自分の目標に
自分で共感できるか?
のメルマガで、
ビジョンについて書かれていた内容が
心に刺さりました。
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ビジョンに求められる最も重要な要件、
それは「共感できる」ということです。
目的とその理由を告げられて
目的とその理由を告げられて
自分もその営みに参加したい、
自分の能力と時間を実現のために
捧げたいと思うこと、
つまりフォロワーシップが
そこに生まれることで初めて
それと対になるかたちで
リーダーシップが発現するのです。
ところが、
ところが、
多くの日本の企業のビジョンは、
その事業に参画する人にとっての
「共感できる」ものになっていません。
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ビジョンが共感できるものに
なっているか、
ということは
企業にとってだけでなく
自分にとっても
当てはめて考えるべき
ことだと思いました。
自分のビジョンが
自分で共感できるものに
なっているか、
目的とその理由を告げられて
自分もその営みに参加したい、
自分の能力と時間を実現のために
捧げたいと思うか。
一見、自分のビジョンなのだから
自分で共感できないはずがない
と思ってしまいますが、
本当に共感できるものに
なっていれば
自分の能力と時間を
その実現のために
捧げているはずで、
一度決めたことを
面倒だとか、眠いとか、
ちょっと遊びたいという理由で
後回しにしてしまうというのは
能力と時間を捧げている
とは言えず、
つまり自分の目標が
共感できるものに
なっていないという
ことなのではないかと
思うのです。
自分の目標設定に関して
これまで「心震えるもの」を
探してきましたが
自分が見つけたものは
そこまでのレベルだろうか?
と疑問を持つこともあり、
そもそも
「心が震える」とは
どういう状態か
と考え込んでしまったり
したことがありました。
(おそらく考え込んでしまう時点で
心が震えていない気がします)
和仁さんのメルマガで
「共感」ということばを読んで
「これだ!」と思いました。
「共感」という言葉は
「心が震える」より前のもの
だとは思いますが、
一段目のフィルターとして
自分にとって分かりやすいものです。
フィルターでふるいをかけている時点で
やっぱり心が震えていない
ということなのかとは思いますが(汗、
自分はつい先に頭で
考えてしまいがちなので
心を使うものとして
「共感できるか否か」は、
自分に合う基準だと思います。
「心が震えるか否か」だと
レベルが高すぎて
構えてしまい
「あぁ、今日も心が震えるものが
なかった」
と、若干落ち込み気味に
なることもありましたが、
「共感できるか否か」は
もっと気軽に
「いいね!」ができるので
見つけられそうな気がします。
と、書いてみて
本来は楽しいはずの
心震えるもの探しが
重たいものになってしまっていた
ことに気づきました(汗。
心震えるものは
「いいね!」と共感する中に
「これは!!!!!!」と
いうものとして、
あるのだと思います。
今日も一日、
心震えるもの、共感できるもの
を見つけていきたいと
思います。
【今日のまとめ】
会社のビジョンが
従業員が共感できるものに
なっていないというのは
それが共感できるものに
なっていないから。
果たして
自分のビジョン、目標も
共感できるものに
なっているのかというと
疑問がある。
共感できるものであれば
自分の能力と時間を
捧げているはずで、
面倒だとか眠いだとかで
目標のための行動を
後回しにすることはないはず。
自分の目標に
自分の能力と時間を
捧げられるよう
共感できるものを見つけ
その中にある
心震えるものに気づき、
目標としていきたい。