だから僕は夜を歌うよ

Stellar Stellar

ありったけの輝きで


━━『Stellar Stellar』星街すいせい





「ガリア人は時の長さをすべて日数でなく、夜の長さによって決める」


『ガリア戦記』六章十八節


「彼ら(ゲルマン人)はわれわれのように昼の数をかぞえず、夜の数をかぞえる」


『ゲルマーニヤ』タキトゥス





 ハロー、エヴリワン。

 わたしは鬼好きのオモイカネ。よろしく。

 前の記事は「昼と夜」の話でした。これは「夜と昼」の話です。実は「一日」「数日」という数え方は、必ずしも万国共通ではありません。「賽は投げられた」。そう言ってルビコン川を渡ったカエサルは、「ガリア人(ゲルマン人)が夜で日数を数える」と記しました。北欧の神々やケルト人も日でなく夜を数えました。英語の二週間を「フォートナイト(14夜)」と言うのは、夜を数える名残り。ギリシャ神話や北欧神話では、夜は昼の母。『指輪物語』の夜の木は、昼の木より前にあるもの。古代インド、古代イラン、イスラム神秘道も「夜」から始まります。真実を知りたい人は、太陽から逃げ出して、夜の道を歩みましょう。




夜の女神ニュクス


ここを出で立ち 深い霧につつまれて

夜の道を進みながら 艶やかな声をあげて

彼女たちが賛えまつるのは 神盾(アイギス)もつゼウス

黄金の沓(くつ)アルゴスの女神 畏いヘラ

神盾もつゼウスの娘 輝く眼のアテナ

ポイポス・アポロン 弓矢を悦ぶアルテミス

大地を支え大地を震わすポセイドン

また畏いテミス 眴(めくばせ)巧みなアプロディテ

黄金の冠つけたへベ 美しいディオネ

レト イアペトス 悪智恵長けたクロノス

曙(エオス) 大いなる太陽(ヘリオス)

輝く月(セレネ)

また大地(ガイア) 大いなる大洋(オケアノス) 暗い夜(ニュクス)

そのほかの常磐にいます神々の聖い族。


━━『神統記』冒頭 ヘシオドス 廣川洋一訳


 ギリシャの夜。約2600年前のギリシャ神話『神統記』。英語のミュージック、ミュージカル、ミュージアムは、ギリシャの詩歌女神「ムーサ」に由来します。この神話は、九人のムーサが「夜の道」を歩みながら、神々を歌い讃えるシーンから始まります。太初に「混沌」のカオスから「夜」の女神ニュクスが生まれ、ニュクスが「昼」の女神ヘーメラーと「上天」のエーテルを生みました。ギリシャの夜と昼と上天は、「天」のウラノスより前に生まれた存在であり、「太陽」や「月」より格上です。夜の女神ニュクスは独りで「定業」のモロス、「命運」のケール、「死」のタナトス、「眠り」のヒュプノス、「夢」のオネイロス、「非難」のモモス、「苦悩」のオイジュス、「黄昏の娘」のヘスパリス、「運命」のモイラ、「憤り」のネメシス、「欺瞞」のアパテ、「愛欲」のピロテス、「老齢」のゲラス、「争い」のエリスを生みました。夜のニュクスが生んだケールは、ヒトだけではなく神々の罪も追及する者でした。天より強い「夜の神」は、中華や日本では聞きません。中華の「天子(皇帝)」は「天命」による地位でした。しかし、ギリシャでは「天」より前に「夜」が生まれ、「時(クロノス)」が「天」を去勢し、「雷電(ゼウス)」は「時」を打ち倒し、「正義」を確立します。ギリシャやローマは「選挙」があり、正義なし選挙なしの「天(皇帝や天皇)」に支配されませんでした。不正な「天」が去勢されたため、西洋で「天下」は広く語られず、「天下人」もいません。西洋は、曹操や劉備や孫権のように「天下」を語る人がいません。西洋は、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康のような「天下人」がいません。リアルの西洋は「皇帝」「女帝」「教皇」「女教皇」などの人称が存在しません。西洋は「三皇五帝」の儒教道徳がなく、「混沌帝」の老荘思想もなく、「帝釈天」の仏教偶像もなく、皇や帝を世襲する「天」がないからです。西洋は女帝や天皇がいないため、推古天皇や昭和天皇による「憲法(国民投票なし)」も存在しません。現代的な国々は、総投票による「国体」が基礎で、国体はよく改正されています。当然、改正されない日本国憲法は、とても低レベルな条文です。日本国民はギリシャの夜を知らないため、天皇や憲法という悪しきに支配されています。


