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                              2024年6月1日 VOL.491

 

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 第491号・目次

 【 書 評 】 桜田 薫『日本歴史を点検する』   

            (司馬遼太郎著、海音寺潮五郎著 講談社文庫)

 【私の一言】 広中崇夫『少子化(出生率の低下)の根底にあるもの』

 

 

【書 評】

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 ◇                 『日本歴史を点検する 』

 ◇         (司馬遼太郎著、海音寺潮五郎著 講談社文庫)              

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                                      桜田 薫

 

海音寺は司馬の22才年長。この歴史文学の巨匠二人が共鳴しながら日本人論を含めて縦横無尽に語り合う。司馬史観は周知のとおりだが、海音寺の蘊蓄もそれ以上だ。古今東西の豊富な知識とともに、歴史的な出来事や人物に対する著者たちの解釈と世界観が示される。木戸孝充、勝海舟、大久保利道、西郷隆盛、吉田松陰、島津斉彬など人物評もある。両氏の対話は奥深く幅広いので、ここでは明治維新に関連する部分だけ以下に要約して紹介する。そこには天皇論が大きな部分を占める。

 

明治維新をもたらした当時の志士など日本人の思想的背景として、江戸時代の観念論、朱子学や陽明学が尊王による革命論の素地になった。また幕末の平田篤胤のような国学も神道的な国粋主義者を育てた。吉田松陰などが広め幕末の志士に支持された一君万民思想(唯一君主にのみ生来の権威を認め、その他の臣下、人民の間には原則として一切に差別はない)は、階級社会を打破し町人、百姓からも志士が輩出する魅力的な平等思想であり、天皇の権威強化に役立った。

 

このような思想は江戸後期の教養人の間で広まっていたが、維新の直接的な原動力は当時の国際情勢であり、維新は先進文明国から滅ぼされるという危機感から起こった。佐久間象山など知識人は世界情勢を知っていた。その結果、富国強兵だけが我が国の唯一の理想になった。尊王攘夷論は広まったが短命だった。(尊王攘夷という言葉は中国の春秋戦国時代の周王朝に忠誠を誓った諸侯のために生まれた言葉。北畠親房の神皇正統記、水戸の大日本史もその精神に倣ってできた)。長州の志士たちの尊王攘夷論は、元治元年の蛤御門の乱と関門海峡の4か国海軍との戦争の惨敗で終わった。長州は転向し薩摩との連携によって明治維新は成功したわけだが、海音寺はこの重要な変化を明確にしていないと歴史家を批判する。当時の長州藩は存亡の危機だったが、世界情勢を知る聡明な勝海舟が国防論で西郷を説得し、寛大な措置を取らせて長州を救った。勝は大政奉還を坂本竜馬より先に考えており、木戸孝充含めて幕末から維新にかけて我が国の人物の賢覧さはフランス革命に匹敵する。‘尊王’は富国強兵の術として採用されたもので、2流以下の人の宗教であり、明治の3傑と呼ばれる人々(木戸、大久保、西郷)は天皇信者でないという。(伊藤博文や山縣有朋は違う)。天皇とは、史的事実から言えば神あるいは大神主。神は現実の政治にかかわらないが、天皇を中国の皇帝のように見る思想は中国から入った宋学(朱子学)によって出てきたものだ。日本で天皇家が政治に関わったのは平安朝の仁明・文徳天皇まで、そして明治から昭和の終戦までのほぼ70年だけだ。大化の改新までは日本は統一国家でなく氏族国家、天皇はその集合体の代表だった。

 

王政復古の名分で生まれた明治政府は政治形態をどうするか悩んだが、古事記から大日本史にある天皇政治の立場を生かすことにした。明治憲法は皇帝の権力が強いドイツ憲法に倣っているが、第一次大戦までの帝国主義全盛の時代に生きる術として役割を果たした。廃藩置県で統一国家になった日本の実体は国民に分かり難かったが、天皇を中心に置くことで成功した。‘天皇に忠義’は国是になった。明治初年の庶民の“天皇さん”はお伊勢さんのような感覚で政治権力の中心ということはよく分からなかったらしい。それで将軍と同じ立場にあるが、より神聖であるという説明をした。肥前では役人が‘天皇さん’はお稲荷さんより偉いという説明をした。

 

維新運動の大功績は日本が統一国家になったことと廃藩置県で市民社会が生まれたことの二つだ。一君万民思想の賜物だが、庶民が学者は大臣、大将にもなれる世の中になった。これで日本が初めて世界歴史の本流に合致した。(他の大部分は試行錯誤の連続だった)。

