アジア諸言語の形成 1 3つの言語群の区別 | 書と歴史のページ プラス地誌

書と歴史のページ プラス地誌

私の郷里の上越地方(糸魚川市、上越市など旧頸城郡)の歴史・地誌をはじめ、日本列島、世界の歴史・社会・文化・言語について気の向くままに、書き連ねます。2020年11月末、タイトル変更。

 日本語を含むアジアの諸言語の成立・形成について気になることがいくつかあり、頭を離れないが、そのことについて考え、調べてきたことについて書くことにする。

 その際、論点は多岐にわたるが、最初にどうしても言語の歴史に触れる場合、その特徴に触れないわけにはいかない。言語の特徴といっても、発音(音韻)、語彙、統語法(文法)などの様々な側面にわたることになるが、ここではまず少なくとも数千年にわたって大きく変化することがないと考えられる統語法(文法)に焦点をしぼることとする。語彙はかなり変わりやすいことは、よく知られており、また発音も徐々にではあるが、長い期間にはかなり変化する。しかし、統語法は変化、特に外からの影響による変化に対して執拗に抵抗する。その一つの実例は、英語の影響による最近の日本語の変化である。明治以降、日本語は多くの外来語を受け入れてきており、特に英語に由来するカタカナ語は、現在の日本語に氾濫しているといってもよいほどである。しかし、どんなに単語が英語化しても、統語法(文法)が英語化することは決してない。

 さて、インド(南アジア)から極東に到るアジア全域で話されている諸言語は、大きく3つの語群に分けられるであろう。一つは、日本語も含まれる「膠着語」の言語(ここではA群ということにする)であり、二つめは、中国語や東南アジアの諸言語、オセアニアに広まっている「孤立語」(I群)の諸言語であり、三つめは、インドのヒンヅー語に代表される(サンスクリット語の系統を引く)印欧語の言語(E群)である。

 この3つの語群が、統語法上、明確に区別される特徴を有していることは言うまでもない。いまそれを簡潔に説明すると次のようになる。A群(膠着語)の言語は、実体詞(名詞、形容詞、動詞など)の後に助詞など(後置詞)を付して、文を構成する要素間の関係を表すことを特徴としている。膠着語の膠着とは、助詞などが実体詞の後につくことを意味している。日本語の例文では、「私は図書館で本を読みます。」という文の「~は」「~で」「~を」「~ます」という詞が文法上大きい役割を演じている。このように、これらの言語では、後置詞が要素間の関係を明確に示すことができるので、語順は比較的自由となる。例えば「図書館で私は本を読みます。」と言い換えることが可能である。ただし、この言語群では、日本語以外の言語でも、述語(verbal chains)は必ず文末に来なければならない。(もちろん詩の文などの例外はあるが、これは正則ではない。)

 一方、B群の言語は、A群と、また(この後で触れる)E群とも異なって、語形の変化は原則として存在しない。例えば、中国語(漢語)では、上記と同じ意味の例文は、「我在図書館看書。」となる。文の個々の要素、我、在、図書館、看、書などの語は、決して助詞を後置することがなく、また語形変化(活用、曲用)しない。孤立語といわれる所以である。そこで、この言語では、文中の諸要素の関係を示す上で、語順が本質的な重要性を持つことになる。通常は、<主語+動詞+目的語>が正則の語順であることは漢文などでよく知られている。なお、この文中の「在図書館」の「在」は、英語の前置詞(at, in)のような役割を演じており、そのように解釈しても間違いではないのかもしれないが、<にある>という動詞と解釈し、<~にあって>というような意味になると解釈するのが正しいようである。英語で with a knife (ナイフで)を中国語に訳すと、「用刀子」となるのと同じ用法である。

 最後のE群は、いわゆる印欧語であり、したがって今日ヨーロッパで話されている言語と共通する点が多い。そこでここでは、印欧語を用いて説明する。上記の例文と同じ意味の言葉を、英語、ドイツ語、ロシア語に訳すと、次の通りである。

 英語    I read a book in the library.

   ドイツ語  Ich lese einen Buch im Bibliotek.

   ロシア語  Ia chitayu knigu v biblioteke.

  私たちは、英語の基礎を学んでいるので、これらの言語の文法上の特徴をよく知っているので、詳しい説明は不必要かもしれないが、いくつかの点について注記しておきたい。一つは、しばしば印欧語の正則の語順が<主語+動詞+目的語>となっていると説明されることがあるが、これは英語やドイツ語については正しくても、E群全体には当てはまらない。

 なぜならば、現代のE群でも、ロシア語のように動詞や名詞の語尾変化(曲用、格変化)の著しい言語では、その語形によって文中の要素間の関係が明確に示すことができるので、そのような言語では、語順はかなり自由である。実際、上記のロシア語では、Ia (私は)は、動詞(chitayu)の語尾から主語が ia (私)であることがはっきりしているので、省略することが可能であり、knigi (本を)の位置も、v biblioteke (図書館で)の位置も、かなり自由である。

