〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

                                      2019年11月1日

                                            VOL.381

                       評 論 の 宝 箱

               https://hisuisha.jimdo.com

                https://ameblo.jp/hisui303/ 

 

               見方が変われば生き方変わる。

              読者の、筆者の活性化を目指す、

               書評、映画・演芸評をお届けします。

                         

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

第381号

・ 書 評   西川紀彦  『天皇の影法師』 

               (猪瀬直樹著 中公文庫)

・【私の一言】 片山恒雄  『台風避難記』 

                       

 

・ 書 評

┌─────────────────────────────────┐

◇              『天皇の影法師』

◇           (猪瀬直樹著 中公文庫)

└─────────────────────────────────┘

                                             西川 紀彦

 

 単行本としては、1983年3月に朝日新聞社から発表されたノンフィクションである。

今回平成天皇譲位により新天皇即位と新元号が制定されたのに伴い、元号に関す

る書籍がいくつか出回っている。この本はその一つである。たいへん興味深く読んだ。

時間を作って再読してみたい内容だ。以下の4話題が収録されている。

 ・天皇崩御の朝に─スクープの顛末

 ・柩をかつぐ─八瀬童子の六百年

 ・元号に賭ける─鴎外の執着と増蔵の死

 ・恩赦のいたずら─最後のクーデター

 

 “天皇崩御の朝に─スクープの顛末”は、大正天皇崩御による新元号の決定経緯

について、東京日日新聞(毎日新聞の系列)の杉山記者が他社に先駆け、「光文」と

の情報を号外発表したが、正式決定は「昭和」となり杉山氏は結局この誤報がもと

で5年後に新聞社を退社せざるを得なくなった事情が上司との対立の中で描写され

ている。

「光文」との情報が一部に漏れたため、急遽新元号検討委員会は再会議を開いて

「昭和」と発表を変えたとのうわさもあったようだが、真相は最初から「光文」は候補

にもなっていなかった。杉山記者はバロン杉山と呼ばれるような風貌魁夷の政治部

記者で、当時の清浦首相筋から情報を得たうえで確信をもって上司に諮ったが、こ

れがもとで新聞社の名誉を著しく傷つけたことになってしまった。毎日新聞の衰退の

一因ともなった(当時はトップの発行部数を誇っていた)。

その後はジャーナリズムとは全くかかわりを持たず、中島飛行機の中島知久平(のち

に政治家で大臣まで出世)の国策研究会で働いたという。因みに中島の縁で枢密院

顧問で元号選定委員長の立場にあった黒田侯爵の助人中島利一郎(黒田藩史編纂

者)が発案したのが「光文」であったようだ。70数歳まで静かに余生を生きぬいた。

なお、「大正」は朝日の緒方竹虎がスクープしたもので、同氏はその後大編集長、大

政治家にまでなった。

 

 “柩をかつぐ─八瀬童子の六百年”は京都の比叡山の近くの山村八瀬村(鞍馬へ

行く京福電鉄の終点)の天皇家との関わりについての物語りで、この本の中で一番

興味を持って読んだ。古くは中世期ごろから天皇家への薪の供給でつながりがあっ

た、特に南北朝の頃(1336年)後醍醐天皇が足利尊氏の迫害にあって坂本へ落ち

延びる際に、八瀬村の童子が鳳輦をかついで助けた歴史があったようだ。

爾来天皇崩御に際しては必ず柩をかつぐ動員の声が宮中からかけられ、その代わ

り地租の免除を受けていたという。

 都が京都から東京に移っても、明治天皇の御陵は京都に置かれたので八瀬村の

人はわざわざ東京まで出張って最初から最後まで柩の運搬に関与したという。

600年というのは1300年から明治の終わり1911年までを言うのであろう。

 

 “元号に賭ける─鴎外の執着と増蔵の死”は森鴎外の「元号考」(未完)の著作に

関連した物語りで、増蔵というのは鴎外の唯一の弟子吉田増蔵で、鴎外は彼に

「元号考」の完成を託した。鴎外は明治政府直轄の陸軍所属の軍医であり、また

宮内省図書頭にあり宮内大臣(一木喜徳郎)と近い関係にあった。

早くから新元号の検討を政府側と同時に宮内庁側でも検討しており、鴎外と吉田は

宮内庁側でいくつかの候補を検討していた。そのなかに、吉田の主導した「昭和」が

あった。鴎外は萬世一系即ち天皇制そして元号そのものの虚構性を認識していた。

この虚構性を必要とならしめるには、それなりの裏付け、時代を仕切る意味がないと

いけないとの認識があった。

明治という国家は士族的ロイヤルティ 封建的な主従関係で成り立っていたが、近代

的な自我を内実とした天皇制に変革するための元号でなければならない。

鴎外はこのように元号考をかんがえて政府とは距離を置いていた。そのため一切の

官位、褒章を受け取らなかった。残念ながらきちんとした天皇制国家と新元号の姿を

見ることなく大正11年年7月死去する。逆に吉田は昭和の太平洋戦争開戦の詔書

作成にまで関わり、昭和1612月死去する。鴎外とは対照的な最期であった。

鴎外の墓は三鷹の禅林寺にあるが、郷里の津和野から一族の墓がここに集められ

ており、鴎外の墓には官位の記載はなく、ダダなぜか亡くなった大正11年の文字だ

けが記載されているという。

 

