味し、阿のほうが位は上である。仁王門を入ると、右側の仁王様は口を大きく開けており、左側の仁王様は口を閉じている。大相撲の番付表はどうであろうか。東の横綱が左で上位に位置し、西の横綱が右で下位である。しかし著者の池田氏が持っている昭和五十三年九月場所の番付表では、今の縦組みではなく横組みであり、左右と東西が今と逆になっているという。

 「右顧左眄(うこさべん)」という言葉がある。広辞苑によれば、「左を振り向き、右を流し目で見ること。人の噂や思惑などを気にして、決断をためらうこと」とあり、右顧左眄と比較して左顧右眄の解説のほうが字数は多いし、解説も「左を振り向き」から始まっている。ということは、本来左が先に来る左顧右眄のほうが正式な表現なのか。私は右顧左眄が正しい表現であると思っており、池田先生も同様に思っておられ、漢和大辞典を引かれたところ、左顧右眄が正式な表現であるとわかった。昔日本でもこの論争は行われたようで、国文学者の泰斗である折口信夫や文豪の森鴎外も著作に右顧左眄を使っている。
翻って中国にも右顧左眄の表現があるという。
こうして見ると左のほうが概して右より旗色が良いようであるが、今の職位より下げられる場合に使われる「左遷」という言葉もある。更に言うと、会社の業績が悪くなると、左前になったという。中国から入ってきた言葉に「左右」があるが、大和言葉になおすと「みぎひだり」と右が先に出てくる。「東西」も同様「にしひがし」と言うほうが言葉としてのすわりが良い。「西東あわれさ同じ秋の風」。日本人は五字から成る文字を二つに分けて言う場合、二音と三音に分ける傾向があり、三音二音で言うと言葉の座りが悪いという。従って、「左右」は「みぎひだり」、ついでに「右や左の旦那様」。「表裏」も「うらおもて」となる。また漢音と和音では、後先が逆になる場合が多い。例えば「雌雄」が「おすめす」、「凹凸」は「でこぼこ」、「風波」も「なみかぜ」、「風雨」は「あめかぜ」、「金銭」は「ぜにかね」、「屈伸」は「のびちぢみ」、「黒白」は「しろくろ」などとなる。

 食べ物の話に移る。お膳で食べる場合、正方形より矩形のお膳が多い。その場合お膳の長い側で、柾目が横に流れている方に座るのは良いが、短いほうの膳を東京では「えびす膳」、関西や東北地方では「左膳」と言って嫌われる。
特に東北地方では、左膳で食べると、果報を取り逃がすと言われている。公平に座れるようにちゃぶ台が生まれたのかもしれない。家の建て方でも、家に向かって左に門や玄関のある家(我が家がそうであるが)は、「左勝手」「左住まい」「ひだり家」と言われる。左勝手の家は、土間から入って、右に囲炉裏が来る。そうするとお客の座る位置がおかしくなるという。そこまで来ると私には理解できなくなる。いずれにしても我が家には囲炉裏がないので心配していない。

 お葬式になると左が登場する。「左柄杓」と言う言葉がある。普通柄杓の水は手前に向けて空けるが、お葬式の場合は、外側に向けて空けるのが習わしだそうである。それはいいが、なぜ左柄杓と言うのかわからない。また、お葬式で会葬者に配るお団子を作る場合、普通と違って左回りに臼を挽くのだそうである。また、たすきを掛ける場合も、「左たすき」と言って、通常と反対の肩
から掛けるのだそうである。そうはいってもラジオ体操は左の動作から始めるし、「左見て右見て渡ろう横断歩道」などと云う。

 最後に著者は、「左団扇」や「左褄(ひだりつま)」(芸者が着物の裾を持つ手、転じて芸者のこと)は必ずしも悪い意味ではないという。そう言ったところで左右論争は引き分けということでお開きにしよう。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

             『唯唯諾諾か』
─────────────────────────
                              幸前 成隆


 「唯唯諾諾」。
 何事もはいはいと、相手に逆わず、おもねること。イエスマンのことである。

 賢者は、唯唯諾諾を好まない。
 趙の簡子は、周舎の死を惜しんで、「周舎の鄂々を聞かざるなり」と嘆かれた。
「簡子、臣あり。周舎という。死す。簡子、朝を聴くごとに、悦ばずして曰く、『千羊の皮は、一狐の腋に如かず。諸太夫の朝する、ただ唯々を聞くのみ。周舎の鄂々を聞かざるなり(十八史略)』と」。羊の皮は千枚あっても、狐の腋の皮一枚の価値もないというが、周舎が死んだ今、はいはいと命を聞くだけで、意見をいう者がいない。

 唐の太宗は、臣下が唯唯諾諾で過ごすのなら、誰でも勤まる、何も人材を選ぶ必要がないと言われた。「このごろ、ただ旨に阿り、情に順うを覚ゆ。唯々として苟過し、遂に一言の諫諍する者なし。あに、これ道理ならんや。もしただ詔勅に署し、文書を行うのみならば、人、誰か堪えざらん。何ぞ、簡択して、あい委付するを煩わさんや(貞観政要)」。

 韓非子は、側近の唯唯諾諾を、八姦の一つとして挙げる。「およそ人生のよりて姦を成す所の者に、八術あり。……二に曰く、旁に在るもの。何をか、旁に在るものと請う。曰く、優笑侏儒、左右近習は、人主未だ命ぜずして唯唯、未だ使わずして諾諾、意に先んじて旨を承け、貌を観、色を察し、もって主の心に先んずる者なり」。
側近にイエスマンを置くと、身を亡ぼす結果となる。


 編集後記
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 9月に入りましたがお元気でお過ごしでしょうか。
 幸前さんの寄稿に続いて、ひと言。【至言は耳に逆らう】といいます。
人は、手厳しい指摘を言ってくれる人を嫌うものです。至言をを受け入れるか、はねつけるか、それで人間の器は分かれるといえます。記者会見の放映を見る限り、現総理は至言をを受け入れる人のようには思えない気がしますが。
近々自民党の総裁選挙がおこなわれますが、新総理には至言にも耳を貸す人を選んでほしいものです。
今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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第426号予告
・【書  評】  岡本弘昭  『生物はなぜ死ぬのか』
                   (小林武彦 講談社現代新書)
・【私の一言】 吉田竜一 『有権者の再教育』

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                               2021年8月15日
                                      VOL.424

             
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 第424号目次
・【書  評】 庄子情宣 『脳寿命を延ばす─

                認知症にならない18の方法 』
                (新井平伊著 文春新書)
・【私の一言】岡本弘昭 『終戦の日に考える』


         
・書 評
┌───────────────────────┐
◇                   
     『 脳寿命を延ばす──認知症にならない18の方法 』
                  (新井平伊著 文春新書)

└───────────────────────┘
                                庄子 情宣


 周知の通り、日本人の平均寿命は毎年最高記録を更新し2019年時点で女性は、87.45歳、男性は82.41歳となっている。一方、脳の健康寿命の限界である認知症は、2012年時点で国内患者数は460万人で、65歳以上の高齢者の15%を占めるといわれている。さらに2025年には高齢者の20%に当たる730万人が認知症になると推計(厚労省)されている。つまり、身体の寿命は延びたものの脳の健康寿命は延びていないのが現状ということである。

 この認知症は、病気でなく正常な老化作用が極端化されたものという説もあり、事実、認知症の患者数は、65歳から5歳ごとに倍増し、80-84歳では24%、85歳以上では56%を占めている。つまり高齢になるほど認知症患者が増えることは事実である。

 脳の研究は、解明出来ないことが多く認知症の発症を防ぐことは出来ないのが現状である。しかし、最近の研究で適切な対応をとれば脳細胞が伸びる可能性があるという示唆もあり、本書は、それらの研究を踏まえつつ認知症の発症を遅らせる2次予防、あるいは進行を遅らせる3次予防を注視し、そのためには
何をなすべきかを考える内容となっている。
つまり、脳の健康寿命を出来るだけ伸ばし、人生をよりよくしたいとする認知症対策の入門書であり、また、脳の最先端医療の現状の概略も記され。全体として高齢者は一読する価値はあるといえる。

 具体的には、人間は意欲が盛んであることで感情と知能が働き、脳の健康が保持される。つまり、脳が健康で人間らしく暮らすには、身体全体が元気であること、血管が元気であることで脳の機能を支え意欲を盛んにする、また盛んな意欲は脳の健康を保持する。本書の副題が、認知症にならないために行うべき18の方法でも解るように、その内容は生活習慣病への予防と治療への対応、意欲保持・向上のための18策で、日常から脳の健康を意識する生活を送る努力すべき事が記されている。つまり、脳の健康の保持には、日頃の生活習慣と盛んな意欲が鍵となるわけで、高齢者は特にその重要性を再認識すべきということである。

