外側に神を信じる | 無限の毎日

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佳奈の日々の気づきブログ

安倍さんの事件で揺さぶりが起こって統一教会のことがいよいよ明るみに這い出てきた

 

個人が宗教とは組織とはなにか…ってことに自分なりの結論を見つけてみる機会だと思う

 

宗教を組織的にとらえれば、私の働いている職場の組織も宗教のそれと変わらない…

 

その活動がいかに世のため人のため生活のため自分のためになっているか…という考え方が根底にあるわけで

 

たとえば私の職場ではインフラストラクチャーという面では社会貢献的な役割を担う活動をしているけれど、会社の利益を生み出す組織としてのビジネス保守のほうが強ければ…本来の目的とはずっとかけ離れた組織内の在り方を、根底の社会のための在り方に無理やり結び付けて正当化しているということが多々ある

 

蛇が自分より大きな獲物を丸のみしている絵が頭に浮かぶ…組織の内部にいるものが俯瞰しようとしてもヘビという事しかわからず、内部にいればそこが蛇のお腹の中だけの狭い世界だということにも気づかない。

 

私の職場のとなりの席のおじさんはこの職場で20年前に出会った

今より20歳若かったおじさんが初々しい姿で入社してきた日のことを私はなぜか覚えている

私の出戻りで20年ぶりに再び出会ったおじさんは、課のワンマンボスになっていた(^^)

 

電話でお客さんとニコやかに会話をした直後、受話器を置いて表情を一変させて嫌味を言う^^;

周囲のミスにいちいちキレたり、怒りやイラつきの感情の起伏が激しく、見ていて微笑ましい…

 

「イラつくことが多くて大変だね」って言ってみたら

「本当に、みんなオレをイライラさせる」と嘆いていた

そのおじさんは腕にゴージャスな数珠を3本つけている

「ねえ、その数珠なににきくの?」試しに私は聞いてみた

その数珠は、金運だとか健康運だとかいろいろな運気を上げるパワーストーンらしい…

 

「きっと数珠はなにもしてくれないよ…」私はおじさんをひやかすように言ってみた(^^)

 

ただ…その数珠の石の美しさを…本来の力を…発揮させてあげることができるか否か

そんな美しい天然石の数珠を手に付けるのなら、その数珠のエネルギーを最大限に発揮させてあげられる自分にならないとね

数珠が自分を守ってくれる、数珠が願いを叶えてくれる、数珠が幸せを運んでくれる…

そんなわけがない

 

天然石はとても美しい…その本来の美しい輝きとエネルギーを最大限に発揮させてあげるにはどうしたらいいか…私だったら、身に着ける自分がその石のパワーを発揮させてあげられるよう自分自身をクリアにしようと思う…自分の邪気を吸い取らせたりはしたくない

 

宗教もこれと同じように思う

 

外側にある教えは、自分の中の純粋で美しい輝きをただ思い出すための導きにすぎず、信じる信じないの問題ではないと思う

 

探し求める者は見つけることができないが、探し求めない者は見出される フランツ・カフカ

 

人々自有定盤針 人にはそれぞれ自分の羅針盤がある

萬化根源総在心 すべての現象の根源はその心(波動)にある

却笑従前顚倒見 ところが今まではこれを顚倒(逆さま)に捉えていたかと思うと笑いたくなる

枝枝葉葉外頭尋 木の枝一本一本や葉の一枚一枚を数えるように外側に訪ねていたな     王陽明

 

表現の仕方は全く違うけれど、言っていることは同じ…

外側の神を追い求めることは誰かの個性を追い求めることと同じ

あらゆる教えを誰かの作品と捉えて、作者の言いたいことを探すような感覚で気楽に調べてみると

いろいろな聖人が伝えていることは同じ…ということに氣づく…

自分の中に彼らが言わんとする本当の意味を見出さない限り不毛な自分探しの旅は続く

 

不毛とは…自分の戦う相手の姿を明確に捉えることができないこと