 

本書はちょうど50年前の刊行だが、著者の言説は今でも示唆に富んでいる。明治維新のほかに、例えば共通の儒教文化圏にある日本人の無思想性を朝鮮人、中国人と比較がある。江戸時代の封建制度のほうが各藩で汚職も少なく、藩校の人材育成によって明治以後に活躍した人材が都会でなく地方から輩出したことなど改めて気付いたこともある。一読をお勧めしたい。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

            『 少子化(出生率の低下)の根底にあるもの 』

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                                 広中 崇夫

 

2065年8808万人、2115年には5056万人まで日本の人口は減少すると予想されている。(日本の将来推計人口2017年国立社会保障人口問題研究所)

何故ここまで人口は減少していくのか。出生率を回復させ、人口減少に歯止めをかけることはできるのだろうか。

結論的に言えば困難である。人口減少は社会の変化の結果であり、この変化を止めたり、遡ることが困難だからである。

少子化(出生率の低下)の根本的な理由を端的に言えば、近年、男女の役割分担が変化し、均一化、平等化したことと考える。以下時代を辿って見る。

  1. 昭和期以前(太古より)は男が働き、女は家事、育児を行うという家族内の役割分担が確立していた。女性は自立できる程の職場は殆どなく、自立はかなり困難な時代であった。結婚により家事、育児を受け持ち、男性は家事、育児を妻に依存することにより仕事に専従した。男女の役割分担を前提に家族が成り立っていた。

そしてこの時代は、夫の収入だけで家計を賄うことができた。

  1. 昭和30(1955)年代から多くの家電が発売された。更に最近ではスーパーやコンビニでの総菜や冷凍食品の充実、外食産業や宅配の伸長により、家事に関わる時間は大幅に削減された。
  2. このことは女性の社会進出の意識を芽生えさせ、高度経済成長による雇用需要も相俟って、働く女性が大幅に増加した。女性が自立できるようになった。喜ばしいことであるが、同時に男性にとっても一人で生活することが容易になり、男女共に家庭を持つ必要性が薄れた。婚姻率の低下→出生率の低下を招いたという側面がある。
  3. 近年非正規社員が急増したことや、女性の社会進出が男性の給与の上昇に抑制的に働いたこともあり、夫一人の収入で家計を賄うことがかなり困難になってきた。夫婦は共働きが常態となり、家事、育児も分担することとなった。永年続いた男女の役割分担が崩壊し、均一化し平等化した。
  4. 自立の困難な非正規社員が多くなり、両親と同居することで住居費、生活費を両親に依存せざるを得なくなった。両親も自身の子供の数は少ないので、子供との同居に左程負担を感じない。同居は親子共にある意味、心地良い状態であり、結婚へのモティベーションは上がらない。
  5. 更に女性の高学歴化は結婚年齢を高齢化させ、出産適齢期間の短縮化となっている。

 以上が出生率の低下の理由ではないだろうか。

 

女性の高学歴化や社会進出が悪いと言っている訳ではない。これらは近代化がもたらした必然で、不可逆であるということである。

従って少子化対策は必要ではあるが、このような社会の流れの中で、出生率の大幅な回復は困難と言わざるを得ない。

経済的には研究開発やデジタル化、規制緩和などを推進して労働生産性の向上を図り、一人当たりGDPを増加させることが重要である。

また人口減少を前提にした都市と地方の関係や、社会インフラのあり方などを、根本的に見直さなくてはならない。

 

 

   編集後記

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  「厚労省が5月に公表した将来推計によると、2050年の認知症患者は586万人と22年比で

   32%増える。認知機能が年相応より低下する「軽度認知障害(MCI)」は631万人と同

   13%増。合計は1217万人と同21%増え65歳以上の3割が症状を持つ計算だ。一方、介

   護人材は23年度で22万人、40年度は69万人が不足するとされる。(日経5/26)」 

   これをカバーするために新技術の開発が期待されていますがコストなどの問題もあります。

   結局は、生活習慣病の回避。社会的関わりを持つ、人と会う、運動する等の認知症予防の

   ための自己努力を早い時期から徹底的に行い自己防衛せざるを得ないといえましょう。

   なお、認知症は80歳以降に有病率が急上昇すると言われており、長寿の人生最後の10年

   は極めて厳しいという事が再確認されますすが。

   

   今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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   第492号・予告

  【 書 評 】 片山恒雄『生命の意味論 多田 富雄著 新潮社』(多田富雄著 新潮社)   

   【私の一言】 福山忠彦『SDGs達成には「世界の人口増加の抑止」がカギ』

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