620回目: 自分の嫌なところを認識するだけでなく、受容する | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

自分が持って生まれた

「配牌」を受け入れて

そこからどうするか
次の一手を考えて行くことが
大切だと思います。



「配牌」と書いたのは、


性格や能力は、

決して変えることができないとは

思っていませんが

 

それぞれに持って生まれたものが

あると思っているからです。


何もしていなくても
素直で明るくて
周囲から愛される人もいれば、
そうでない人もいます。

子供の頃から
斜に構えていて
ひねくれていた自分からすると

なぜ自分は素直ではないんだろう、
ネガティブなところばかり
目についてしまうのだろう


と思っていましたし、

自分と逆にあるような人が
羨ましすぎて仕方がないということが

何十年も続いていました。


ですが、今では
自分がひねくれていることを
所与のものとして

受け入れています。

決して自分のひねくれたところが
解消されたわけでは
ありません。

もうどうしたって
それはなくならないのだと
ある意味諦めのような
気持ちになった時に

ひねくれた自分と
いうものがあった上で
この先どうしていくかと
いうことを考えられるように
なったのです。

だから今でも
素直で明るい人たちを
羨ましく思う気持ちは
変わりません。

ですが、
いくら羨ましがったって
いくら努力したって

自分の中のひねくれている心が
なくなるわけではないことを
認めざるを得なくなって、

ようやく自分のことを
受け入れることができて、

それまでは
自分の性格を変えようと
していたところ、

そこからは
自分の行動を変えていこうと
考えるようになりました。


以前は、何かに対して
ついひねくれた考え方を
 してしまった時に

「またひねくれたことを
考えてしまった……。
やっぱり駄目だなぁ……」

ということを
繰り返していました。

それを、
「またひねくれたことを
考えてしまった(笑)
やっぱり駄目だなぁ(笑)」

と自分にツッコミを入れるように
軽く流せるようになってから、

ダメな自分の上で
「とはいえ、どういう行動をとるか」
という次の一手を
考えることができるようになりました。


例えばあることについて
意見や質問を述べるとき

ひねくれた視点を
ダイレクトに表現するのではなく、
オブラートに包むことを
意識しています。

(具体的なコメント例が
パッと思い出せないので
伝わりづらいかもしれませんが) 


自分の行動を変えようとしている
結果として、

それでももともと素直で

明るい人のように
なれているとは思えませんし

この先そうなれるのかどうかも
怪しいと思っています。

ですが少なくとも
過去の自分と比べると

少しぐらいは
素直になれているのではないかと
信じています。


自分の内面として
ひねくれた視点を持っていることは
過去も今も変わっていません。

ですが、自分の中の言語が


「なぜ自分はひねくれているんだろう。
素直ではないのだろう」
から

「自分はひねくれていることに
理由はない」
に変わったことは

自分にとっては大きな
違いとなっています。


「なぜ自分はひねくれているのか」
と思っていた頃も、

自分はひねくれていることを
認めていると思っていました。

今になってみると
それは認めていたのではなく
ただ気づいていたということ
だったのです。

この「気づく」ということと
「認める」ということは

一見似ているようで
その間には大きな差があります。

認めるということは
受け入れると言った方が
いいかもしれません。

気づいていても
それを受け入れるかどうかは
別の問題です。


先日ある方と話をしていた時に、

自分ができないと思うところや
嫌だと思うところは

受け入れることができれば
すごく楽になるけれども

わかっていても
なかなか受け入れられない
という話になりました。

私にとって
自分の嫌なところを
受け入れるというのは

その嫌なところそのものを
変えようとか
無くそうというのではなく

それを持っているのが
自分の前提条件であると
認めることでした。 

「所詮自分は素直ではない」と
開き直ることでした。


とはいえ諦めて、開き直って
そこで終わっていては
何も進みませんから、

現状の「諦めざるを得ない自分」を
前提に、今後の対策を考えることに
したのです。


これって、
仕事と同じではないかと
思いました。

どういうことかと言うと、
仕事でやっていることは
望ましい将来に向かって
現状を改善していくことです。

そのためには
正しく現状把握を
する必要があります。

そしてその現状がどうあれ
そこから将来に向かって
動き始めるしかないのです。

「どうして自分の会社は
こうなんだ」とか
「なぜ他社に比べて、
全然できていないのか」

などと言っていても
仕方がありません。


にもかかわらず、
自分のことになると

この仕方がないことを
何十年もやり続けて
しまっていたのです。


そして今から思うことは
もし自分の嫌なところに
気づいているのであれば

一刻も早く
所与のものとして
受け入れてしまった方が
良いということです。

そうでないと、
その嫌だと思う点が
ますます強化されてしまう
気がするのです。


嫌なところって、

自分で分かっていても

なかなか治らないもの

だったりしないでしょうか。

 

過去の私のように

それを治そう、変えようと

しているのに

いつまでも変わらない

 

というところで

留まってしまうと、

 

行動も変わらないままだからこそ

周囲の人たちからも

そのような人として

認識されるようになり、

 

その範囲も広がっていき、

 

そして自分も

その状況を見ることで

 

「やっぱり自分はこうなんだ」

という認識を強めてしまいそうです。

 

 

人は、自己認識の通りに

なっていく、

とも言いますから

 

それが良いものであっても

悪いものであっても

「自分はこうだ」と思い込めば

思い込むほど

 

それに相応しい行動を

とるようになるのです。

 

 

私は、

素直だと思う行動を

とったときに

違和感を感じます。

 

所詮、素直ではない自分が

素直なフリをして

行動しようとしている

偽善を感じてしまうのですが、

 

これは、

素直な人が取るであろう行動は

「素直ではない人」として

相応しくない行動だから

ではないかと分析しています。

 

幸い、この違和感は

当初よりは減っては

きているのですが、

 

もっと早く受け入れることが

できていれば、

 

偽善を疑うことがもっと少なくて

済んだのかもしれません。

 

 

まだまだ自分の中には

気付いていない

ネガティブなところが、

あるかもしれません。

 

もし、それに気付くことがあれば

即座に受け入れて

 

その配牌の元、

次の一手を考えて

負けないようにしていきたいと

思います。

 

 

 

【今日のまとめ】


自分の嫌なところは

前提条件として受容した上で

 

将来に向行けた

次の一手を考える。