エラスムス『痴愚神礼賛』、プラトンとニーチェと釈迦、人の愚かさと東西の思考習慣の相違 | 書と歴史のページ プラス地誌

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私の郷里の上越地方(糸魚川市、上越市など旧頸城郡)の歴史・地誌をはじめ、日本列島、世界の歴史・社会・文化・言語について気の向くままに、書き連ねます。2020年11月末、タイトル変更。

 かつてイタリア人にエラスムスという人がいました。『愚神礼賛』という本を書いています。イングランドで暮らしたこともあり、有名なトマス・モアの友人だったといいます。

 この人は、人間という生き物は、本来、愚か(stupid)であり、歴史的にも様々な愚かしいことをやってきただけでなく、(当時の)現在も愚かしいことをやっていると述べています。もちろん、愚かだといっても、人間の知性がミミズや蛙のレベルと同じというわけではありません。それらの動物に比べれば、人間がはるかに高い知性を持つことは言うまでもないでしょう。エラスムスが言うのは、全知全能の神(もしそのようなものが存在すれば)に比べれば、愚かだということです。

 人間が愚かだという認識は、古代ギリシャから行われており、あの有名なソクラテスも、思索家であり、かつ思索家であるがゆえに人間の愚かさをよく理解していました。時代が近代になり、18世紀になってからも、ケーニヒスベルグに住んでいたイマヌエル・カントは、例の二律背反(アンチノミー)を提示して、人間の理解力の限界を示しています。一応、念のために書くと、私たちの住む宇宙全体(コスモス)について、時間または空間が無限の広がりを持つと考えても、逆に有限であると考えても、私たちの頭脳はその矛盾(二律背反)を解決することができません。もし時間がある時点から始まったと考えるならば、その前はどうだったのか? 突然、時間が始まったならば、なぜ、何が時間を始めたのか? 「全知全能の神が始めた」と答えても、それは答えにはなりません。というのは、その神はいつから、どのようにして存在しているのか、という別のアポリア(難問)が出てくるからです。しかし、始まりを持たない無限の昔から宇宙は存在していると考えても、私たちの理解力を越えています。

 この点では、現代の理論物理学・宇宙物理学も大同小異です。一時、ビッグバン理論が提示され、一世を風靡し、すべての問題があたかも解決されたかのように誤解されたことがありましたが、そうではありません。もし完全な「無」(虚無)から世界が始まったと考えるならば、私たちは、体積も質量も完全にゼロの時点から出発しなければなりませんが、そのような点=特異点は、現在の物理学でも数学でも扱うことはできません。ビッグバンの最初の時点で宇宙のサイズがどんなに小さくても(たとえ1ミクロンでも)ゼロではないからです。というわけで、現代の物理学が宇宙のすべてを解明したなどと考えるのは、門外漢の無理解にすぎません。

 上にあげたカントも、私たちは決して宇宙の全体を観察しているわけではないことを理解しており、また私たちの認識に根底にある認識装置が人間にアプリオリに備わっている形式に依拠せざるを得ないことを認めました。つまり、カントはエラスムスを事実上認めたわけです。

 東洋ではどうでしょうか? かつてインド(正確にはネパールか?)で悟り(涅槃)を得て仏陀となったゴータマ・シッダールタは、当時のインド世界で行われていた諸思想を調べ、それらがそれぞれ部分的な真理を持つものの、あくまで部分的な認識にすぎないことを喝破し、それらの思想家諸氏が自分の説くところが正しく、他の人々が説くところが間違っていると争い合っているのを揶揄し、正覚を得ようと努力したようです。彼は宇宙の果てがどうなっているか、宇宙がいつ、どのように生まれたのか、など人間の認識限界を超えた問いには、答えずにただ黙ったとされています。

 話をエラスムスに戻しますが、当時、つまりヴュルテンブルクでカソリシズムを批判し、宗教改革運動を本格的に展開したルターの生きていた時代にあって、エラスムスも、カソリシズム、あるいはローマ・カソリック教会の個々の具体的な行為を批判していました。そのことを知っていたルターは、エラスムスも自分の宗教改革運動に賛成・協力してくれるように期待していたようです。しかし、エラスムスは、決してルターの運動に加わりませんでした。どうしてでしょうか?

