「幸せの翻訳家」なんて

紹介されることのある僕だけど、

「幸せのど真ん中」を教えてもらったのが、

この手記です。

 

小児がんで

小学生のお子さんを亡くされたお父さんの手記、

「ルンルンななちゃんの宇宙」。

 

この手記より

3秒でもっとハッピになる名言セラピー+

に掲載させてもらったのが

こちらの内容です。


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息子、宗一郎のお話をしますね。

彼は平成十年331、光の世界に帰りました。

最後の3ヵ月は病院ではなく自宅で過ごしました。


そのときのわたしたちは必死でした。


なんとか病気を治して元気な宗一郎になってほしかったんです。

でも、いまから思えば

もっともっと

一緒に楽しんであげればよかったと思います。


日に日にやせ衰え、痛みに苦しむ息子を

私たち夫婦は精一杯看病しました。


自分では歩くこともできない息子を 

背中におんぶして

お風呂にそのままの姿で入ったとき、

痛みが少しやわらいだ息子の顔は 

とても幸せそうでした。

 

支えているわたしも泣きながら、

お風呂につかっていました。


いてくれるだけでうれしい!!!

生きていてくれるだけでありがたい!!!


夜は私と妻の間になって寝るのですが、

30分ごとに訪れる痛みをやわらげるために

私たちは宗一郎の体の位置を変えて さすってやりました。


正直いって とても辛かったです……


でも……いてくれるだけでいい……


彼がいなくなることが 怖かったんでしょうね。

辛い痛みのなかでも できるだけ、

私たちに 笑顔をみせようとしていた子でした。


「おかあさん、ごめんね」


「もっと元気だったらおかさん、おとうさんも疲れないのにね」


「おかあさん、ぼくもっと生きたいよ!!!


でも、もう、これはいけないと思い、病院へ連れていく車の中で

意識があまり定かではない宗一郎がこう言ったんです。



「おとうさん、おかあさん、

 信じあって、助けあって、分かり合って生きてゆくんだよ』


 『悲しいときや 苦しいときほど、笑うんだよ』


 『自分をせめることが 一番いけないんだよ』


などと強い口調で私たちに言うのです。


病院での最後のとき……

声にならない声で言った

宗一郎の最後の一声(ひとこえ)が……


「ありがとう」なんです。


それまで全身の痛みで抱くことができなかったのですが、

最後は母親に抱かれながら 静かに息をひきとりました。


ーーー引用ここまで。


小児がんの子供達の夢は、

「ぼく、大人になりたい」だそうです。

「早く退院して家に帰って、お父さんとお母さんとラーメン屋に行きたい」

だそうです。

 

僕らは、彼らの夢のような毎日を過ごしています。

僕らは、今日、夢のど真ん中を生きているのです。

幸せはなるものはなく、気づくもの。

 

昨日亡くなった人が

なんとしてでも生きたかった今日を

僕らは生きているんです……

 

だから、

どんな日だって

ほんとは奇跡の1日なんだ。



8月11日、昨日、

宗一郎くんの

お墓参りに北海道の十勝に行ってこれたんですが

その直後に見れたのが

この夕陽です。


宗一郎くんに祝福してもらった気持ちになりました。




太陽なのに
日と
が共存してるように見えて
日と月で明るいって字になりますから
『ひすいさん、
 これからもみんなの心を明るくしてね』
と宗一郎君が言ってくれた気がしました。


宗一郎くんのお父さんに

なぜこの名前を付けたのか

聞いてみたんです。

宗とは宇宙のことだそう。

そして

宗一郎くんの町は

昔、銀河戦という路線があって

銀河鉄道という電車も走っていたようです。

街のホールの名前も銀河でした。

 

宗一郎くんは下記の3つのことを

伝えにやってきた銀河からの

使者だった気がしました。


「信じあって、助けあって、

 分かり合って生きてゆくんだよ』


 『悲しいときや 苦しいときほど、笑うんだよ』


 『自分をせめることが 一番いけないんだよ』


宗一郎くんのメッセージしっかり受け止めたよ。


これからも一緒に生きていこうね!


宗一郎くん

そして、お父さん

昨日はありがとうございました!!