著者は、アルルハイマー病の基礎と臨床を中心とした、老年精神医学の専門家。順天堂大学医学部名誉教授。アルツクリニック東京院長



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

             『終戦の日に考える』
─────────────────────────
                              岡本 弘昭


 現在の日本が抱える問題、例えば集団的自衛権、領土問題、憲法改正問題、原発問題など、いずれもアメリカとの関係抜きには解決できない。これは、戦後の日本人は日本人のあるべき主体的な未来像を見ることはなく、一貫してアメリカに憧れ、アメリカの顔色をうかがい、アメリカに守ってもらい、アメリカに振り回されるという、アメリカを軸とする行動をとってきたためといえる。(やりなおす戦後史 ダイヤモンド社)

 つまり、現在の日本にはアメリカ抜きには解決出来ない点が少なくない。ただ一方では、それにより経済大国として繁栄してきた事実もある。戦後76年たった今日、これらを併せて考えつつ改めて独立国としての国の将来を考えるべき時期にあるといえよう。

 戦後の日本の歴史の概観すれば次の通りである。
1945年の終戦から7年経過した1951年に、日本は連合国側の47カ国とサンフランシスコ講和条約を締結した。これは全面講和ではなく社会主義国抜きの片面講和であった。一応独立国家として国際社会入りしたこととなる。このときの内閣総理大臣は対米協調路線の吉田茂で、講和条約締結と同時に日米安保条約を締結した。
以後の日本の基本路線は、「軍隊という高コスト組織」はアメリカに任せ、通商国家として発展を目指す道を選んだこととなり、事実上の占領政策の継続を意味するともいわれている。その後、各内閣の下で日米新安保条約が結ばれるなど対米自主路線が強化されてはいる。しかし、憲法はそのままであり米軍基地が現存している状況は、吉田路線を踏襲しているといえる。このことはアメリカの思考・利害に左右されやすく、独立国家としての思考に影響を与える可能性は高い。

 戦後の我が国は、占領軍諸政策のもとで、新憲法の制定や教育を含むさまざまな制度、マスコミのマインドセット(物事を考える基本的な姿勢)など様々な改革が行われ、そのような事実も生じているといえるが、経済的に発展してきた現状の日本もある。ただ、今日国際情勢は大きく変わりつつあり、米国の力も変化してきている。我が国としては独立国として主体的に考え、自身の責任で将来のあるべき姿を考え対応すべき時期にある。このような観点から、占領政策を含む現代日本史を徹底的に学び直し、現憲法を含む戦後の諸制度を見直し、改革すべき処は改革すべ
き時期にあるといえよう。


 編集後記
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残暑お見舞い申し上げます。

 人間心理に関する用語で「楽観バイアス」という言葉があります。物事を自身にとって都合よく解釈してしまうことだそうで、危険な物事を目にしても自身には危険はないと考えてしまうこと等がこれにあたるといわれます。日常生活における心理的なストレスを軽減するため、無意識に行われるとされますが、現在の新型コロナウイルスの感染拡大の原因の一つともいえます。
酷暑や洪水等の自然災害が続き、過ごしにくい夏ですが「楽観バイアス」に左右されることなく呉々もご留意の上お過ごしください。

今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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第425号予告
・【書  評】 片山恒雄 

            『日本人の心の傾き~習俗における左右の対立』
            (池田弥三郎著 文藝春秋)
・【私の一言】 幸前成隆 『唯々諾々』


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                                    2021年8月1日

                                           VOL.423

 

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 第423号目次

・【書  評】  片山恒雄  『死はこわくない 』

                    (立花 隆著  文芸春秋)

・【私の一言】 吉田竜一 『有事への対応』

 

             

・書 評

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◇                  

                        『 死はこわくない』

              (立花 隆著  文芸春秋)

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                               片山 恒雄

 

 私には、生命の謎として知りたいと思うことが二つある。一つは、死後の世界が存在するかどうかであり、今一つは、人間ひいては生物は、生育のどの段階で「意識」ないしは「心」を獲得するのかである。つまり生まれる時と死ぬ時に関する不思議・神秘である。孔子は論語の中で、「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(私は生すら知らないのに、どうして死を知っていようか)、

また西洋の哲学者ヴィットゲンシュタインは、「語りえぬものについては、沈黙せねばならぬ」と述べており、東洋・西洋の賢人はともに死を語ることを避けている。しかし曽野綾子は、自著「戒老録」の中でこう述べている。「死出の旅という長旅に出るのに、行く先も知らずに出かける人はいない」と。

 

 死後の世界は存在するのかどうか。完全に死んでから生き返った人はいないのだから、聞きようがない。しかし、仮死状態で意識を失った後に、生き返った人はいるので、その人に聞くとかはできる。その一つに「臨死体験」または「神秘体験」がある。典型的な例では、体外離脱の後トンネルを抜けて、まばゆい光に包まれた世界へ移動し、美しい花畑で、先に亡くなった家族・友人果ては超越的な存在である神に出会ったりするという。不思議なことに、臨死体験を経験した人は、細部に多少相違があってもほぼ同じことを言う。中でも死の間際に幸福感に包まれるという報告が数多く寄せられている。それが一段と神秘性を深めている。

 

 アメリカのケンタッキー大学のネルソン教授は、「進化的に古い脳である辺縁系が神秘体験に関わっており、実は人間の本能に近い現象である」と指摘しており、「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験である」とも言っている。動物実験ではあるが、死の瞬間にネズミの脳の中で、セロトニンという幸福感を感じさせる神経伝達物質が大量に放出される現象が確認されている。

死は恐ろしいものか。ギリシャの哲人エピクロスは、「あなたが死を怖れる時は、死はまだ来ていない。死が本当に来た時あなたはそこにいない。だから死は怖れるに当たらない。」と言っている。一種の三段論法であり、それで死の恐怖がなくなるとは思えない。キュープラー・ロスの有名な著書である「死ぬ瞬間」の中で、死に至るまでの心理の過程を書いている。それによれば、人間は自分の死を受け容れるにあたり、次の順序で心理的な過程を辿るという。

「否認・孤立」

           (嘘だ、自分だけが死ぬ筈はない。どうして自分だけが。)

「怒り」(納得できない。理由が分からない。)

「取引」(死は受け入れるが自分の望みも聞いてくれ。)

「抑鬱」(気持ちが沈んでくる。)

「受容」(納得。いつ死んでもいい。)

 

 昭和63年のベストセラーに元検事総長伊藤栄樹氏ががんの宣告を受け(当時は一般的に医師から患者へのがんの告知は行われていなかった)、死の床で綴った「人は死ねばゴミになる」が、ひと時世間の話題になった。しかし、肉体はゴミになっても、精神はどうなるのか。そこが知りたい。精神も消滅してしまうのか。精神だけはいったん天上に上り、次の止宿先を探すのであろうか。

私の疑問は残る。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

             『有事への対応』

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                              吉田 竜一

 

 新型コロナウイルスを巡る日本の対応を振り返って、自粛頼みで、対応は統一がとれず、後手に回っている。それは「緩く、バラバラ、呑気」というこの国の問題点に原因があるという指摘(日経2021/5/31なぜコロナウイルスに敗れたのか)がある。

「緩い」のは制度で、法体系でそうなっており、個人への規制、行政への統制が緩やかであること、「ばらばら」というのは政府内部。国と地方などの機関の運用の問題である。「呑気」というのは、人、特に政治家の危機意識の欠如を意味する。いずれももっとであるが、特に重要なのは「呑気」で、具体的には「危機意識の欠如」、「危機管理の弱さ」、「低いコミュニケーション力」であり、有事に弱い体質である事を意味する。

 

 1946年に公布された日本国憲法は、アメリカ軍占領下にその占領政策に沿って作られたものである。また、1951年のサンフランシスコ講和条約締結と同時に締結された日米安全保障条約は,軍隊という高コスト組織はアメリカに任せ、日本は身軽に通商国家を目指すという路線を示すものであった。これらは、アメリカ本意のものであり、その後より自主路線を目指すものとして1960年には日米新安保条約が締結された。しかし、アメリカ依存の体制は、見返りとして経済的発展もあり、実態はアメリカ追随路線を踏襲し今日に至っている。

これは国防をアメリカに依存するため、いろいろな面でアメリカの言いなりになる、あるいは、ならざるをえないということを意味し、それは日本人の行動様式にも影響を与えているという。つまり、自主性が乏しく責任感がない土壌を作り、これが、有事の危機管理もままならない政治風土を作っているということである。具体的には上記の「緩く」、「バラバラ」「呑気」ということとなる。

 

 世界の諸情勢は日々変化する。政府はその変化に合わせ、国民の生命、自由、安全、財産を守る方策をとる必要がある。現行の憲法と現在の防衛体制が現状のままでいいものかどうか。