 むしろ本来のE群の言語で重要な点は、動詞が中心になって他の要素を支配していることにある。動詞は、まず主語を支配するが、その主語は、人称、数、性などによって変化する。また名詞も、動詞などとの関係で、属格、与格、対格、奪格の格を与えられ、かなりこまかく語尾変化する。またその動詞も人称、数、性、時制などによって曲用(語尾変化)する。このように動詞が文全体の構造を支配する中心点となっているのがE群の特徴といえよう。そうした中で、英語やドイツなどのように、時間の経過とともに語尾変化が弱まるとともに、語順の役割が大きくなってきたのも、E群の言語の歴史に見られる特徴である。

 日本語話者がどんなに英語の単語を取り入れることがあっても、その統語法まで取り入れることがないのは、こうした統語法のきわめて大きい隔たりのためであることは、どんなに強調しても強調したりないほどのように思われる。

 これに対して、スワデッシュの法則を信頼するならば、語彙は、1000年で20%ほどが別の言葉に置き換わる。これは、共通の言語でも、分岐して1000年もたてば、共通語彙は64%(0.8×0.8=0.64)となってしまうほどの速度である。もし同じ率が長期にわたって続くならば、6、7000年ほどで、共通語彙は5%ほどになってしまうが、これは英語と日本語のようにほとんど関係のない言語でも偶然によって類似単語が存在する率の水準である。名前とnameが類似しているからといって、英語と日本語が共通祖先から分岐した証拠だという人は、おそらくいないであろう。

 

 そのような訳で、以前の記事では、きわめて少ない共通語彙および統語法上の著しい類似を根拠として、A群の言語である日本語の形成が弥生時代(3000年前から以降)に始まるのではなく、縄文時代にまで遡るという想定を示し、おそらくは、4万年前に東アジアにはじめて現生人類が到達したころにまで遡ると考えるのが合理的、妥当な考え方ではないかという意見を提示した。

 しかし、その時、I群の言語(中国語など)が西ユーラシア人の影響の下に成立したものであり、したがってヒマラヤの北側ルートをたどって東アジアの最東端に達した集団と、南アジア→東南アジア→東アジアと移動してきた集団との交雑(モンゴル平原の東側の地点)によって形成されたのではないかという仮説に立っていたのは、まったくの失考であったと思う。

 それにはいくつかの問題がある。この仮説では、まず中国の南方から東南アジア、そして太平洋・オセアニア地域に広がるI群の諸言語の成立を説明できない。モンゴル高原の東部海岸地域から、ある集団の南下があったとしても、寒冷地適応した人々がこれだけの広い南の地域に広まったことは、どうみても非現実的なように思う。

 それに加えて、ゲノム解析の結果は、現生人類(ホモサピエンス)の東アジアへの第一次拡散に際して、二つの言語群に対応するような分岐を終えていたことを明確に示しているように見えるからである。(Yang et al, 2022)

 下の図は、東南アジアを含む東アジアにおける諸集団のゲノム配列を示すものであるが、ここに示されるように、図の左側に来る集団は、ほぼ例外なくA群の言語集団と一致しており、右側に来る集団は、ほぼ例外なくI群の言語集団に一致している。そして同じ右側でも漢語集団(中国クラスター)は、オーストロネシア諸語やオーストアジア諸語、モン・ミエン語の集団と切れ目なく接続している。

 さらに詳しく見ると、古代北方中国クラスターは、ほぼ中央部に位置しているが、これは北方中国集団が北上した古代南方集団とA群の集団(左側の集団)と交雑したことを示すものである。

 もう一つ注目されるのは、チベット集団である。しばしば言語学の世界では、中国語とチベット語が一緒にされて、シノ・チベット語族と総称されることがあるが、この同一化が誤りであることをかなりはっきり示している。比較言語学的にみて、A群に属するチベット・ビルマ語と、I群に属する中国語を一つのまとまりとすること自体が問題であることは、これまでしばしば指摘されきたところであり、「シノ・チベット語族」という意見が決して学問的に定まった意見でないことははっきりしているが、それにもかかわらず、無前提に一つのまとまりとされることがあった。しかし、ゲノム解析も、両者がかなり遠く隔てられた距離にあることが示されている。

 ともあれ、このように現代人のゲノムでも、また古代人のゲノム全体を見たときも、A群とI群の集団がはっきりと分岐しているという事実は、両者の分岐が現生人類のかなり古い時代にまで遡ることを示していることは疑いないようである。

 この分岐がすでに彼らの祖先の通過した南アジア(インド)において生じていたものなのかどうかを判断する証拠はないが、すくなくとも、南アジアを離れた直後には生じたのではないかと思わせる雰囲気はある。それほどに両者の距離が離れていることは疑いない。とするならば、前に書いたように(この点では変更はない)、16,000前に成立した縄文人の話す言葉は、A群の言語であったことは間違いないことになる。したがって、後に残された問題は、現代日本語は、一つの源流が縄文語にあることは否定できないとして、3000年前から始まる弥生時代にどのような変容を受けたか、という点に絞られることになる。

 (続く)