 “恩赦のいたずら─最後のクーデター”は、終戦降伏を納得せず、松江の青年団が

クーデターを計画し、決起寸前で挫折、首謀者の岡崎、波多野らが自決未遂に終わ

り刑に服していたが、戦後の憲法制定、サンフランシスコ条約による独立という契機

に全員恩赦を受け、その後の彼らのそれぞれの生きざまを描いている

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

              『台風避難記』

 

───────────────────────────────────

                              片山 恒雄

 

 10月12日(土)から13日(日)にかけて、日本を襲った第19号台風は、大型・強風・

多雨という点で、昭和33年の狩野川台風並みと言われた。振り返って拙宅は、築後

50年という木造家屋で、果たして耐えうるかを考えると、心もとない気がして、嫌がる

妻を説得して、避難先の荻窪区民センターを訪れた。避難する理由はほかにもある。

今まで何回も氾濫した善福寺川(井之頭池の湧水を水源とし、神田川に合流し、隅田

川に注ぐ)が近くを流れていることと、家の前にいつからかわからない電柱が建ってい

ることである。

  

 防災服に身を固めた杉並区役所の職員10名ほどが親切に対応してくれ、案内され

た部屋は畳敷きの10畳と6畳の和室を、襖で仕切ってある。先着の若い女性2人は

大部屋におられたので、我々は遠慮して、6畳の小部屋(茶室)に陣取った。

入口に近いので、入室者が手に取るようにわかるが、殆どが若い女性である。

思えば、地方から上京し、学校または会社に通うにあたり、小さな部屋を借りて一人

で暮らしてきたのであろうか。そこへ大型台風の到来とあっては、心細い気持ちが先

に立って、友人を誘って避難してきたものと思われる。

 そのうち隣の若い女性たちが、副食の缶詰やら菓子パンやらジュースなどを差し入

れてくれる。おなじ境遇にいて同志的な親近感が生まれるものと思われる。我々夫婦

の同室者は、一人は老年、一人は中年の女性と若い高校の女教師であった。男性は

私だけであり、部屋の隅で狸寝入りをしていると、毛布を掛けてくれたり、座布団を足

にあてがってくれる。

私は退屈しのぎに、イヤホンでラジオを聴いていると、もっぱら台風情報一点張りで、

日ごろ深夜放送に親しんでいる私にはつまらない。やむなくロビーに降りて、妻が作っ

たおにぎりを二人で食べていると、何となく避難して来たんだなぁという感慨が生まれ

る。

 

 我が家はどうなっているのか気になるが、ラジオを聴いている限りでは、家がつぶれ

たという報道はない。明け方近くになって漸くうとうとし掛けたと思ったら、隣の部屋が

やかましい。無事一夜を過ごせたという喜びに、心浮き立つのであろう。我々も帰ろう

とすると、同室の中年の女性から肩を揉ませてくれと言われ、後ろに回って丁寧に揉

んでくれた。何回か謝辞を重ねたが、もう少しもう少しと言われ、結局30分ほど揉ん

でくれた。重ね重ね感謝の言葉を述べ、避難解除を確認の上妻とともに区役所の職

員にもお礼を言って帰路についた。

 

おかげで家は無事であり、秋の日差しを浴びた我が家を健気で愛おしく感じた。

生まれて初めての避難生活は、若い女性たちと一夜を過ごした楽しい記憶を胸に抱

いて、本当に良い経験をしたと思っている。

 

 台風過 避難所の朝 明け初めぬ

 

 

《編集後記》

 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

温暖化の影響からか異常気象が続きその結果として経験したことのない災害が続き

ます。

このような災害の下で命を守るには、いろいろ考えられますが、日頃から天候であれ

ば気象情報に接し、行政から知らされているハザードマップから周囲の環境を熟知し、

必要があれば早めに避難する覚悟でいるといった事前の心構えと自助努力が重要

であるように思えます。

今号では、片山さんの初めての避難所の体験を掲載させていただきました。

事前準備の参考になればと思います。 

 

今号も貴重なご寄稿有難うございました。(HO

 

∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

第382号予告

・ 書 評   入江萬ニ 『観光亡国論』 

                (アレックス・カー/清野由美著 中公新書クラレ)

 ・【私の一言】 幸前成隆 『責任を取る』 

                              

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★