コロナ禍を機に、改めて国のあり方を十分に議論すべきであるとの意見がが増えているように思う。私もそう思う。

 

 

 編集後記

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「Times Higher Education(THE)社」が公表するWorld University Rankingsによると、2021年の上位はアメリカやイギリスの大学が占めています。またアジアの大学も中国の清華大20位、北京大23位、シンガポール国立大25位と健闘しています。

 これに対して日本は、100位内に東京大36位、京都大54位。このため、我が国の大学は、欧米のトップ大学はもとよりアジアの大学の中でも存在感が低下していると指摘されています。

日本の大学が世界で存在感を持つことは将来の日本のためには不可欠です。

現状を良く認識して、改めて大学に意義、あり方を考え直す時期が来ているといえましょう。

 

 今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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第424号予告

・【書  評】  庄子情宣 

            『能寿命を延ばす──認知症にならない18の方法 』

              (新井平伊著 文春新書)

・【私の一言】 岡本弘昭 『終戦の日に考える』

 

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    ■ 配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭

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                               2021年7月15日

                                      VOL.422

 

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 第422号目次

・【書  評】   桜田 薫

                 『財政赤字の神話─MMTと国民のための経済の誕生』        

                (ファファニー・ケルトン著 土方奈美訳 早川書房)

・【私の一言】 福山忠彦『「論語と算盤」を貫いた渋沢栄一』

 

             

・書 評

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◇            

    『財政赤字の神話─MMTと国民のための経済の誕生 』

   (ファファニー・ケルトン著 土方奈美訳 早川書房)

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                                桜田 薫

 

 財政支出の半分も税収のない我が国で、政府は財政赤字を永年続けており、最近はコロナ対策費用も加わった。国債発行額は、毎年の税収を積み上げても賄えない巨額の1200兆円になった。私たち経済の門外漢は、日本・破綻寸前(藤巻武史)はともかく、増税やインフレの可能性に不安を感じ、多くの専門家やメディアも「現在の赤字のままでは財政の持続は不可能」と叫んでいる。

MMT(現代貨幣理論)は要するに「(自国通貨を持つ国は)政府の借金が増えてもインフレにならない限り問題ない」として私たちを少し安心させる学説だ。

実体経済の在り方は財政収支よりも経済のバランスが重要で、雇用が十分あって(完全雇用)、インフレ率が低いことが目標になる。著者は、MMT派の経済学者として政治家や主流派経済学者を含む多数の人々が財政赤字についての理解が間違っていると説明する。すなわち(国の収支を家計と同じように考え

て)財政均衡が不可欠と考えたり、国家の債務を国民の負担と考えるのは間違いとして、主流派経済学者の伝統的な理論をコペルニクス的に転回させる。多くの経済学者は金本位制時代(ブレトンウッヅ体制)の発想(財源をどう確保するか)に捉われて緊縮財政で経済を悪化させているという。本書は財政と経済の幅広い論点に触れているが、私がかねがね疑問を感じていた財政赤字が増え続ける問題について、以下に絞って本書の説明を紹介したい。

 

1.(政府財政と家計は違うから借金の心配はない)。家計と政府財政が違うのは、政府が通貨をいくらでも発行できることだ。国家には、今回の新型コロナパンデミック、戦争、天災、不況など緊急事態が発生すれば、対処するために必要とするお金を予算の制約なく支出する。戦時にみられるようにそのような支出がなければ国が崩壊する。つまり支出が収入より優先され、(変動相場制の下の非兌換券なので)お金は必要なだけ国債発行で調達できる。だから通貨主権の国が倒産することはない(ギリシャなどのようにデフォルトの心配はない)。兌換券とは、金、ドルに変換できる通貨。

 

2.(政府の国債は国の借金ではない)。国が国債を発行して国民(正確には民間部門)が購入する。購入した国民は金利の低い(今は殆どゼロ)現金が利子付きの国債(利率は低いが現金よりよい)に代えるが、国債所有者にとって有利な資産になったことだ。つまり政府の赤字は国民の資産(現金所有と同等)だ。

日本政府のコロナ給付金のように政府の赤字で多くの国民の資産が増えたが、増税では逆に国民のお金が減る。国の赤字は国民の資産になり、赤字が国の経済を潤す。

リフレ派のエコノミストが、これまでもたびたび消費税値上げが経済停滞を招いたことを実証している。

 

3. (財政赤字、国債発行の拡大でもハイパーインフレにならない)。MMTは政府に白紙の小切手を与えるものではない。政府の支出能力は無限だが、経済の生産能力は有限だ。それぞれの国に固有の労働力、工場、機械、原材料など実物資産と技術力が支えられる生産力の限界があり、それを超えるとインフレ

になる。それが政府支出の制約でその規模は国によって異なる。多少のインフレに害はないが(世界は2%程度を目標にしているが達成した国はない)、政府は税金(増税)と金融政策(政策金利と金融引締め)でインフレをコントロールできる。(日本や米国のように)自国が発行できる主権通貨を持つ国では、国民

総生産(GNP)増加率より金利を低く維持できるのでインフレは抑えられる。

市中金利をそのまま受け入れる必要はなく、世界の中央銀行は翌日物の超短期金利を設定することができ、長期金利はこれと連動するとされる。

 

 以上はMMTの記述的側面で、現代の不換通貨の仕組みを現実的に説明しているが、さらに政府が得たお金を国民全体の福祉に使う公共政策(処方的側面)の提言が重要だ。長くなるので省略するが私の理解では、格差是正や雇用保証など政策提言に説得力がある。これは米国の共和党の小さな政府に対する民主党リベラル派の主張に共通する。MMTの理論を、対GDPの赤字は増大している米国で多数が支持しているわけではない。しかし現実はそうなっており、日本でも事実上MMTの理論を実践している。世界一の財政赤字でも金利は上がらないし、インフレどころか物価は下落している。反緊縮派のクルーグマン教授は財政支出が金利を上昇させると主張してケルトン教授と議論をしたが、大筋ではMMTに反対していないようだ。米国の元MRF議長たちの発言もMMTと違わない。バーナンキ「政府の支出について・・使われるのは税金ではない。単にコンピューターを操作して、対象口座の残高を増やすだけだ」。

グリーンスパン元FRB議長「政府が必要なだけ貨幣を発行し、誰かに給付することを阻む要因は何もない」。

 なお次の記述(要旨)もある。

*米国の貿易赤字はモノの黒字を意味する。中国にドルを供給する結果になるが、中国はその現金を利子を生む米国債に転換しただけだ。各国が米国債を保有するのは、各国が米ドル保有の必要があるからで、米国は貿易赤字でも借金する必要はない。

*仮に日銀が現在保有する国債(資産の約50%)を全部償還すると、一夜のうちに日本は借金のほぼゼロの国になる。民間部門は国債の代わりに現金を保有することになっただけで、国債の利子が減るが純資産には何の変化もない。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

         『「論語と算盤」を貫いた渋沢栄一』

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                              福山 忠彦

 

 今春、埼玉県深谷市の渋沢栄一の生家と記念館を訪問しました。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公です。「論語と算盤(そろばん)」は彼の事業の集大成として彼の晩年に出版された本です。彼の持論の「道徳経済合一説」は経済界の人々に話すときはもちろん、幼稚園で子供たちに語るときでさえ、最後はこの話をしたそうです。出自は農民ですが、江戸幕府や明治新政府に仕え、500の企業を起こし、600の社会事業に携わった明治、大正、昭和を生きた渋沢です。

 

☆論語に親しみ、藍玉の商いで経済を学び、領主代官所で理不尽を問う

 生まれは1840年(天保11年)亡くなったのは1931年(昭和6年)の91年の生涯です。生家は豊かな農家で、藍玉の製造販売と養蚕を兼営していました。

藍玉は藍の葉を発酵・熟成させて作る染料で、父と共に信州や上州まで売り歩くほか、原料の藍葉の仕入れや調達にも携わり、幼くして経営者の才覚が磨かれました。17歳の時、父の代りに出席した領主代官所で理不尽な御用金の上納の命に、すぐに承諾せず大騒動になりました。父は5歳になると漢籍の手ほどきをし、7歳からは従兄の尾高惇忠から論語をはじめ四書五経や日本外史を習います。慈悲心に富んだ母は恵まれない子女や病気の人、らい患者の入浴の手伝いをする人でした。論語の精神、慈愛の心、経営感覚を十代で体得しています。

 

☆攘夷派志士から、一橋慶喜の家臣へ、そしてパリ万博の随行員へ

 21歳で初めて江戸に来た渋沢は尊王攘夷思想に目覚め、横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画を立てますが、寸前で計画は中止となります。親族に影響が及ばぬように、勘当を受けた体裁をとり京都で過ごします。このころ、渋沢の才覚と人間力に目を付けていた一橋慶喜の重臣の平岡円四郎に、慶喜へ仕え

