日本語の成立 夢想 1 | 書と歴史のページ プラス地誌

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私の郷里の上越地方(糸魚川市、上越市など旧頸城郡)の歴史・地誌をはじめ、日本列島、世界の歴史・社会・文化・言語について気の向くままに、書き連ねます。2020年11月末、タイトル変更。

 子供の頃の思い出から始めます。

 私の祖父は、35歳頃まで軍人(といっても技術者で、准尉か少尉どまりでしたが)をしていました。詳しくは分かりませんが、主に横須賀市に居住し、第三海保の建造を担当していたようです。しかし、それがほぼ完成したのち、第一次世界大戦中に新潟の田舎に帰りました。

 海保というのは、東京を防備するために東京湾に設置された海中の砲台のようなものであり、全部で3つあったようです。このうち第三海保は、1923年の関東大地震の際に崩壊してしまい、使えない状態になってしましたが、そのままの状態で維持され、つい最近になって撤去されました。横須賀市の追浜(夏島と平成町)の公園に建物の一部が移築されているので、見ることができます。

 私は子供の頃、この祖父からよく昔話を聞いたものですが、軍事のことはほとんど聞いたことがなく、主に中国の故事や田舎に伝わる昔話などでした。が、あるとき、その祖父が自分の顔を鏡で見ながら、<自分の顔はほりが深く、髭が濃い><もしかするとアイヌの血が混じっているのではないか?>というようなことを話していたのをおぼえています。確かに祖父はいわゆる奧眼で、毛深く、濃い白髭をつけていました。またあるとき、毎日新聞の文化欄を見ながら、<インドの北、ヒマラヤの方にブータンという国があり、そこの人々の顔つきや着物が日本人に似ているらしい>というようなことを話していました。

 歴史に関心を持っている人だったので、日本人の起源、成立にも関心を持っていたことは間違いありません。最近になって田舎の納屋を整理しているときに、祖父が新聞から「アイヌ」や「ブータン」、「レプチャ族」などの記事を切り抜いて、保存しているのを見つけました。

 そんなことがあったからかどうかはわかりませんが、昔から(高校生の頃から)、私も日本人の起源や、日本語の成立について興味を持つようになり、その系統の本を時々読むようになりました。

 たしか高校生の頃、修学旅行の途中の大阪で、最初に買って読んだのが、安田徳太郎という京都のお医者さんの書いた『天孫族 日本人の歴史2』だったように記憶しています。これは知る人は知るように、ヒマラヤのレプチャ族の話す言葉、レプチャ語が日本語と同じ祖語から分かれて成立したというもの、つまりレプチャ語と日本語は兄弟のようなものという内容の本です。

 当時を思い出してみると、古事記や「天孫族」について書かれた部分は面白く読んだように思いますが(今読み返しても面白い)、肝心のレプチャ語・日本語同系論の方は、半信半疑、といよりも少し無理ではないかと思ったように記憶しています。

 しかし、ともあれ異なる言語に属し、同じ意味の単語を比較してみるということには興味をそそられ、一時は大学で比較言語学なるものを研究してみたいと思ったこともありました。

 結局、幸か不幸か、そうはなりませんでしたが、その後、欧州の社会経済史を研究するようになり、必然的に英語、ドイツ語、ロシア語を勉強し、ついでにスペイン語、イタリア語、ポーランド語、リトアニア語などをかじり、さらにアジアの言語として中国と朝鮮語、アイヌ語をかじってみたりしたので、比較言語学的な研究のまねごとに足を踏み入れた感じがしないわけではありません。

 そこで、以下は私の実感的な「比較言語学」のようなことです。

 

 まずドイツ語を学びはじめたときに最初に感じたのは、(英語とドイツを学んだ人は誰でも経験することでしょうが)類似する単語が非常に多いということでした。いくつか例を挙げると、

   英    独                             英      独

1 one          ein     パン    bread         Brot  

2 two         zwei           父         father        Vater

3 three       drei           母         mother      Mutter    

4 four         fier            息子        son            Sohn

5 five         fuenf          太陽        sun            Sonne

6 six           sechs        野原        field           Feld

7 seven      sieben        家           house        Haus

8 eight       acht           食べる     eat            essen

9 nine        neun          与える      give           geben

10 ten         zehn         本             book          Buch

 

 素人でも分かるように、共通する単語が次から次へと出てきます。もちろん、中には、基礎語(100語、200語)でも異なる単語も混じっています。例えば(英、write, schreiben)、(英read, 独lesen)などの例ですが、これは当然といえば当然でしょう。

 インド・ヨーロッパ語族の比較言語学者の説では、1000年で19%の基礎語が他の単語に置き換わるという法則性があるそうです。すると、81%の単語は維持されるわけですから、分かれてから千年後に二つの言語が共通して維持している単語は、66%ほどになります。2000年後では43%、3000年後では18.5%、4000年後では3.5%とだんだん減ってゆくことになるわけです。英語とドイツ語は分かれてから、まだあまり日が経っていない言語だったことが納得できました。

 