 これは私の意見であり、絶対に正しいというわけではありませんが、両者の間には、本質的な相違があったように思います。

 まずルターですが、彼のカソリシズム批判は根底的であり、端的に言えば、教位制(教皇を頂点とし、枢機卿・司教・司祭・平信徒と続く位階制)なしで、福音書に対する信仰のみで救済があるという主張までゆきつきました。これは、教階制を通してのみ神の国に達しうるという最初期からの伝統的な教義を真っ向から否定するものでした。

 しかし、エラスムスは、それとは異なっていたように思えます。彼は、教会の「堕落」、つまり個々の誤った教義や行為を批判しましたが、誤りは愚かな人間の常、それを少しづつ正してゆくことができ、またそうすることしかできないと考えていた節があります。したがって、エラスムスがルターに協力することはありえなかったはずです。

 ここでは、価値評価につながるようなことを書くことは差し控え、どちらが正しいとか間違っていたということはせず、どちらの立場もありうるという前提で次の話につなげますが、それでもルターの宗教改革運動がもたらした哲学的難問について触れないわけにはいきません。

 

 果たしてマルティン・ルターが以下で論じるようなアジェンダ(論点)について何時から考えを深めていたのかは、よくわかりませんが、結果としてルターは、そしてその改革運動をさらに先に進めたジャン・カルヴァンの新教は、新しい哲学的な難問にでくわしました。

 教階制と聖職者を通じて自己の罪を懺悔し、贖罪を通じて天国に到るという思想を拒否したとき、人(キリスト者)はいかにして天国の門に到ることができるのか? この根本的な問いです。

 福音書(新約聖書)を読めばよい? 確かにルターもカルヴァンも福音を読むことを最も重要な行為としています。しかし、教階と聖職者を本質的な救済手段として放棄してしまった以上、本質的に言って、残されたのは、福音書とそれを読む自己だけです。しかも、福音書を読んだことのある人ならすぐわかりますが、マルコも、ルカも、マタイも、ヨハネも、それぞれが相互に異なった物語を提示しています。もちろん、4福音書を通じて(これぞキリスト教だという)大きな物語を思い描くことはできるでしょう。しかし、福音書に接したら、確実に天国に行けるのか? なぜ?

 しかしながら、これについてルターは、そしてカルヴァンはいっそう、平信徒にとって衝撃的としかいえない教えを説くことになりました。ルターは、恐る恐る、しかしカルヴァンは実にはっきりと、言いました。全知全能の神自身は、始まりを持たず、常にいるが、ある時、全宇宙を創造し、また人間を創りだした。そして、その時、神は今後生まれてくるすべての人々の救済を、また(カルヴァンの場合は)非救済をもあらかじめ決定した、と。この神の恐るべき予定(神慮)を知ろうとしてはならない。占星術などもってのほかである。ひたすら自分が救済されること(救済予定)を信じて、福音を信じなさい、と。

 もちろん、自分が救済されると確信できる宗教的な達人ならば、それでよかったかもしれません。しかし、自分がそれほど神に愛されるような義人ではないかもしれないと疑う人はどうでしょうか? 多くの人の間に不安が広がったことは言うまでもありません。しかも、新教では、もはや教会に行って祈っても、お賽銭を寄付しても、司教・司祭に相談しても、一切の行為が救済にとては無駄なのです。

 しかも、もう一つの問題が知識人の間では生まれました。「全知全能の超越的絶対神があらかじめ予定したということは、人間には行動の自由がないということだよね?」あるいは「個々の人間の行動は、本人の意思とは関係なく、あらかじめ決定されているということ?」というわけです。

 こうして宗教改革は、神の性質(nature)、人間の意思自由などに関する形而上学的なアポリアを生み出しました。ここでは、私は、それらを詳しく論じるほどの文献も読んでいないので、紹介することは省きますが、それが新しい近代スコラ哲学を展開しかけたことは確かです。しかし、結局、中世と異なって、近代はそのようなスコラ哲学を十分に展開することなく終わりました。

 その理由は、私にはよくわかるような気がします。ここでミルトンをあげておきますが、彼は、宗教改革の影響を受けた人々の一人です。しかし、その彼が言った言葉が有名です。

 

 「私は、そのような神を好きになれない。」(自分で創造した人を地獄に落とすような神って、何?)

 

 しかも、これは、単に人間の自由意思の存否の問題にかかわるだけではありません。

 古くから議論されてきた一神教上の問題として、「神義論」というものがあります。この世界は全知全能の超越的絶対神、しかも慈愛に満ちた神が創造したというけれど、それじゃどうして、この世には悪がはびこり、人々の生活は苦難で満ちているのという疑問です。旧約聖書では、普通「ヨブ記」がこの問題に答えを与えているとされ、生活が苦難で満ちているのは、神が信仰の確かさを調べるために「試練」を与えているのだよ、と説明されます。つまり、ここでは人の自由意思が前提とされており、その上で神に対する信仰の堅固さが試されているというわけす。

 

 そのような次第で、すでに17世紀ともなると、多くの人が予定説に触れなくなり、18世紀ともなれば、予定説は忘れ去られます。そして、新教の教義は、まったく新しい別の土台の上に移されてゆきます。19世紀には、予定説は、単なる歴史学上の興味を引くだけの古びた思想となってしましました。

 