ることを薦められます。渋沢は攘夷論では日本を救えないと考えていた頃でしたので慶喜に仕える道を選びました。この時、渋沢は25歳。翌年、パリでの万国博覧会の幕府随行員に選ばれます。1年半の欧州訪問での最大の収穫は「合本主義」でした。事業を行うには、最も適した人材と資本を集めて行うという考え方です。多くの人が資本を持ち寄って会社を作る株式会社のことです。

 

☆明治政府の民部省、大蔵省の役人として大久保利通らと働く

 パリからの帰国後は静岡に謹慎していた徳川慶喜に仕えました。そこでフランスで学んだ株式会社制度を実践し、銀行業務と物産販売を兼ねた商法会議所を設立しました。これが明治新政府の大隈重信の目に留まり、民部省、大蔵省で働くことになります。井上馨らと共に国家予算の編成に取り組みました。大久保利通らと激論を交わしたのはこの時期でした。「経済で社会を動かす」「民衆の力で社会を動かす」との思いが断ち切れず33歳で大蔵省を離れます。

 

☆インフラ型の社会貢献事業を主に500以上の会社設立

 大蔵省を辞職した渋沢栄一は第一国立銀行(現:みずほ銀行)の総監役に就任。これが日本初の銀行です。また、大蔵省在職時から計画を練っていた抄紙会社、現在の王子ホールディングスと日本製紙を興します。日本鉄道会社(東日本旅客鉄道),東京電灯会社(東京電力)、東京ホテル(帝国ホテル)、日本土木会社(大成建設)、京阪電気鉄道(京阪ホールディングス)、汽車製造(川崎重工業)などの会社の設立にかかわります。その数は500以上です。また、広く資本を集め事業を起こす合本主義を実践するために、東京株式取引所も設立します。

 

☆福祉・医療・教育・国際交流・民間外交でも活躍

 生活困窮者救済事業の養育院、現在の東京都健康長寿医療センターには生涯にわたり関係を持ちます。日本赤十字社の常議員、東京慈恵医院(東京慈恵会)や癌研究会の設立を行います。当時は実学教育への関心が薄いため、商法講習所(一橋大学)を興します。伊藤博文、勝海舟らと共に女子教育奨励会を設立し、女子教育にも携わります。1879年、アメリカ第18代大統領グラント夫妻の引退後の訪日では渋沢の自邸(北区飛鳥山)で歓迎会を開いています。その後、1902年の渋沢訪米時には第26代ルーズベルト大統領と会談しています。

 

☆実業界引退後も各方面で貢献し91歳で他界

 渋沢は数え七十歳の古希に実業界を引退しますが、亡くなるまでの20年余りの間、民間外交・教育・福祉・医療の分野で活躍します。引退後はアメリカに3度行き第27代タフト大統領、第28代ウィルソン大統領、第29代ハーディング大統領と会談しています。1931年の中国の水害時には義援金募集に奔走します。

ノーベル平和賞候補に1926年、1927年の二回挙がっています。医療の分野では北里柴三郎の日本結核予防協会の評議員、聖路加国際病院の評議会副会長に、更に理化学研究所の設立者総代にもなります。1923年の関東大震災では罹災者収容、炊き出し、災害情報版設置、臨時病院確保などを率先して行いました。

 

☆「合本主義」と「道徳経済合一説」で財閥を作らず

 合本主義は「公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め事業を推進させる」というものです。道徳経済合一説は幼少期に学んだ「論語」を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、国全体を豊かにし、得られた富は社会全体で共有し、社会に還元することです。財閥を形成することなく、社会に役立つ会社や社会事業を次々に作った人でした。

 

☆一言で表現できない明治、大正、昭和を生きた偉大なる人物

 福祉、教育、医療、国際交流、民間外交に費やした年月は長きにわたります。

四人の現職のアメリカの大統領と会談した日本人は誰もいません。今も残る500の会社、600の社会活動を興した人もいません。農民として生まれ、尊王攘夷活動、徳川慶喜の側近、明治政府の大久保利通・大隈重信と共に働き、その後は財界活動、慈善事業で日本の地位向上に努めました。「国を強くするには、政治や軍事よりも経済の確立と民間外交が必要である」という信念を持っていました。この文章のタイトルを「論語と算盤で貫いた渋沢栄一」としましたが、それでは語りつくせない偉大なる人物です。「日本資本主義の父」と多くの本に書いてありますがそれは彼の一面をとらえたものです。「純粋な公益の追求者」であり、「日本全体をよくしたい」と切実に願って行動した91年の生涯でした。今年放映中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で、渋沢栄一はどのように描かれるでしょうか。どこに焦点を絞り、どのような人物として物語を進めていくか楽しみにしています。

 

 

 編集後記

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脳科学者の中野信子先生が名付け親という「正義中毒」と言う言葉があります。

自分が絶対に正しいと思いこみ、自分の考えに反する他人の言動に対して「許せない!」という感情が生じ、正義の名のもとに相手に攻撃的な言葉を浴びせたりして叩き潰そうとする事を脳科学的に表現したものだそうです。自分の考えに反する人を攻撃すると脳の側坐核(そくざかく)と呼ばれる箇所が刺激されて、快楽物質であるドーパミンが放出されるため、過剰な正義感で中毒のように他人を攻撃してしまうというメカニズムだそうです。

また、他人を誹謗中傷してしまう要因としては同調圧力もあるそうです。これは緊急事態的な状況の中で生き延びるために他人との協力が必要で、個人よりも集団の意思決定を尊重する事が求められる時、同調圧力が強く働いて、それが行き過ぎると正義中毒になりやすいそうです。この正義中毒は、誰しもが陥ってしまう可能性があり、特に社会的・経済的危機が続いて社会情勢が不安な時に表面化しやすいのだそうです。コロナ禍の現在一段と注意すべき事柄の一つと思います。

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第423号予告

・【書  評】   片山恒雄 『死はこわくない 』

                   (立花 隆著  文芸春秋)

・【私の一言】 吉田竜一 『有事への対応』

 

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                                    2021年7月1日

                                       VOL.421

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第421号・目次

・【書  評】  矢野清一 『 新編・日本の面影」

            (ラフカディオ・ハーン著 池田雅之訳 角川文庫)

・【私の一言】 岡本弘昭 『低投票率―選挙の話』

 

             

・書 評

┌───────────────────────┐

◇                 『新編・日本の面影』

   (ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著 池田雅之訳 角川文庫)

◇     

└───────────────────────┘

                                矢野清一

 

 実はこの本、読み始めたのは、昨年の年初、COVID-19の問題が発生し、次第に大きな影響が出始めて、外出自粛が言われ始めた頃である。20年程前に是非読みたいと思って買い求めた筈なのに、何故か本棚に入れたままになっていたのを見つけ出して読み始めたのは良いのだが、如何なる原因か自分でもよく分からず、又コロナ問題には全く関係ないのに、丁度そのころから何故か読書のスピードが極端に遅くなってきて、僅か350頁程の本書を読み終えるのに、一年余りも掛かってしまい、我ながら驚いている。未だにその原因は分からないし、特に病院でチェックをしてもらう事も考えてはいないが、自分自身では、老齢化による頭の回転の速度が遅くなった事と、やはり年齢と共に視力が悪くなり、文庫本の小さな活字を追い続ける能力の低下ではないかと考えている。

 

 前置きが長くなったが、この一冊は、コロナ問題で、何か頭の中がもやもやしているこの時期に読んでみて、何か一服の清涼剤を飲んだような、スカッとした気分になれて良かったと感じている。本著の著者の小泉八雲の時代からかなり離れてはいるが、筆者が子供時代を過ごした近江の田舎の爽やかな風景は、当時未だ明治時代の光景や風情を沢山残していて、この本の中に描かれている風景が子供の時に見聞きした情景に非常に似通った所が沢山あって、それらが目の当たりに思い浮かんで来て、<COVID-19>で打ち沈んでいる今、一筋の光を浴びたような気持ちになり、爽やかな気分を抱いた。

 

 本書の著者である小泉八雲は、殆どの日本人なら、その名前を知っている人物であり、大変な日本贔屓で、英国からやってきて、最終的には帰化して日本国籍を取得し、日本に骨を埋めた人物である。著者の職業はと言えば、元新聞記者であったが、日本に来てからは英語教師で且つ作家でもあり、又、それ以前に日本についての博物学者・歴史学者でもあると筆者は考えている。従ってその作品は筆者の知る限り、殆ど日本に関するものであり、有名な「怪談」を始め沢山の作品が発表されており、明治時代の日本の実情を海外に発信してくれた事など、本当に有難き、感謝すべき存在だと考えている。

 

