1521回目:反論は非難にもなる | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

事実を論理的に述べることも
非難になりうる。

今日もまた当たり前のことから
始めました。

この1週間、本気の反論だとか
チャレンジをするという話を
書いています。

つまり、自分が納得できて
いないことがいくつか
発生しているということです。

恥ずかしながら、
愚痴や文句も増えています。

納得のいく説明を求めて
チャレンジすること自体は
悪いことではないと
思っています。

ですが、愚痴や文句を言うのは、
やっぱやめたい。

(やめられない自分に
問題があるのですが……)

と考えた時に、ふと思ったのが
冒頭に書いたことです。

反論やチャレンジは、

事実に基づいて
論理的に述べられていた
としても

批判や批評ではなく
非難にもなりうる。

ちなみに
新明解類語辞典によると、

批判には
「問題点を指摘して難じること」
のほかに
「吟味して判断すること」
という意味があり、

ここでは後者の意味で
使っています。

また、自分の反論が
本当に論理的であるかは
一旦脇に置かせてください。

いま自分の愚痴や文句が
多いという時点で、

ニュートラルな批判や
批評ではなく
非難になっていたものが
あったに違いない。

そしてまた、自分としては
非難ではないと思っていても

相手にとっては非難であると
受け取られているものも
あるでしょう。

猛烈な反省が
こみ上げてきました。

お互いに心理的な安全性を
感じていない、という
一般的な理由を原因に
したくはありません。

結局この心理的な安全性も、
感じるか感じないかは
相手次第です。

相手に好かれているか
嫌われているかと同じように
自分ではコントロールできないこと。

そのための努力をするとしても、
その場に心理的安全性が
あるかどうかの判断は
個々人によるのです。

話を元に戻しますと、

自分の姿勢の問題として
チャレンジや反論する時に
非難の意図がはいって
しまっていたことがある。

感情的にそう思うことは
止められません。

それを明確に認知するという
作業をしないまま
相手にぶつけてしまっていたことが
問題だったと考えています。

ただでさえイラッとしがち
なのですから(汗)、

何かにチャレンジや反論を
しようとする前に

「避難しようとしてない?」
という問いを自分に投げたいと
思います。

今日もきっとどこかに
チャレンジの種が
落ちているでしょう。

まずは自分の感情を
しっかり認識して受け止め、

相手がどう受け取るのか
コントロールはできないなかでも

相手と共通の目的である
ビジネス上のゴールに向かって
建設的な提案だと受け取って
もらえるよう努力します。


【今日のまとめ】

自分は建設的は反論をしている
と思っても、
相手は非難だと受け取るかも
しれないリスクを認識する。