戦時中の出来事を今でも鮮明に覚えており忘れたくても忘れられない利用者様がいらっしゃいます。
本田洋子様(仮名)
彼女が9歳の時
ひどい空襲が始まり自宅のすぐそばに空爆が落ちこのままここにいては死んでしまうと、母親と一緒に幼い妹と弟を乳母車に乗せ浜松市の中心地から天竜川まで走って逃げました。
その距離およそ5キロくらい。
火の粉が降り注ぐ中、とにかく川を目指して息を切らしてとにかく逃げたところ、河川敷のそばの見ず知らずの親切な方が家の中へ入れてくれたそうです。
その時初めて、乳母車に乗っていた妹の尋常ではない泣き声に気付き、よく見てみると全身火傷を負っており皮膚がただれていました。焦げるような臭いもしました。
逃げることに必死で道中は全く気づかなかったそうです。次の日、当時5歳の妹さんは亡くなりました。
3歳の弟さんも火傷をしており、妹さんの後を追うように亡くなりました。
本田さんはただただ悲しくて仕方がなかった…
けれど、2人の命を亡くしてしまって戦地に出向しているお父さんに会わせる顔が無いと毎日泣いていたお母さんを支えるため自分は泣くのを我慢していたそうです。
9歳の少女がどんな気持ちだったか…
考えただけで胸が熱く締め付けられます。
「戦争は絶対にしてはダメ。」と
実際に空襲を経験している方の言葉はとても重たく感じます。
「歳のせいで足が少し不自由になってしまったけど、今は本当に毎日幸せよ。」
そんな風に笑顔を見せる本田様の生きてきた背景を知ることで、介護させていただく気持ちにまた新たな風が吹き込まれた気がします。