 ところが、大学院に進学してロシア語を読まなければならなくなったとき、大変困りました。まず英語やドイツ語と共通する単語には、滅多にお目にかかれません。たまに見つかっても、それはほどんどが近代になってから、ロシアが西欧諸国から借用した言葉(借用語)です。試しに、上に挙げた英語に対応するロシア語単語を挙げてみます。

 

 英語    ロシア語     英語    ロシア語

one                odin             bread          khleb

two                dva              father         ochets

three              tri               mother       mat'

four               chetyre         sun            solntse

five                piat'             son            syn

six                  shest'            field           pole

seven             sem'              house        dom

eight              vosem'           eat           est'

nine               dieviat'          give          dat'

ten                diesiat'           book          kniga

 

 何とか一致すると認められるのは、one, two, three, mather, son, sun, eatの7単語くらいでしょうか。35%ですが、基礎200語を全部挙げると、一致率はもっと低くなることは間違いありません。きちんと確認したことはありませんが、間違いなく10%以下になります。

 しかし、それでもインド/ヨーロッパ語族の比較言語学では、ロシア語(スラブ語派)も英語もれっきとした同じ仲間と認められています。

 

 しかも、上に示したように、分かれてから4000年も経つと、共通単語が3.6%程度になるというのが注目されます。3.6%というと、もしかすると偶然の一致でもそれ位にはなるかもしれないレベルといってもよいようです。うろ覚えですが、偶然の一致の実例として次のような対応を挙げたひとがいます。

 

   英      日

woman          womina (をみな、女)

many            man(万葉集の万)

shew            shuu(万葉集の集)

so                sou(そう)

owe              ou(負う)

 こじつければ、いろんな単語が関係づけられるかもしれません。

 

 もとに戻ります。共通祖語から分離した言語でも、分離してから4000年も経ってしまえば、単語を比較して同系を証明しようとしてもどだい無理ということでしょう。

 

 さて、この辺りで日本語に移るとします。私も専門書や啓発書などをそれなりに読んでみましたが、日本列島やその周辺で現在話されている言語には、3.5%レベルの一致を見る言語はあっても、例えば10%が一致するような言語は皆無のようです。また多くの言語学者がかなり広い領域のさまざまな言語を研究しても、そのような一致率のたかい言語はこれまで出てこなかったので、もはやこれ以上探ししても無理ではないかと思います。

 私自身もアイヌ語や朝鮮語の単語帳を一生懸命くくってみましたが、無駄、徒労でした。

 ただし、次の2つの言語については、大いに気になることがあります。その一つは朝鮮語ですが、これについては、故・大野晋氏が『日本語の起源』(岩波書店、1957年)の中で、121の対応語(121ページ)を挙げています。ただし、これは基礎200語に限ったものではありません。

 もう一つは、現在は死語となっている古代の高句麗語です。

 高句麗語は、古代(紀元前から660年代末まで)存続した朝鮮半島北方の国で話された言葉であり、『魏志』高句麗伝では、扶余、濊狛などと同系の言葉とされている言語です。それは現在の朝鮮語と同系の言語ながら、かなり古い時代に分離した別の言語といってよいようです。

 そのような言語の単語がなぜ復元できるかというと、朝鮮半島の古文献に高句麗の地名が記されているからです。しかも、地名は、ある歴史的事情によって二つの漢字表記法で記されていました。ちょうど日本の例で言えば、音と訓の二つの方法です。例えば地名の中に「十」という意味の漢字(訓読)表記があり、その同じ地名が別のところでは、「徳」(tok)という音読表記で記されているといったような例です。

 これによって高句麗語の十が "tok" に近い音で発音されていたことが推測されます。同様な方法で、推測された単語とその発音には、次に示すような例があります。ここで注目されるのは、このような方法で推測できる発音の例がきわめて少ないのに、その多くが日本語の発音にきわめて近いことです。

 

 意味      高句麗語     現代朝鮮語

 谷 たに       tan      

  口 くち      kuc

  兎 うさぎ     usaxam

  鉛 なまり     namur

  三 みっつ    mil               set

   (朝鮮語のl はほとんどが日本語のt に対応する)

 五 いつつ    uchu            tasaet

  七 ななつ    nanun          ilgop

  十 とお         tok              yael 

 *上垣外憲一『倭人と韓人』講談社学術文庫、287ページ。

(専門書には、これ以外にもいくつかの単語が紹介されています。)

 

 もし高句麗語と日本語の単語の高い頻度での対応が認められるならば、私がこれまで述べてきたように、江南地方からの移住者と扶余系の人々が混交し、朝鮮半島を南下し、さらに日本列島に渡来したという仮説が成立することになるでしょう。

 ただし、そのように断定するつもりはありません。私は素人であり、これはあくまで私の夢想のようなものです。

 

 それにもしそうだとしても、日本列島にはもともと縄文人=先住者が居住していたはずです。彼らはどのような言語を話していたのか、またその言語はどうなったのかという疑問が残されています。

 そのようなわけで私の夢想はさらに続きます。

                                  (つづく)