 確か十年近く前に小泉八雲全集と言う名の文庫本について所感を書いた事を記憶しているが、今回、その時とは違うこの一冊を読んで、著者の<日本に対する思い入れ>は、一通りの外的な「美」に対するだけでなく、日本の大昔から引き継がれてきている伝統・文化、更にその奥にある日本人の「心」の内面まで、深く理解した上でのものである事がよく理解できた。この心が、著者が日本に帰化して国籍まで取得した基になっていると思われる。

 

 この一冊を簡単に紹介すると、十一篇の独立した短編からなっており、これらの文章は、著者が初めて英語教師として日本に到着してから、二・三年の間に書かれたものであるが、大変な好奇心と強い熱情が読みとれ、通常の日本人でも余程の深い探究心と熱情がなければ分からないような事まで、熱心に聴きこんで書かれており、驚くばかりである。著者の日本乃至日本人に対する熱情は,略この時期に出来上がったものと思われる。当時は、江戸時代から明治時代にかわって、未だ二十年余りしか経っておらず、日本の田舎では未だ文明開化の影響も大きく受けていない山陰地方にきて、言葉もよく通じない中で、通訳を通じて、聞き取り、探究した著者の努力には驚嘆するばかりであるが、その時の、通詞や道先案内した車引きの御者、更には専門職とは言え本著の訳者達、全ての関係者の著者に対する温かい理解と協力・努力も良く読み取る事が出来て、この種関係者に対しても頭が下がる思いを抱かせるものがある。

 

 目次にある十一篇の文章のタイトルは下記の通りである。

1)  はじめに

2)  東洋の第一日目

3)  盆踊り

4)  神々の国の首都

5)  杵築――日本最古の神社

6)  子供たちの死霊の岩屋でーー加賀の潜戸

7)  日本海に沿って

8)  日本の庭にて

9)  英語教師の日記から

10) 日本人の微笑

11)  さようなら

これらの文章を全部紹介したいところだが、小文の筆者の力では、とても力及ばず、興味のある方には、是非一読されることをお勧めしたい。 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

              『低投票率―選挙の話』

─────────────────────────

                              岡本 弘昭

 

 現在の民主主義の基本の一つは多数決である。これは、全有権者が平等の立場で有効に機能する事が前提である。この下で選挙制度は作られているが、我が国の国政選挙の場合、この4月25日の衆参両院の補欠選挙・再選挙の投票率は、3-4割と低調だったと伝えられている。また、近年の衆院選の投票率は50%台とも伝えられている。(日経4月29日朝刊)

 

 低投票率の原因に、支持政党が明確でない有権者層である無党派層の拡大がある.この層には、政治について多くの情報や知識をもたず、選挙への関心も低い一定の層(伝統的無党派層)と、近年増大した新無党派層がある、前者はいずれの時代でも存在するが、後者は、政治に関する情報や知識が豊富で、選挙への関心も無いわけではないが、関心や期待に応えてくれる政党や政治家がみいだせず、政治不信となり、無党派となった層で、この層が棄権に及ぶため投票率を低下させているという。

日本では、低投票率に関する規定はない。従って、有効投票数の投票数で当否決まることとなる。このことは、低投票率の場合、組織票などの固定表を持つ人や政党に有利な結果をもたらす可能性が高い。その結果、一部の人達の声が政治に強く反映されやく、低投票であればあるほど、政治と自分たちの主張の乖離が大きくなる危険性もある。その理由は。棄権票は、現状の生活に満足し、政治に何かを求めていないこととされるためである。

 

 この秋に衆議院議員の選挙が行われる。このまま低投票率が続くようであれば、一票の格差問題どころかいずれは民主主義の根幹を揺るがすような事態に発生にもつながりかねない時期と思われる。我々有権者は、改めて選挙の意義、投票棄権の問題点を考え、万全を期して投票に参加すべきである。同時に棄権の背景には政治不信があるが、これは現在の議員を選んだ有権者の責任であり、また、その政治家の責任でもある。

 

 今回の選挙に当たっては、有権者は投票率の改善のための努力が不可欠である。同時に現状の政策が目先の利害中心型で、本来の中長期的国家政策が少ないことが政治不信に陥る要因の一つといわれている。有権者はこの点を踏まえ、日本の将来を託せる人物を選ぶ義務があるといえる。それが、低投票率を改善する道の一つでもある。

 

 

 編集後記

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「なぜコロナに破れたか」という記事(日経5月31日朝刊)によると、日本は1945年の終戦、90年代の経済敗戦、今度のコロナ問題と戦後三度の敗戦を経験した事になるそうです。この内コロナ敗戦は、国家の風土が「緩く、バラバラ、呑気」ということが原因と指摘しています。特に政治面では、危機意識の欠如、危機管理の弱さ、場当たり主義、低いコミュニケーション力の諸点が指摘されています。

一言で言えば、リーダー不在と言うことでしょうか。しっかりした政治家を選び、日本の明日に備えたいものです

 

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 第422号予告

・【書  評】  桜田 薫 『 財政赤字の神話」

                (ステファニー・ケルトン著 早川書房)

・【私の一言】 福山忠彦 『「論語と算盤」を貫いた渋沢栄一』

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                                2021年6月15日
                                       VOL.420

               
評 論 の 宝 箱
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第420号目次
・【書  評】  稲田 優 『ロッキード疑獄~角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス~ 』
               (春名幹男著 株式会社KADOKAWA)
・【私の一言】 幸前成隆 『良く人を用いる』
              



・書 評
┌────────────────────────────┐
◇         『ロッキード疑獄~角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス~ 』
          
 (春名幹男著 株式会社KADOKAWA)
◇         
└───────────────────────┘
                                稲田 優


  著者は元共同通信ワシントン支局長などを歴任したインテリジェンスに詳しい春名幹男氏の596頁の書下ろし大作である。
 米国立公文書館をはじめ、ニクソン、フォード両大統領図書館、民間の「国家安全保障文書館」などで大量の文書を渉猟、15年間の長期取材を要した苦心作である。今太閤と人気のあった田中角栄首相が、アメリカからもたらされた情報によって逮捕されたのは、いまから45年前の1976年7月27日。
 今でもいくつもの陰謀説が流布している。「田中角栄が積極的な<資源外交>を展開して米国の虎の尾を踏んだ」とか、「ロッキード社の文書が、誤って米国上院外交委員会多国籍企業小委員会に配達されたため事件が発覚した」といった説だ。これらの陰謀説のいずれもあたらないことがはっきりした。

 長年の取材で分かったのは、キッシンジャーとニクソン大統領が政治家田中の外交政策を嫌悪していたことだった。日本ではニクソン大統領の突然の中国訪問に驚き、田中首相が負けじと「日中国交正常化」を実現したと認識されている。しかし、あの時、米国は狡猾にも法的な「国交正常化」まで行っておらず、
中国からはじっくりと実利だけを得ようとした作戦中だったのだ。
 また第四次中東戦争に伴う石油ショックで、田中は日本外交の軸を「アラブ寄り」に転換し、さらに独自の日ソ外交を進めた。しかし日ソ外交ではキッシンジャーは今も知られていない復讐を田中にしていた。著者の警鐘は、田中首相自身も含め日本側は、当時も今もこうした米側の思惑と外交をほとんど意識していないことだという。

 田中外交を嫌った米政府高官と、ロッキード事件で一見しただけでは分かりにくい工作をして田中首相の名前の入った文書の日本への提供を決めた高官は同一人物のキッシンジャーその人だったことを突きとめた。米国の議会筋と国務省、SEC、ロッキード社との入り組んだ動きを、残された公文書を探し出して、丹念に事実を掘り下げて行ったのが本書の一つの山場だ。

 田中首相が逮捕される1か月前に発売された「中央公論」1976年7月号が田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」という論文を掲載した。
この論文は時流に乗り、わが国では共同幻想のような形で現在に至っているが、裏付けのない推論に過ぎない。いろいろな陰謀論や謀略論があるが、政治学者の新川敏光が斬新な見方を提起しているという。どの陰謀論の源泉も、例の田原総一朗による「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」に辿り着くというのだ。

 田中首相が逮捕された2年後の1978年、81年、85年と3回、キッシンジャーは私邸の田中を訪ねている。ちょうど「現場に戻る犯人」のような心理状態で、田中首相がどこまで自分の関与を知っていたかを探るためではなかったかと、著者はキッシンジャーの胸のうちを推測している。3回目にキッシンジャーの訪問を受けた田中首相はその52日後に、砂防会館で面会した弁護士に「これ
はキッシンジャーにやられた。調べてくれ」と訴えたという。
 ”キッシンジャーは日本で自分の関与が具体的に知られていなかったので、平気で田中邸を来訪することが出来たのだろう。本書が広く読まれてキッシンジャーが日本訪問を躊躇するほどになれば、日本人の情報収集能力が見直されることになるかも知れない”と記して、著者は無念さを隠さない。