 さて、ここまで様々な事を書いてきましたが、おそらくキリスト教を信仰している人にとってはあまり愉快な話でないことは、私も承知しています。しかし、ある人が語った通り、「不条理ゆえに我信じる」ということもあり、深く信仰している人にとっては、これで信仰心が揺らぐようなことはないでしょう。

 

 むしろ、ここで自分が問題としたいのは、人間の愚かさであり、そうした人間に特徴的な思考習慣です。

 さて、哲学者の木田元さんの書かれた本に『反哲学入門』というのがありますが、これが私にとっては、これまで読んだ哲学書の中で最も興味深い本でした。その内容を詳細に紹介することはできませんが、それを元に私なりにアレンジした超略哲学史を論じてみたいと思います。

 きわめてスイ―ピングに言うと、西洋の思想史は、①プラトン以前、②古代ギリシャのプラトン~19世紀のニーチェ、③ニーチェ以降、と三つの時期に分けることができます。あまりに単純ですが、このうち、①のプラトン以前のギリシャの思想家は、事物(自然、ピュシス)をあるがままに観察しており、また思索していたということができます。「あるがまま」という語句の意味は、あとで詳しく説明します。

 これに対して、②の時期こそ、西洋を西洋たらしめた時期ですが、この時期は、西洋に「哲学」(filosofia)なるものが生まれ、行われた時期にあたります。よく知られているように、プラトンは、私たちが現実に知覚している現象界の背後(?)に「イデア」(理念)の世界があると考えたことを有名です。現象界というのはいわば仮の世界であり、イデアの世界こそ直接目に見ることのできない真実の世界ということもできます。ともかく、私たちが直接知覚している「質量」(マテリア)の背後に真実のイデア界があるという「二元論」がここに生まれ、それ以降、19世紀末に到るまで西洋は、この二元論の世界(哲学)に囚われてきた、というのが、木田さんの理解です。

 このようにみてくれば、①の事物(自然、質量、現象)をありのままに見るということの意味が少しはっきりしてくるでしょうか。二元論以前の世界観といってもよいかもしれません。

 ところが、19世紀末にニーチェが登場し、西洋の二元論哲学を根底的に批判しました。しばしばニーチェは、キリスト教の批判者として紹介されるのが常ですが、木田さんは、ニーチェがもっと根底的に西洋哲学(二元論)を批判し、①の世界に戻るべきと主張したというわけです。

 ちなみに、木田さんはまた、東洋には、思想家は多くいるけれど、二元論思想=哲学を展開した人はおらず、もともとニーチェが批判したような哲学はなかったといいます。ここでは、現象は本質と一致しており、現象(仮の世界)と区別されるような「イデア」という思想が唱えられることはなかった、というわけです。

 さらに、二元論哲学の欠如した社会では全知全能の超越的絶対神という思想も、まったく根拠を持たない、と木田さんは言っているように見えます。おそらく、そうした神が天地(この世界)を創造した(作った、制作した)という思想は、イデア論を欠く社会では生まれなかったであろう、とも言います。

 私もそれに賛成です。かつて丸山真男氏は、記紀を分析し、日本人の思考習慣の根底に(自然に)「なる」、「生まれる」という発想はあっても、ある抽象的原理(イデアのようなもの)がモノを「制作する」という発想法が欠けていることを強調しましたが、これは日本にとどまらず、インドを含む東洋に固有に思考習慣だったに違いないと思います。

 最古のギリシャ人思想家たちと同様に、仏教徒も儒教とも記紀作者も、モノ(特に生物)が土中から生まれ、育ち、そこに実がなる様子を観察しながら、それらの自然(素材、material)の背後にある本質(実体)を考えることなどなかったに違いありません。

 もちろん、こうした社会では、事物の背後にあって正邪の裁きを行うような理念(イデア界)の存在などはまったくの問題外だったはずです。またこうした社会の系論としていうことができるのは、様々な思想(とその表明)がまったく自由にできたということに他なりません。西洋では事情がまったく異なっており、現象の背後にある正しい実体・理念(イデア)が現象界の規準・規範となるべきであり、裁定規範であるという思想が支配的となるのは、時間の問題だったと考えられます。

 そして、こうした対照は、宗教社会学研究を深めたマックス・ヴェーバーにとっては、衝撃的であったらしく、一神教の支配した西ユーラシアでは、宗教的な非寛容(正邪の裁き)が特徴的となったのに対して、東洋(インドや中国など)は、「宗教的な自由う競争の地」であると、驚きの声をあげています。

 

 様々な事を書いてきて、最後に結論するのが難しくなりました。かつて詩人キーツがは、「東は東、西は西。両者相会わず」と謳いましたが、近代になってから両者は交わり、お互いの思考習慣に出会ってしまいました。もとより、いずれの思考習慣でも、エラスムスが語ったように、人が愚かであるという点は共通しているといってよいでしょう。ただ東と西では、その愚かさのタイプが異なっていたと言うしかないのかもしれません。