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今すぐ話したくてウズウズしてくる歴史

歴史を読んでると、アイデアが湧いたりして生活に活力が出てきます。そういうことを書いてますんで、どんどん読んでください。

幕府が開国を選んだのは、
真剣にヨーロッパ諸国の力を
恐れたからです。

「このままでは勝てないし、
その前に日本が分裂してしまう」

という意識が、
彼らの技術を学んだり
購入させたのです。


軍艦も多数揃えるなど
軍備を整えだしたのも、

そういう力を背景にして
国内の反乱分子を黙らせる
効果も期待できます。

そのために
国内世論を統一しておく
必要があるのです。


そこで考えられたのが、
公武合体論です。


井伊直弼のような
強力なリーダーシップが取れない幕閣たちは、

力のある人たちで
うまく組んで乗り切りを図るのです。

こうして新将軍家茂と
孝明天皇の妹和宮の婚姻が実現します。


これで尊皇派も
佐幕派も手を取って
戦えるはずでしたが、

あからさまに
皇室を政治利用したことに、
かえって尊皇派の怒りを煽ってしまいました。


最近も
民主党の小沢一郎議員が
天皇の政治利用をしたとして
猛バッシングを受けましたね。

よく覚えておきたい教訓です。


さて、
老中の安藤信正は、
江戸城坂下門で襲撃されます。

一命は取り留めましたが、
結局失脚してしまいます。

公武合体論は
うまく受け入れられなかったのです。
幕府の考えは開国でした。

黒船にはかなわないから
仕方なく従うしかない。

こういう現実主義からの結論です。


阿部正弘は国内の議論を
活発にしましたが、

外国のいいなりになる幕府や
将軍の権威を軽んじる風潮も
作ってしまいました。

その後も将軍の後継問題で
あちこちから口出しが出るなど、
さらなる権威の低下に
苦しむようになります。


そういうときに
井伊直弼が登場します。

彼は阿部と正反対の政策に踏み切りました。

つまり、
徹底的な言論弾圧です。


安政の大獄と呼ばれるこの弾圧は、
開国だが文句あるかと、
とても強い姿勢で臨まれました。

これに勤皇と攘夷の思想を持つ
水戸浪士がブチ切れます。

こうして起こったのが
桜田門外の変でした。


ただ、
この頃はまだ
尊皇攘夷という思想に
までは高まっていません。

高まったのは、
攘夷思想です。

彼らにとって
攘夷思想は命がけの
真剣な革命思想にまで
高まっていくのです。


暴力で高めようとした幕府の権威は、
江戸城の門前で
最高幹部が惨殺されたことで
落ちるところまで落ちてしまったのです。




⑤幕府の結論(尊王・佐幕・開国を混ぜた公武合体論)
弱った幕府が
下々に相談してくる
(勤皇と佐幕のはじまり)


強大な力を持った外国人に
手も足も出ず困った幕府。

老中首座の阿部正弘は、
国中から
「いい知恵を募集してますよ」
と呼びかけます。

これまで、
外交というのは
幕府がほぼ独占する権限でした。

それを
意見まで言っていいよという
空気にしてしまったのです。

堂々と議論ができるようになると、
そこから前向きな意見を出す者もいれば、
原因をよく考えて
幕府が悪いと結論づける者も出てくるのです。


当時の欧米諸国と言うと、
諸地域を奴隷的な植民地にしたり
アヘン戦争のような
いいがかりのような戦争を
起こしていることが知られていました。


つまり、
見え見えの侵略に対して
毅然と対応できないような
頼りない幕府ではなく、

天皇の統治する世の中に
戻した方がいいんじゃないかという思想が
おおっぴらに
語られるようになるのです。

こうして勤皇思想が始まったのです。

その動きに、
将軍への固い忠誠を持った武士たちが
対抗を始めます。

有名な新撰組は、
勤皇思想の高まりで
将軍の権威が低下したことに
危機意識を持った人たちの集まりでした。

しかし、時代は依然として開国と攘夷が主な話題でした。



④安政の大獄(勤皇思想を真剣にさせる)