1118回目:事実に、敢えて解釈を入れ込む | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

今日は2月1日。

最近の中学受験事情は
まったく分かりませんが、
数十年前の中学入試の日の
ことを思い出します。

昼休みにお弁当を食べている間、
高校生の先輩が数人教室に
やってきて、
学校生活の話をしてくれたり
しました。

制服は、襟がえんじ色の
セーラー服だったのですが、

「この制服がかわいいと
思う人?」と先輩がわれわれ
受験生に質問してきました。

おそらく、半数以上が手を
挙げていたと思います。

その時私が思ったことが、
「そういえば、どんな制服か
知らなかったな」ということ。

学校案内も見ていますし、
まったく見たこともない
はずはありません。

気にしていなかったのです。

我ながら、驚きました。

さらに驚いたのは、土曜日は
学校は休みだという話がでた
ことです。

土曜日が休みだということに
驚いたのではなく、

それを知らなかった自分に
驚いたのです。

志望校、しかも第一志望です。

よくもまぁ、それで受けに
来たものです。

昼休みにそんな衝撃の事実を
突きつけられながらも

(自分の不勉強、というか
意識のなさが原因ですが)

無事に合格することが
できました。

地域によるところも
あるかとは思いますが、

当時は中学受験をするのは
クラスで数人。

塾通いも、毎月成績順で
クラス替えがあるものの、

大体同じメンバーになって
くるので、友達もできて、

受験勉強しているというより
もうひとつの学校に通って
いるような感じでした。

そんなのんきな感じにも
関わらず、合格できたことは
なんとも高運でした。

(「幸運」より「高運」だと
思っています)

時々ふと思うのですが、
母校に入ることができた
からこそ今があると
つくづく思いますし、

親に一番感謝しているのも、
あの中学・高校に通わせて
もらったことです。

地元の中学に行っても
それなりに楽しかっただろうと
思いますが、

自分が経験できるのは
ひとつしかない、

同時に複数の学校に通っている
自分を経験することは
できないなかで

自分の経験がありがたい
ものだったと思えることは、
本当にありがたいものです。

制服も知らないくらいですから、
合格したのは「運」だとしか
思えません。

ですから、必ずしも自分の
選択だけで、経験するものが
決まるわけではないと思って
いますが、

選択+運によって決まった
自分の経験を

後から振り返ったときに
ありがたいものだったと
思えるようにしていきたいもの。

幸い、中高時代は辛いこともなく
過ごさせてもらいましたが

当然、経験の中には楽しくない
ことだってあります。

それですら、ありがたいもの
だったと思えるようにしたい。

そのためには、もちろんその
辛い状況を何とかしようとする
行動が必要ですし、

さらには「ありがたいもの」
に変える解釈力も必要だと
思います。

ここでもまた、言葉の力が
登場するのです。

大好きな著者のひとり、
細谷功さんの『思考の地図』で
無意識のうちに、解釈が事実に
入り込んでしまっていることが
ある、と書かれていましたが、

「ありがたくない」という
解釈をしていた事実に、

「ありがたい」という解釈を
敢えて入れ込むのです。

その解釈を誰かに押し付ける
のでなければ、どんな解釈を
しても自由です。

「そんなことないだろ」と
万人から総ツッコミを受けそうな
妄想だって構いません。

この先、一生、ありがたいもの
だと思えるようにするために

まずは行動をとりつつ、
ありがたくなる妄想を
乗せていきたいと思います。


【今日のまとめ】

人生をありがたいものだと
思えるように、

そういう状況になるための
行動を取りつつ、

起こった事実に対して
「ありがたい」という解釈を
乗せていく。