1356回目:自分以外の視点をもつときに、 なるべく遠く、離れたものをもつ。 | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。


昨日の投稿で、日経新聞の記事から
「なぜと思ったら科学的にメソッドを考え
実践し、結果を出し、世の中に問いなさい」
という言葉を紹介しました。

この言葉を自分にかけることで、

理解できない他者の言動に
イラっとしたときに

その感情をわきにおけるように
なるだろう、ということを
書いていました。

ですが、その後でふと思いました。

いくら科学者になりきって、
科学的なメソッドで考え、実践し、
結果を出し、世の中に問う、
と言っても

自身の考え方から遠い、離れた視点での
発想ができなければ

結局、「自分の考えは正しい」
という結論に至ってしまいそうです。

一昨日投稿した、コンプライアンスでは
「外形的にどう見えるか」が
判断ポイントになるということも、

この状態はどのように見える
可能性があるか、ということを

複数の視点からチェックする
必要があるわけです。

できるだけ多くの観点から確認したうえで、
やっぱり自分の考えた通りで問題なさそうだ
ということは、もちろんあり得ます。

ですが、自身と似たような視点でしか
考えられなかったら、危険です。

SNSとは離れられない世の中にあると、
自分から遠い視点を得ることが
簡単ではなくなるように思います。

自分の発信や「いいね」などの行動を
もとにおススメされてくるコンテンツや
発信者は、自分の価値観に近い可能性が
高いわけです。

他者の視点ではあるけれど、
異なった視点とはなり得ない。

世界が拡がっているようで、
むしろ閉じている。

これもよく言われること。

「外形的に」とか「科学的に」と
いうときに、ただ他者の視点を学べば
よいのではなく、

自分とは異なる視点を持っている
他者から学ぶ必要があるのです。

自分の考えを否定するような意見は
拒絶したくなる気持ちもわかります。

ですが、それでは、客観的には
なり得ないし、

他者に対して「イラっと」した感情から
抜け出すこともできません。

私は科学者ではありませんし、
身近に科学者もいないのですが、

科学者たるもの、自分の考えを
否定されることを恐れることなく、

真理の追求を目指したいものだと
思います。


【今日のまとめ】

他者の視点を学ぶといっても、
自分と同じ価値観の視点ばかりでは
意味がない。

なるべく、遠く、異なっている意見を
集めることが重要。