夜の女巨人ノート


「一夜は長い。二夜はもっと長い。三夜をどうやって辛抱しよう」


北欧神話『スキールニルの旅』四十二 


 北欧の夜。北欧神話では神々が日数でなく夜を数えます。北欧神話の原語━━古ノルド語は、英語の前の形です。夜の女巨人ノートは、英語のナイトになり、ノートの息子である昼の神ダグは、英語のデイになりました。ロキの娘ヘルは、英語の地獄になりました。太陽より輝かしいギムレーは英語にありませんが、ヘヴンに該当するもの。北欧神話では、オーディンが人に与えた「スピリット」のため、人は肉体が腐っても燃やされても死にません。それゆえ、北欧神話に無常や輪廻転生はなく、善人はギムレーで永遠に、悪人はヘルで永遠に暮らします。東西北南を支える四人のドワーフは、そのまま英語の東西北南になっています日本は明治まで「週」がなく、「曜日」も存在しませんでした。土曜日を除いて、英語の曜日は北欧神話に由来します。火曜はテュール、水曜はオーディン、木曜はトール(ソー)、金曜日はフレイヤ。ただし、北欧神話の太陽の女ソールと月の男マーニは罪人で、星の神々はいません。日本の神仏は「日月星」に依るので、この天体観による「週」は致命的です。日本神話と和の文化は「左上右下」ですが人類は「右は正義、左は邪悪」をシェアしています。北欧神話の「左」は、天地開闢に滅んだ者たち━━悪い巨人ユミルと霜の巨人族━━に結びつけられます。左を尊ぶイザナギは巨人ユミル、左を尊ぶ八百万の神々は霜の巨人族に該当します。北欧神話や『指輪物語』では人の領域が「中つ国」ですが日本は「葦原中つ国(みずほの国)」から神器と領土を奪って建国した国です。ある総理大臣が「日本はみずほの国」という洗脳学園を設立し、不正を隠ぺいしましたが、銃殺されました。本当のみずほの国は「中国地方の島根県」まで縮んでいますが、舞台裏では日本より上の地位にあります。そのため、日本の神々は毎年十月(神無月)に日本を離れ、「右を尊ぶ出雲の神々」にごあいさつしに行きます。夜が前で、昼が後。右が善で、左が悪。日と月が罪の週。星々に神仏なし。八百万の神々が滅ぶべき巨人。スピリットは永遠で、人の命は無常ではなく、転生はない。中つ国が上で、日本が下。これらを表に出せば、日本は滅亡し、中つ国が再び立つでしょう。


アフラ・マズダー


 アーリアの夜。アーリア人の末裔は、インド人やイラン人と呼ばれています。インド側のヴェーダにおいて、夜の天神はヴァルナ王、昼の天神はミトラ王。夜の天王ヴァルナこそ、ゾロアスターが「光の最高神アフラ・マズダー」として崇めたカミの前身。ブッダより前に生まれたゾロアスターにより、人類は「保助者(救世主)サオシュヤント」「輪廻転生なき歴史と終末」「人類の復活」「最後の審判」を知りました。ゾロアスター側の「善神アフラと悪神ダエーワ」は、ユダヤや西洋や中東の「善のエンジェルと悪のデビル」になりました東洋では仏教徒が「善のアスラは悪の阿修羅、悪のデーヴァとデービーは善の天神天女」とウソを広めました。善のアスラは、「悪い修羅」「妖怪の天狗」「凶の黄幡神」「日食の羅睺星」に貶められています。韓国では英語やキリスト信仰が普及し、「天使と天狗」のすり合わせが始まっています。日本人は軽々しく「修羅場」「天狗になる」「転生」と口にしますが、それは天使への呪いです。輪廻転生(六道輪廻)は、悪のデーヴァ=デビルを「人間道」の上の「天道」に上げ、善のアスラ=エンジェルを「人間道」の下の「修羅道」に下げる大呪術です。輪廻転生をわずかでも信じている者は「善のアスラと悪のデーヴァ」があべこべ。シャカはキューピットと同一視される「愛と弓矢のマーラ」を【魔】と決めつけ、「天上天下唯我独尊」と悟りました。仏教徒は、明けの明星を「明星天子(虚空蔵菩薩)」と崇めます。しかし、愛を否定する明けの明星は、天上天下唯我独尊とおごり高ぶり、堕天してサタンとなった者。ブッダの道はサタンと同化し、愛を魔と呪い、エンジェルを修羅や天狗や不吉な神と呪い、デビルを天神天女と偽り、審判を輪廻で隠すことです日本人は「救われた」と軽々しく言いますが、英語の「セーブ(save)」は【保つ】であり、愛の敵ブッダの「救う」とは全く違います。愛の肯定と愛の否定によって、西洋と東洋はひどい差が生じました。たとえば、西洋は「文」でまとまる単語を持ちません文化、文明、文系、文芸、文学、文法、文章、文字などの「文で分かる世界」はウソでたらめ。現代日本語は多くの仏教用語で汚染されていますが、文の汚れは理性や感情では見抜けません。キリストやゾロアスターに頼らなければ、誰も愛し合えず、文なき本を読めず、夜と昼の区別さえできないのです。



