今日久しぶりに
同級生とランチに行きました。
出会ってから30年以上(!)
経ちますが、
とにかく勢いが変わらない。
昔から、
これ!という直観力と
行動力は本当にすごいなと
尊敬していましたが
今もまた、コロナ禍の5月から
新しいことを始めていました。
ほんとうに、さすが、
としか思えない。
そんな彼女の一番素敵だなと
思うところは
「私って運がいい」と
本気で信じていること。
そして、傍から見ていても
「運がよさそう」な人なのです。
短い時間でしたが
彼女と話していたら、
こちらも運がよくなるような
いい「気」をもらいました。
外出自粛になってから
家族以外の人と
直接会って話をすることが
ほとんどなかったので
彼女と会って、
人が持つ「気」のことを
久しぶりに意識しました。
いい「気」を持っている人と
関わったり、
いい「気」の流れている
集まりに参加するときの
ワクワク感。
それを感じるたびに、
果たして自分は
どういう「気」を
出しているのだろうか、
と自省させられます。
「気」というものは
生まれながらに持っている
ものでもあるかもしれませんが、
ある程度は
意識してコントロールして
身につけていくことが
できるものでもあるように
思います。
偶然のきっかけで
自分よりも先輩方の
集まりに呼んで
もらえることになったのですが、
人として尊敬できる方ばかりで、
また社会的な立場の高い方も多く
たまたま偶然の
きっかけがなければ、
絶対に交流を持つことなど
出来なかった方々でした。
そこに居させてもらうためには
やはり自分もいい「気」を
身につけていなければ
ならないと思いますし、
少なくとも、重たい空気を
持っていないことは
最低限のマナーだと
考えています。
その集まりに参加する前には
いつも少し緊張しながら
「気」を整えることを
意識しています。
それでいったいどのくらい
できているのかは
分かりませんが、
まだ呼んで頂けているので
少なくともNGではない
ということだと信じています。
なんだか「気」「気」「気」と
目にも見えないし、
どういうものなのか
伝わりにくいことについて
書き続けてしまいましたが
人と会うことが少ないと、
自分がどんな「気」を
出しているか、
気を配ることが
減ってしまうなと、
今日ランチした同級生の
「気」を見ながら、
少し身が引き締まる
思いがしました。
なんであれ、
人が見ていないところでも
できてこそ本物
と言いますが
油断せずに
「気」を整えておきたいと
思います。
【今日のまとめ】
人に会わないときでも
自分の「気」に気を配る。