 本書の後半四分の一は、ロッキード疑惑の裏に隠されている「巨悪の正体」に筆が進む。ロッキード社がマクダネル・ダグラス社(MD)を抑えて全日空から受注を獲得し勝利した。ロッキード社のために大きく貢献したキーマンは、実は当時の通産相、中曽根康弘だったという確度の高い証言がある。児玉誉士夫の秘書、太刀川恒夫は中曽根の書生をしていた人物だ。中曽根は児
玉とつながっていた。
 
 A級戦犯7人が絞首刑になった翌日、1948年12月24日に19人の戦犯容疑者が釈放された。その中に児玉誉士夫と岸信介がいた。岸信介には当時ニューズ・ウイーク外信部長のハリー・カーンが付いて岸をフォスター・ダレス国務長官らに売り込んで岸政権発足を裏面から支援した。岸とCIAの関係を著者は長年、取材の課題にしてきたという。元CIA副長官補佐官で、秘密工作のあり方に失望して退職したビクター・マーケッティは、「岸は我々のエージェントではなく同盟者だった」と証言したという。

 また一方で、著者は1990年代、米国立公文書館で「児玉ファイル」を発見して以後、児玉取材を深めてきた。終戦の年の11月13日付でバーンズ国務長官は、連合国最高司令官政治顧問ジョージ・アチソン宛に秘密文書でこう書いた。
「児玉は8月に東京に戻った後、内閣参与になった。…朝日新聞が提供した飛行機で巨額の金を持って東京に戻ったと言われる」。
 後に児玉の通訳・黒子として裏で活躍する日系人の福田太郎はGHQの通訳としてフランク・オニール検事の児玉誉士夫の取り調べに立ち会った経験を有する。
1957年末、ロッキード社が日本のFX商戦に本格参入するため、販売戦略にたけた幹部社員を日本に派遣した。その幹部社員ジョン・ハルが最初に雇い入れたのが日系人の福田太郎だった。ロッキード社が福田太郎に紹介された児玉と契約した第一の理由は、児玉がすでに米空軍情報部などの情報機関と関係を持っ
ていたからだとみられる。

 本当の巨悪は、丸紅から田中角栄、全日空とつながったルートとは比較にならないほど巨額の金が動いた。防衛力を強化した日本に米国製軍用機を売り込む利権に群がり、日本の人脈と金脈を形成した。裏にアメリカの諜報機関の暗躍があった。日米安保関係の土台に巣食った構造汚職ともいえるが、今回は児玉誉士夫から先に広がる闇を暴くことはできなかった。
 児玉は1972年までロッキード社からコンサル報酬と追加報酬を合わせて14億2000万円を得ていたほか、成功報酬として70億円が約束されていた。P3C対潜哨戒機の50機以上の確定注文で総額25億円の追加報酬も約束されていた。軍用機は原資が政府予算であり、国民の税金が児玉に報酬として支払われることに
なる。明るみに出たら日米安保体制は大きく揺らぐ。米政府が唯一警戒していたことだ。全般的に著者の真摯な取材努力には頭が下がる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

              『良く人を用いる』
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                              幸前 成隆


 事の成否は、人をよく用いるか否かにある。十八史略に、漢の高祖が天下を得た所以を問うた話が出ている。 

 あるとき、高祖が洛陽の南宮で酒宴を開いて、「徹侯諸将、皆言え。吾れの天下を取りし所以は、何ぞ。項氏の天下を失いし所以は、何ぞ」と、尋ねた。
高起・王陵が、陛下は戦いに勝つと、その利を分け与えられたが、項羽はそれができなかったのが、違いだと答えた。
 

 これに対して、高祖は、あなた方は一を知って、二を知らないと言った。曰く。「籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房に如かず。国家を填め、百姓を撫し、餽餉を給し、粮道を断たざるは、蕭何に如かず。百万の衆を連ね、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、韓信に如かず。この三人は、皆人傑なり。吾れ、よくこれを用う。これ、吾が天下を取りし所以なり。項羽は、一の范増あれども、用いること能わず。これ、その吾が禽となれる所以なり」。

 攻略をめぐらすのは、張良にかなわないし、国政を治めるのは、蕭何に及ばない。また、軍事になると、韓信にかなわない。しかし、この三人を使いこなせたのが、天下を取った理由で、項羽は、傑物の范増を使いこなせなかったから、負けたのだ。
 高祖が張良の献策を用いたから、張良も心服し、また、韓信を斎王とし、上将軍の印綬を授けたから、韓信は裏切らなかった。一方、項羽は、范増に「豎子、謀るに足らず。将軍の天下を奪わん者は、必ず沛公ならん」と言わしめた。

 よく人を用いるには、度量が必要である。


 編集後記
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 ジャクソン・ルーMIT経営大学院助教授によると、「マスクの着用率を、
コロナ禍のような生命に関わる状況に於いて、集団主義的な文化の国(地方)と個人主義的な文化の国(地方)で比較したところ、米国国内でも世界的にも集団主義文化の国(地方)の方が高いという。(日経ビジネス月月14日号)」
集団主義的文化のもとでは、他人に迷惑をかけてはいけないという行動が危機に対してうまく機能したということであるが、一方、組織行動学では、この文化の差はイノベーション力に影響するとしている。
 個人主義や集団主義といった文化は、長い歴史の中で醸成されたもので一朝一夕には変えられないが、それぞれの長所をうまく取り入れ、国の長期的発展を目指したいものである。
 言うまでもなく、日本はマスクの着用率が高い国である。

 今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)
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第421号予告
・【書  評】  矢野清一 『 新編・日本の面影」
    (ラファカデイオ・ハーン(小泉八雲)著 池田雅之訳 角川文庫)
・【私の一言】 岡本弘昭 『選挙の話』

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                                       VOL.419

             
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第419号目次
・【書  評  片山恒雄 『知の巨人「荻生徂徠伝」』
                (佐藤雅美著  角川書店)
・【私の一言】高津 隆 『石牟礼道子、語る

                ─1970年代インタビュー記録』
               (聞き手 冨崎 哲、アルテリ10号)』



・書評
┌───────────────────────┐
◇                    『 知の巨人「荻生徂徠伝」』

                (佐藤雅美著  角川書店)
◇         
└───────────────────────┘
                               片山 恒雄


 著者は荻生徂徠(1666~1728)を次のように褒めたたえている。
「江戸二百五十年にわたり、日本人は脳に磨きをかけ続けた。明治に入って、人文科学、社会科学および自然科学が西欧から入ってくると、それらに素早く対応し、自家薬籠中のものとすることが出来たのは、ひとえに漢学、儒学の素養があったことによるものであり、その知の競い合いの頂点に立っていた人物がほかならぬ荻生徂徠であった。」

 彼は生来の漢学好きであった。父のすべての蔵書を読みつくした後は、近くの寺に通って、五経(「詩経」「書経」「易経」「春秋」「礼記(らいき)」)さらには「論語」「孟子」「大学」「中庸」などの四書を読み漁った。徂徠が学友に送った手紙に、「大昔日本人は文字を知りませんでした。やがて王(わ)仁(に)氏が文字を齎らし、吉備真備(きびのまきび)が訓読法を考案し、菅原道真が文運を隆盛にし、藤原惺窩(せいか)が経学を中興させました。この四君は
学問世界に冠たる人と言って良いでしょう」と書き送った。徂徠の漢学に対する知識欲は日を追って盛んとなり、倦むことなく読書に埋没していった。彼の名前は徐々に広まり、やがて縁あって、柳澤吉保に仕えることとなる。

 徂徠の漢学に対する向き合い方は、一般の学者と比べて異色ともいえるものであった。彼は子供の時から、「従頭(じゅうとう)直下(ちょっか)」と言って「返り点」や「捨て仮名」に頼る(これを和訓廻環(かいかん)という)ことなく、上から下へまっすぐに読み下すのを信念としていた。漢文の元祖である中国人と同じ読み方である。徂徠はそれでも飽き足らず、中国人と同じ発音で読みたいと考え、「唐音」を発する明の学者に師事した。さらに徂徠は広く日本人の漢学の勉学に資するために字書(辞書)の編纂を志した。字源を解明するためには、古今の漢籍を広く深く渉猟しなければならない。徂徠の実力は日増しに向上し、日本人の学者の中で並ぶもののないほどの実力者になった。初学者は彼の字書を頼りに勉学にいそしんだ。