『ライラとマジュヌーン』

 

 イスラムの夜。『千夜一夜物語』は、本当の意味で「アラビア的な夜」ではありません。それはイラン・インドの娯楽物語をアラビア語で語ったもの。『アリババと四十人の盗賊』はフランス人による贋作で、タイトルからしてイスラム圏にあり得ません。アラビア語の夜は「ライラ」、狂人は「マジュヌーン」。七大詩人のひとりニザーミーによる『ライラとマジュヌーン』は有名な恋物語で、イスラム神秘道のテーマ。「夜」という女性への恋は、「アッラー」への究極の愛に等しいもの。夜への恋愛を踏まえた上で、イランには【ペルシャ語のコーラン】と呼ばれる太陽詩集がありますが、それは日本人の知らない太陽です。日本人は明治から「恋愛」を語っていますが、いつも恋に愛と夜が欠けています。それはブッダが愛を拒絶した邪教祖であり、日本人に夜に恋愛した聖者が一人もいないからですイスラム圏は、千年以上も前にプラトンやアリストテレスを徹底的に取り入れました。それでスーフィズムもギリシャの叡智と結びついています。イスラム的なギリシャ叡智は、中世ヨーロッパでラテン語に翻訳され、西洋に強い影響を与えました。しかし、日本はプラトンやアリストテレスの伝統がありません。日本の哲学は薄っぺらで浅く、ナショナリズムやナルシシズムの域を出ないもの。コーランは詩的な韻で朗誦され、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、キリスト、マリア、天使ガブリエル、堕天使イブリースなどが登場します。イランの七大詩人はヨーロッパのスクールでも習うほど有名です。しかし、日本の知識人はコーランもイラン詩も哲学もスーフィズムも知りません。日本人は愛がなく、哲学がなく、詩情がなく、夜に恋する聖者がいません。日本人は真の太陽も知りません


寝息を立てる太陽の目を盗んで

大脱走さ 逃げ出そうぜ


━━『ソワレ』星街すいせい


 太陽からの脱走。モーセは「太陽の国エジプト」で王子として育てられましたが、イスラエル十二支族を連れて荒野に脱走しました。ソロモンは旧約聖書の100分の1にも満たない『伝道者の書』で「太陽の下」は報われないと、しつこく繰り返しています。『指輪物語』のトールキンは「太陽の下」を堕落したワールドと書いています。「太陽の日々」は、邪悪に染まりやすいもの。東洋人が聖書だけで「昼と夜」を分けることは不可能です日本文化も漢文も仏教も、夜と昼を分ける力がない老害ですギリシャの夜と昼、北欧の夜と昼、アーリアの夜と昼、イスラムの夜と昼は、どれも外せません。太陽から脱走し、夜を数え、天と地、陰と陽、週と曜、右と左、修羅と天神、中つ国と日本をしっかり整える。そうすれば、日本も中華も韓国も朝鮮も国名が変わります。ユニヴァーサル、グローバル、インターナショナルは美しく響きますが、カミなしでは表面的なものに終始するだけ。真の光は、太陽から逃げた者に見えるでしょう。