1449回目:正論と共感のバランス | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

正論がなぜ受け入れられないのか。

子供の頃からずっと疑問に
思っていたことです。

行動経済学で言われることがある、
人は勘定(論理)では動かなくて
感情で動く

ということも、知ってはいましたし
確かにそういうことはあると
思ってもいました。

「そりゃあそうなんだけど」

子どもの頃、大人たちから
返ってくるこの言葉を聞いて

「そりゃあそうだ」ではないことに
納得がいかず、

なぜ間違ったことを言っている
わけではないのに理解されないのか、
受け入れられないのかと
悩み続けていました。

そのうち「どうせそんなもんだ」と
諦めるようになっていました。

それが、本当に今さら、
遅ればせながら、ようやく
わかってきました。

言われたら確かにその通りだし
自分のせいでもあるとは思うが、
仕方がなかった部分もあるのでは……

という状況がある。

たとえば、
何かを知らなかったとか
勘違いしたとか
見落としたとか。

ミスした人に責任がないとは
言えないでしょう。

ですが、客観的な状況からして
コントロールしきれないことが
原因だと思われることもある。

さらには、他の人にはできたかも
しれないけれど、
資質や経験も含めた個人の能力に
原因があることもあります。

いずれにしても、
ベストを尽くしたけれど
結果としてうまくはいかなかった
という時、

それが個人だけの責任になる
ことには若干の違和感を
感じたりします。

これが、
「そりゃあそうなんだけど」
だったのかもしれません。

そこに必要なのが、

仕方ないところもあるよね、
あなただけのせいじゃないよね

という共感なのでしょう。

心理的安全性が言われる
ようになって、
共感の重要性がますます
語られるようになってきた
気がします。

それもわかる。

でも何かそこにも
違和感があります。

共感は必要だけれども、
業務上の評価には
また別の面が必要になって
くると思います。

おそらく、一般的な業務評価は
頑張ったかどうかではなく
アウトプットを出せたかどうか
だと思います。

まったくコントロールできない
事情によってアウトプットが
出せなかったようなケース、

たとえば急な予算カットで
プロジェクトをキャンセル
せざるを得なくなったとか、

でもなければ、

たとえ仕方がないところも
あったよねという案件でも

やはりアウトプットの量で
評価をするべきだと思います。
(そのような評価基準であれば、です)

そうでなければ、
単なる甘えを許す組織。

このことは、心理的安全性の中でも
語られること。

仲良しグループではなく、挑戦的な
組織であることが必要なのです。

うろうろ徘徊するような
文章になってしまったので
整理します。

まず、子どもの頃からの
長年のモヤモヤである
正論がなぜ受け入れられないのか
ということに対して、

ベストを尽くした上でも
起こってしまうミスや
アンラッキーな出来事がある時に

その点について共感することが
大事であると

恥ずかしながら、今さらようやく
心から納得しました。

しかし一方で、共感だけで
終わってしまっては、
甘えた組織になるのではないか
という懸念を感じてしまう。

これが、共感を受け入れにくかった
理由だと気付きました。

共感しつつも評価は適正に。

いや、当たり前すぎるでしょ、
という結論かもしれませんが

私にとってはなるほど納得の
結論です。

これも感情に意識を向ける
キャンペーンの成果のひとつ。

以前よりはバランスを取ることが
できるような気がしています。


【今日のまとめ】

正論だけでは受け入れられないが、
共感だけでは甘えになる。