 江戸時代には、儒学の中でも朱子学が幅を利かせていた。林大学頭を頂点として、将軍から武士に至るまで、朱子学の勉学にいそしんだ。朱子学では、宇宙を理(目には見えないが、宇宙を支配している真理・原理)と氣(もやもやしているが、目に見える実体のあるもの)から成るというスケールの大きな学問である(理氣二元論)。とりわけ「人はかくあるべしとして、君臣の義、父子の
親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五倫と仁、義、礼、智、信、の「五常」の規範や名分を重んじた。裁判もこれを基準として裁かれた。従って朱子学は為政者にとって都合の良い学説と言えた。江戸時代には儒者で最も羽振りの良かったのは、木下順庵という幕府のお抱え儒官であり、この分野の頂点にいた。
その弟子は、新井白石、室鳩巣など多士済々であったが、徂徠はこの仲間に入らない非主流派を通した。

 徂徠は専門外の経済の分野にまで顔を出している。十七世紀の後半に商品経済活動が活発化し、それに応じて金融・流通も盛んとなり、日本経済は拡大した。当然通貨供給量も増加させなければならない。貨幣の改鋳にも徂徠は一家言を有していた。「総じて金銀の品位をとやかく言うのは、両替屋ぐらいで愚かなことである。一両は所詮一両として流通するのであり、質を論ずることに意味はない。貨幣の供給量が減れば、世の中は不況になるということである」。

 この言葉は、白川方明日銀前総裁の下で日本経済がデフレに苦しみ、バブル後の経済回復の面で先進国の後塵を拝することになったのに対し、黒田東彦現総裁は通貨供給量の思い切った増大を図り、経済を回復しようと試みたのとよく似ている。徂徠の主張に同調したのは、大岡越前守忠相(ただすけ)であり、吉宗を励ましたという。吉宗は徂徠の聡明さに目をつけ、何とか彼を召し抱えようとしたが、彼は「考えることがございますので」と言って辞退し通した。
彼の関心は俗世間の名誉ではなく、もっぱら学問の探求、儒者としての誇りにあったと思われる。一方、生涯彼とは反りの合わなかった新井白石は、家宣の侍講から累進して筑後守となり、千石を領して政治顧問を務めた。

 徂徠に死が近づいてくると、側近の一人が、「宇宙に二人といないほどの偉人が死ぬときには、必ず霊なる不思議が起こる。君らは外に出てよく見ておけ」と言った。時の老中であった安中城主の板倉伊予守勝明は「徂徠荻生先生伝」で、彼の臨終の際のことを、「是の日天大いに雪降る」と前置きして、「海内第一流の人物茂(も)卿(けい)(荻生徂徠のこと)、将(まさ)に命を隕(おと)さんとす。天為めに是の世界をして銀ならしむる」と記した。

 最後に誠に残念でならないことは、江戸時代にあれほど隆盛を極めた漢学が、夏目漱石、森鴎外や尾崎紅葉など明治の文豪を最後に衰退して行ったことである。
中国(当時の支那)の衰退と無関係ではあるまい。豊かな表現力は豊かな感性を培養する。漢学の復興を祈るや切なるものがある。


 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

   『石牟礼道子、語る─1970年代インタビュー記録 』

           聞き手 冨崎 哲、アルテリ10号』
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                               高津 隆


 些事で恐縮だが、僕は昨年桜の季節、古来稀な年を迎え、お役御免、お払い箱となった。以来「こんなはずじゃなかった」老後を強いられ、閉塞感から抜け出せまま、気が付けば、1年が経とうとしている。
 そんなある日、生まれる前からの幼馴染が送ってきたのが、失礼ながら無名の同人誌『アルテリ10号』(アルテリ編集室 2020年8月)だった。
「石牟礼道子、語る」はそこに載っている。聞き手の冨崎哲氏はNHKの元プロデューサーで、国際ラジオ放送「ある日の本人」のディレクターをしていた。
約半世紀のときを経てよみがえった石牟礼道子へのインタビューは読み応えがあり、その確かな手ごたえとともに、世代を越え伝えていくべき大切な記録であり、とても新鮮な感銘を受けた。それはこのインタビューが、あの厳しくも熱くて激しかった当時にとどまることなく、“いま”という時代に至る流れの中で熟成された記録としての価値の源泉にたどり着いているからだ。

  正直にいえば、僕は石牟礼道子については『苦海浄土』くらいしか読んだことがない。それもいまとなっては、細部はもとより、主要なあらすじ以外はおぼろ気で、全くふがいない限りである。逆に、僕の連れ合いはほとんどの作品に目を通し、いまも偉そうにいろいろと語ってくれる。
ということで、なかば義務感で読み進めていったわけだが、それでも石牟礼道子が語っていることには、僕をその世界に引きずり込むような強い思いによって紡がれたことばのもつ魅力とエネルギーが紙背を通して伝わってきた。

 いつもの癖で、ところどころマーカーを引きながら読んでいく。
「ジャーナリズムを含めて、彼らには共通語がある。その共通語の中で論じていたら安全というか、自己完了してしまっている」
「共通語を壊してゆくような思想の営みというのはできないか」
「水俣が鏡になって、ずーっと照らすと、日本が、いろんな問題が、鏡に映る」
「人の流れが歴史とともにあって、そこにいる人は本当に波の間に没していく」
「『苦海』と『浄土』はぐるーっと地球、お日様と月をめぐって輪廻する」
「この世がどんなに光に満ちて、ものたちが喜々として生きてきたか/失楽園とは逆の世があった/潮が満ちてくると、潮の満ち引きとともに何かそういう世界があった」
(「患者さんと添い寝するように書いておられる気がする…」という問いに)
「私はそう言われるから本当につらい」
「やっぱり隙間があって、隙間をもちろん本能的に埋めようとするわけですけど、その隙間、亀裂を残してしか人間との関係はもてません」
「子どもはね、共有することを拒否するんですから、自分の体験を」
「吹っ切れれば、さぞ楽だろうかと思いますよ。吹っ切れないですね。何を流されているんでしょうかね」
(そして最後に)
「言葉を大事にしたいけど、その言葉がなかなか出てこない」

 インタビュー全体が実にリアルで、ことばの一つひとつが尖がっているというか、生きているというか、輝いている。計算された編集によるものではなく、自然な流れなのである。本文半ばあたりと末尾に出てくる描写、《沈黙》そして《長い沈黙》は単なる無言の時間ではない。そこには語ろうとしても発しえない石牟礼道子の生きざまに根差した豊かだけど、深くて重たい情念とか感情
のかたまりみたいなものがぎっしりと詰まっている。

 僕は現役のころ、会社史の編纂に関わり、記録資料の整理、保存、展示を目的とする企業史料館の開設と運営に携わってきた。ビジネス・アーカイブズと呼ばれる分野だが、その活動のひとつとして、その時々に意志決定を下した経営トップ、事業推進の過程で成功や失敗など結果を問わず、役割をきちんと果たしたキーマンたちに広くインタビューをしてきた。
その過程で、インタビューで共感、関心、興味を引き出す秘訣は、事前準備の量と質はもちろん、必要なことを引き出すためのストーリーを自分で具体的に描くようにすること、深掘りするタイミング、どの切り口で問いかけるか、ということだった。用意した一問一答では話題を展開できない。膨らまない。

 石牟礼道子に聞く冨崎氏の語る部分は決して多くはなかった。しかしそのインタビューにはなんといってもはっきりしたストーリーがある。同時に事実に基づくドラマ性すら感じられるのだ。言い換えれば、話の端々に出てくることの情景が目に浮かぶ映像のような文章になっている。元々は15分番組のための取材だったが、実際の聞き取りは3時間以上に及んだという。当然、編集されるから表に出ない場面、カットされた発言のほうがはるかに多い。だから使わなければもったいない、という部分もたくさんあったはずだ。それが光ることばによって文章化され、“秘話”となり、記録として次代に繋がっていくこととなった。
 

 石牟礼道子は、すでに歴史になりつつある。それだけにいまの時代にあって、こうしたインタビューの詳細が世に出ることは実に有意義だと思っている。


 編集後記
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 新型コロナウイルスのワクチンの第一回目の接種を先週受けました。皆さんはどのように対応されているでしょうか。
 この接種申込のアクセスの悪さには参りましたが、接種そのものは順調だったと思います。ただ、今回のコロナへの政府対応については、各界から批判されていますが、その多くは戦略の無さ、対応の遅さに関するものといえます。
 旧日本軍の組織論的研究に「失敗の本質」という本がありますが、現在のコロナへの政府対応は、この本にあげられている失敗の本質がそのまま継続されているという指摘もあります。戦後80年近くたちますが、日本人はいまだ変わっていないと言うことでしょうか。

今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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第420号予告
・【書  評】  稲田 優 『ロッキード疑獄~角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス~ 』
                (春名幹男著 株式会社KADOKAWA)
・【私の一言】 幸前成隆 『良く人を用いる』

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   ■ 配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭
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                                2021年5月15日
                                     VOL.418


             評 論 の 宝 箱
            https://hisuisha.jimdo.com
             https://ameblo.jp/hisui303/ 
             見方が変われば生き方変わる。
             読者の、筆者の活性化を目指す、
             書評、映画・演芸評をお届けします。
                         

