この世界は意識の世界。
「何に意識を向けるか」というのが重要になる。
そして大切なのが「信じる」という気持ち。
「そんなこと?」と思うかも知れないが、物理次元で起こる全てのことは、「信じている」ことで出来ている。
逆に言えば、信じていないことは叶わない。
動物達と話したいと思ったことはないだろうか。
実際に話せる人もいる。
でも、そんな人に対して、不気味とか変な人と思う人達もいる。
基本的に「目に見えるもの」に重きを置いている人達にとっては、見えないものは怖い。
実際は、誰でも話せる。
特別な「能力」でも何でもない。
地球人は「テレパシーが使える」と信じていないだけだ。これにはこうなった「人類誕生」の時に理由がある。
けど、基本的には「テレパシーが使える」と教えられていないだけだ。
機能はちゃんと持っている。
ここで重要なのが「信じる」ということ。
話せると信じているか信じていないか。
違いはそれだけしかない。
そして会話は言語ではない。
テレパシーを通して感情エネルギーをベースに会話をする。
飼っているネコやイヌが飼い主が倒れていたら助けるか?というテレビ番組があるが…
私にとって、あれは正直、滑稽でしかない。
彼ら(動物)は、飼い主が放つエネルギーを見ている。だから本当に緊急かは全てバレている。
そのバカバカしい演技に、付き合うか、付き合わないか…「面倒臭い」と思えばソッポを向くだろう。
彼ら(動物)は、宇宙(源)と直結した存在。
自分が何者かを知っている。
そこが人間との大きな違い。
そして「今」を生きている。
今が全て「最善である」と言うことを知っている。
明日のことなんか心配していない。
「なるようになる」としか思っていない。
そして「なるようになる」ことを信じている。
動物と人間「どっちが優れているか」そんな考えもバカげている。
そもそも、探求している世界が違う。
それよりも「どう共存していくか」ということの方が重要だと私は思う。
だから、彼ら(動物)の本質を知って欲しい。
動物達の中でも、ネコやイヌは特に人間に近い存在。
ネコは人間を見守り、イヌは人間に寄り添っている。
ネコはバシャールも言っていたが、地球にいるエイリアン。多次元的存在。
目に見えるものも見えないものも…彼らはエネルギーで察知し、コミニュケーションを取っている。
人間よりも遥かに感じている世界が広い。
イヌは他の動物と違って、人間の思考エネルギーを読み取る能力が高い。
だから、飼い主の思考エネルギーを完全にコピーして覚える。小さい子供と一緒。
イヌは完全に人間を理解し、寄り添おうとしている。
だから、イヌが掛かる病気も、人間と同じになってきている。
怒ってしつけても、ゆうことを聞かない子はいる。
考えてみて欲しい。
人の悪口を楽しそうに話していないか?
人の不幸を喜んで話していないか?
もちろん、そんな人ばかりではない。
でも、言う・言わないは別にして「考えている」時点で彼らには伝わる。
3歳ぐらいの子供が、お母さん達が話している近所の悪口を楽しそうに話してしまうことがある。
あれは…特に子供は「楽しい」というエネルギーに反応するからだ。
悪口を楽しそうに大人が話していれば、悪口は楽しいことと認識する。
子供にとっては、楽しいことをみんなに伝えているだけなのに、大人には怒られる。子供は「何で?」と思う。
思考エネルギーと感情エネルギーが矛盾しているのが分かるだろうか。
人間の大人には「本音と建前」が通用するが、小さい子供や動物達、特にイヌには通用しない。
思考エネルギーと感情エネルギーの「矛盾」は、動物にとって「不気味なエネルギー」に映る。
理解出来ない。
言葉がどんなに怒っても、感情が楽しんでいれば、悪いこと・怒られているとは認識しない。
動物も人間も存在としての本質は変わらない。
ただ、人間は、思考という創造性を持ち、プロセスを通して自己を探求している。
動物は、純粋に存在を楽しんでいる。
人間は総合的だとしたら、動物達はスペシャリスト。各々が自己の秀でた部分を探求している。
エネルギーで考えて欲しい。
まぁ…意味不明かも知れないが、自分が放っているエネルギーを動物達は察知する。
人間は、「違和感」を感じていても、思考で制御し、無視することができる。
単純に「気が合わないな〜」「嫌いだな〜」と感じていても、仕事上で付き合わなければならない人間とは、我慢して合わせたりする。
動物達はそれをしない。
その人が持っているエネルギーを純粋にそのまま受け取る。
思考エネルギーと感情エネルギーのどちらが優勢かは完全に「感情エネルギー」が優勢になる。
動物達とコミニュケーションを取るには「感情」が重要。
そして、動物たちには素直でいることだ。
落ち込んだ時は落ち込んだエネルギーでいればいいし、楽しい時は楽しいエネルギーでいればいい。
「矛盾」したエネルギーを発しなければ、「信頼関係」は自然と築ける。
「テレパシー」に戻ろう。
眉間の辺りの「第三の目」に意識を向け、深呼吸して心を落ち着かせ、頭の中で話しかけてごらん。
頭の中に「パッ」と浮かぶ言葉が相手からの答えだ。
私は先日、近所のニワトリに話しかけた。
周りに誰もいなかったから、心を込めて「I love you」と声に出して言ってみた。
そしたら、ニワトリが「I love you」と言ってるみたいな鳴き方をしたんだ。
すごく嬉しかった。
だからもう一回言った。
心を込めて「I love you」
そしたら、また同じ鳴き方をした。
思わず「ありがとう」と言ってしまったよ。
なんだか幸せな時間だった。
私は動物とも植物とも話す。
多分…かなり変な奴だ。
テレパシーは「信じる」が特に重要になる。
だって浮かんだ言葉が、本当に相手が言ってることか、ただ自分が思っているだけか、証明なんて出来ないんだから。
けど、相手からの言葉と自分の考える言葉は、浮かぶ言葉の使い方が違う。注意深く観察すれば、必ずその違いに気づく。
だから「話している」と思えるのだ。
そして、「そう思う」と言う自分を信じることが出来るか。
これが結局は全てに繋がっている。
自分との信頼関係が築けていれば、どんな存在とも話せるようになる。
動物達は純粋な存在だ。
中でもネコやイヌは、人間と関わることを望んでいる存在だ。
そして人間という存在を受け入れている。
「ビビリ」な子は、エネルギーに敏感なだけ。
弱いわけじゃない。そこは人間も同じだろう。
人間は「物欲」によって愛を満たそうとする。
エサを与えたり、おもちゃを買ったり、環境を整えたり…彼らはもちろんそのことには感謝してると思う。でも、彼らから与えられるものって、別に「もの」じゃないでしょ?
全身全霊で「愛」を伝えてくる。
たぶん…毎日彼らは伝えてるよ「I love you」と。
劣悪な環境にいた動物達が1番欲しているのは、「もの」じゃない。
「I love you」という人間からの真心だと私は思う。
私は動物達と繫がって…共存の道を探求していきたいな。今はそんな未来を想像してる。
「心」は全てと繋がっている。
私はそう信じている。
もし、あなたが「動植物と話したいな」と思っているなら、あなたは話せると思うよ。
あとは話せる自分を信じられるかだけだ。
話しかけてごらん。
彼らはきっと優しく答えてくれる。