上越地方の名所旧跡 | 書と歴史のページ プラス地誌

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私の郷里の上越地方(糸魚川市、上越市など旧頸城郡)の歴史・地誌をはじめ、日本列島、世界の歴史・社会・文化・言語について気の向くままに、書き連ねます。2020年11月末、タイトル変更。

 北陸新幹線があと何年かで営業開始します。私の田舎でも田畑のまん中を高架橋が建設され、着々と準備中といったところです。

 新潟県内では、上越地方の2駅で停車します。1駅は上越市高田地区の北、現妙高市内に置かれ、もう一つは糸魚川市に置かれます。

 新潟県外者のために、ちょっと解説すると、昔は、越(こし)の国は、国の中心部、つまり京都(山城国)に近い方から前中後(越前、越中、越後)と呼ばれ、越後国も京都に近い方から上中下(上越、中越、下越)と呼ばれていました。地図の上(北)の方が上越ではありませんので、念のため。上越地方は、昔(奈良時代)から頚城郡(古事記では久比岐と表記)と呼ばれていましたので、北陸新幹線は、東京方面からは信州信濃の長野を通ったあと、上越地方つまり久頚城郡を通過し、越中に抜けることになります。

 解説をもう一つ。上越地方には、上越市、糸魚川市、妙高市、十日町市があり、このうち上越市は、昭和時代に旧高田市と旧直江津市が合併してうまれました。新潟県内でも「上越」というと上越地方なのか、上越市なのか紛らわしく間違って理解されることも度々です。

 

 さて、今日からしばらく主に県外の方を念頭に、上越地方(旧頚城郡)の名所旧跡を紹介してゆきます。一つには、新潟県人の謙虚な態度が理由となってあまり県外者に注目されていない地域のように感じますが、なかなかどうして名所旧跡あり、由緒ある寺院あり、古刹あり、美味しい食べ物あり、名湯ありのところです。これを機に温泉好き、歴史好き、グルメの人など様々な人が是非一度は訪れて欲しいものと思います。

 

 名所旧跡については、古文献を利用して由緒をできるだけ詳しく添えます。一度に紹介しきれませんので、少しづつ(1週間に2、3箇所ほど)紹介することにします。


 はじめに古い頚城郡の地図を載せておきます。

 頚城郡は、だいたい2つの地域に分けることができます。下図に示したように、上側の越中国(富山県)との県境にある界川から有間川(アリマ川)までを西浜または西浜7谷といいます。ここは丘陵部が日本海にまで突き出ています。これに対して、下側の荒川(関川)下流の平野部=頚城平野(高田)平野から上流の妙高市にかけての地域が東部になります。また十日町の一部(西側)の松之山村などは旧頚城郡でしたが、平成の大合併で中越の魚沼地方の市町村と一緒になりました。頚城郡の東端は、米山で、これを超えると、中越地方の郡(刈羽郡、三島郡、古志郡、魚沼郡)になります。

 

 

 江戸時代末の『北越奇談』に掲載の頚城郡地図
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