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第418号目次
・【書  評】  前川 彬 『男の業の物語』(石原慎太郎著 幻冬舎) 
・【私の一言】 福山忠彦  『半藤一利さんに学んだ昭和史』



・書評
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                        『 男の業の物語』
             (石原慎太郎著 幻冬舎)
◇         
└───────────────────────┘
                                前川 彬


 本書は、書名のとおり男の世界を題材にした小話全42編の随筆を一冊にまとめた本である。話のタイトルを見ても、「男の執念」「博打」「男の面子に関わる話」「男の美徳」「果し合い」「男の自負」「男の遊び場」「男の約束」「男の気負い」・・・といろいろな角度から男の行動の様相を取り上げている。
冒頭の「友よさらば」は一橋大学時代の文芸仲間であった西村潔氏の話であり、著者の人生を決めるほどのすばらしい友人でありながら最後は悲劇的な別れとなってしまったことを語り、次編の「死ぬ思い」では、ヨットレースやダイビングツアーで著者がまさに命がけの危機的な体験をしたことを語るなど、読み進むほどに次々と男の世界が広がってそれこそ男ならではの痛快さを感じる。

 話のテーマは多岐にわたっており、中には知人から聞いた話もあるが多くは著者自身の体験に基づいているために話に迫真力があり、また意外と思える結
末もあったりして読者を飽きさせない。それは著者のキャリアと無縁ではなく、
芥川賞作家でありながら国会議員、大臣、東京都知事をやり、趣味もサッカー、ヨット、ゴルフ、テニス、スキー、スキューバダイビング、射撃など多彩であることが大いに寄与していると思われる。その意味でこのような著作は石原慎太郎氏にしか書けないと言っても過言ではない。

 思うに、著者が青年から壮年の時代を送った頃の日本には男の世界はまだ健在であったが、それ以降だんだんと男の行動様式にチェックがかかるようになりいまは男の世界が随分狭まってきているのではないか。そうすると、本書は昭和ひとケタ生まれの作家のノスタルジックな作品と受け取る人も多いのではないだろうか。また実話であるが故に、順風満帆の人生を歩んだ人にありがちな自慢話や他人を貶める結果となっている話もありそこは少々気になる。

 そういうことは別として、文芸作品として見れば、本書はテーマや内容に面白く読ませる工夫がされていて読み物として絶品である。とくに、楽しい話題が少なく気持ちが暗くなりがちな昨今、読んで楽しくなる本の存在は貴重である。
老いてますます盛んな著者に今後の健筆を期待したい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

          『半藤一利さんに学んだ昭和史』
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                              福山 忠彦


 多くの方が学生時代に教わった日本史は、20世紀に入ると、それまでの丁寧さと打って変わって駆け足で終わったという苦い経験を持っていると思います。
いつか明治以降の日本の歴史をしっかり学びたいと思っていました。それを叶えてくれたのが、今年1月12日に亡くなられた半藤一利さんでした。半藤さんは生粋の小説家ではありません。文芸春秋社の社員で専務取締役を務めた方です。1930年に東京都墨田区で生まれ、1945年3月の東京大空襲では焼夷弾の中を
逃げまどう体験をしています。戦後は新潟県長岡市に疎開し、県立長岡中学、旧制浦和高校を経て東京大学文学部国文科を卒業し文芸春秋社に入社します。
流行作家の坂口安吾の原稿取りを担当し、歴史を推理する発想を学びます。仕事で旧軍人の話を聞く時、「旧軍人は嘘をつく」ことに直面します。他人の話を自分のことのように話す人、自己弁明する人が山ほどいることに気づきます。
それを指摘すると相手は、「お前みたいな戦争を知らない奴に何が分かる」と激高されることが何度もありました。「歴史の当事者は嘘をつく」ことを学び、「体験を語り継ぐ」難しさを体験します。社内で「太平洋戦争を勉強する会」を開催し、それを「日本のいちばん長い日」としてまとめ上げ、「大宅壮一編集」として出版しました。その後、1995年、65歳で文芸春秋社を退社し本格的
に作家の道を歩みます。明治以降の日本の歴史を中心に執筆し、「歴史探偵」と自称します。文芸春秋編集次長時代に大宅壮一編集として出した「日本のいちばん長い日」を、当時の事情で差し障りがあって隠蔽せざるを得なかった事実や、その後分かった史実を加え「決定版」を、著者半藤一利として再出版しました。1945年8月14日正午から翌15日正午までの24時間を1時間ごとに濃密なドキュメントに仕上げた本です。この本は映画化が二度なされ最初は三船敏郎が、二本目は役所広司が主役の阿南惟幾陸軍大臣を演じています。いずれも迫真の映画です。ご覧になった方も多いと思います。これと「昭和史」が半藤一利さんの代表作です。

分厚く長い、しかし読みやすい戦前、戦後に分けた「昭和史」
 「学校ではほとんど習わなかった昭和史のシの字も知らない私たち世代のために、手ほどき的な授業をお願いします。」との要請に応じ、編集スタッフを相手に1回2時間、月1回、寺子屋風に語って出来たのが「昭和史 1926-1945」(昭和元年から20年まで)と「昭和史 戦後編 1945‐1989」(昭和20年から昭和の最終年の64年まで)の2冊です。半藤さんの語りが文章化され、連綿と流れる歴史を意識した構成が特徴です。
2冊目の「昭和史 戦後編 1945‐1989」は、章立ては初めの章で「天皇・マッカーサー会談に始まる戦後」、第1章「無策の政府に突き付けられる過酷な占領政策」、最後の第15章は「昭和元禄のツケ」で1972年(昭和47年)までで終わっています。そしてまとめの章で「日本はこれからどうなるのか」で締め括っています。本のタイトルである1945―1989年よりも17年短い昭和戦後史です。
これについて「1970年代以降は皆さんご自身が生きてきた「現代史」です。私たちはともにこの時代を生きて来ました。また、現実問題としては、データが完全に出きっていないことがあります。国際的にも情報公開法といって、30年間は資料を出さないことが認められています。今後、新たな資料が出てきて、「お前の話と全然違うじゃないか。」といわれる可能性もあります。」と「昭和の語り部」はその誠実さで事情を語っています。

歴史の勉強は昭和時代から遡る方式に変えてはいかが
 半藤一利さんの本は編集者を40年間やった経験に基づきます。今は令和、その前は平成です。昭和は終わって30年以上過ぎました。私の提案です。これからの歴史教育は積極的に昭和時代を教えてはどうでしょうか。昭和時代から遡るように資本主義時代、軍国主義時代、武士支配の封建時代、貴族による荘園
時代と振り返っていくと、歴史の新しい発見があると思います。コロナ後の日本が輝きを取り戻すためには抜本的発想の転換が必要です。半藤一利さんは「無私になれるか」、「小さな箱から出る勇気を持てるか」、「大局的な展望能力があるか」、「他人様に頼らず世界に通用する知識や情熱を持てるか」、「君は功を成せ、我は大事を成すという悠然たる風格を持つことが出来るか」
の五項目を巻末の最後に私たちに問うています。これに応える行動を心がけ、コロナ後の日本を輝かせましょう。


 編集後記
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 新型コロナウイルスのワクチンの接種が始まりました。このワクチンについては生存率が高いことから必要ないという意見や、副作用もあり接種を見送った方がいいという意見もありますが、私は月末に接種を予定しています。皆さんはどのように対応されているでしょうか。
 この接種申し込のアクセスの悪さには参りました。また、高齢者の接種は七月末には完了させる目標のようですが、多くの自治体では不可能とみているようです。このような現象を含めて、我が国のコロナ対応はちぐはぐであり、緊急事態への対応は全く悪い国のように思えます。

 新波剛史サントリー社長は、この点について次のように記されていますが私も全く同感です。
 「新型コロナウイルスは、政治や文化の枠組みを優に超えて、生き物としての人間が人間を感染させることで増殖を続けています。だからこそ、各地の対応を見ると、それぞれの政治や文化の強靭さや脆弱性が浮かび上がってくるようです。残念ながら日本の場合、特に強く見えてくるのは後者でした。ただ政治を批判するのではなく、この災いを転じて、有事に対する議論をタブーとしない社会風土をつくれないものか。皆さんとの率直な議論、そしてアクションにつなげられたらと思います。」(5月13日日経ビジネス電子版)

今号もご寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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第419号予告
・【書  評】  片山恒雄 『知の巨人「荻生徂徠伝」』
                (佐藤雅美著  角川書店) 
・【私の一言】  高津 隆 『石牟礼道子、語る

                 ―1970年代インタビュー記録―』
                (聞き手 冨崎 哲、アルテリ10号)
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    ■ 配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭
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