ブログ163回目: 究極の目標は、到達しえない。 | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

おはようございます。

 

 

目標設定について

考えているのですが

 

つい忘れがちなのが

 

究極の目標は

達成しえないものであるべき

 

ということです。

 

 

目標といえば、

達成するためにあるもの

 

と考えがちですし、

自分もそう思ってきました。

 

 

しかし、

たとえば受験に合格したい

という目標があったとして、

 

何のために合格したいのか、

何のためにその学校、学部に

合格したいのか、

 

といった

その先の目標までは

立てられていないということも

あるのではないでしょうか。

 

自分は、

弁護士になりたいと思って

法学部を目指したのですが、

 

その先の、

なぜ弁護士になりたいと

思ったのかは

一生働ける仕事がしたいから

ということ。

 

なぜ

一生働ける仕事がしたいのかは、

ひとりで食べていける収入を

保ちたいから、

ということでした。

 

 

これが中学生の頃に考えたことで、

考えないよりは

良かったのかもしれませんが、

 

最終目標が収入、になっていて

また「一生働ける仕事」の設定として

なんとなく士業、

その中でもなんとなく弁護士

 

という甘い設定なので

 

大学入学後には

司法浪人してまで目指せないな、、、と

挑戦もせずに本気で弁護士を目指すことも

なくなったわけです。

 

 

そんなことを、昨日、今日の

 鮒谷周史さんのメルマガを読んで

改めて考えさせられました。

 

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「現実に到達できる」レベルの目標は
 あくまで中間目標に過ぎず、

 真の目的たる
 「究極目標」
 とは、到達し得ないものであり、

 まるで別種のものであることは
 知っておくべきでしょう。

 これこそが真の目標で、
 中間目標は手段に過ぎません。

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こう書かれている通り、

私が中学生の頃に立てた目標は

すべて「究極目標」のない

中間目標であったのです。

 

 

中学生の頃の途中の目標であった

法学部入学後は、

 

中学生の頃よりも

短期的な中間目標しか

立ててこなかったという

お粗末な状況。

 

 

これを打開したくて

「究極目標」を考え続けているのですが

 

つい、これまでに慣れ親しんだ

「目標=達成すべきもの」

というイメージにひっぱられて

 

「究極目標」の定義の中に

達成すべき、と入れてしまっていました。

 

 

究極目標は、

いつまでも到達することはないが

そこを目指し続けることで

自分を高めていくものであると

考えると、

 

いつまでも、目標どうしよう。。。と

悩んでいるよりも、

 

いずれにしても抽象度の高い言葉に

なるのであるから、

いったん決めてしまって

 

そこに向かった行動を

一刻も早く始めた方がいい、と

思わされました。

 

 

と、いいつつ

一旦仮設定した目標に

本気で向かえていなかったので(大汗)

 

大反省とともに

改めて目標に向かって

思考と行動を進めていくために

この内容を書きました。

 

 

【今日のまとめ】

 

目標は、達成すべきものと

イメージしがしだが、

 

「究極目標」は

いつまでも目指し続けるもの、

つまり到達できないものである。

 

到達できないからこそ、

自分を高めていこうと

し続けることになる。

 

また、究極目標があると

中間にある「達成すべき目標」も

明確なものとなり、

 

ひとつひとつの目標が

すべて究極目標へとつながって

一貫したものとなる。

 

 

常に究極目標に向かって

自分を高め続ける状態に

入れるよう、

 

いつまでも究極目標の

言葉の設定に迷うことなく、

 

いったん設定した言葉を

追求していきたい。