子どもがいる不自由さを感じるとき。 | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

こんにちは。

今日で137回目のブログです。

 

ブログの先輩に勧められて

回数を毎日記載するようになってから、

一日一日への意識が高まっているように

思います。

 

毎日数えていると、

 

月末や年末になって、

「もう今年も〇か月が過ぎた!」

「今年も終わる!」という

焦りが少ないような気がします。

 

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昨日、子どもと姪っ子たちと

公園に行きました。

 

広くはない公園ですが、

子どもたちは2時間遊んでいました。

 

もう、勝手に遊んでくれる年齢なので

こちらは見守るだけでよいのですが、

 

2時間あれば、

あれができたなー、とか

これもできたなーとか、

思ったりします。

 

 

普段、子どもも姪っ子も

学童に行っていて、

 

学校終わりに

外で思いっきり遊ぶことが

できないから、

今日は遊ばせてやろう

と覚悟していても、

 

この2時間への

心残りのような思いが

湧いてきます。

 

 

特に子どもが小さいうちは、

予想以上に

思ったように時間が使えず

 

一日家にいても

基本の掃除、洗濯、炊飯すらままならず

 

かろうじて炊飯だけはなんとか、

という状況が、よく起こります。

 

 

これを仕事でイメージすると、

 

15分あればまとめられる資料が

上司に呼ばれ、

電話がかかってきて、

至急対応のメールが来て

結局、今日中に終わらなかった

 

ということが、

1日中、しかもそれが毎日続くと

思ってもらえたら

なんとなくイメージできるでしょうか。

 

 

こんな状況が続くので、

「いつもの生活」ができること自体が

うらやましく、

 

時間がある(ような気がする)のに

やりたいこと

(しかも、本当に自分が

やりたいことではなく、家事)が

まったく進まない虚しさから、

 

自分は不幸だ、と感じてしまう

人もいるのは

分からないではありません。

 

 

 

しかし、

子どもは誰かに頼まれて

生んだわけではありません。

 

これは、私が妊娠中に

祖母に言われたことです。

 

「誰からも頼まれもしないのに、

子どもを産むんだからな」と。

 

子どもがいることからの

不自由さに文句を言いたくなった時に、

 

いつもこの言葉が頭に浮かびます。

 

 

遊びまわる子どもたちを見ながら、

ふと周囲の働くお母さんたちの

場合によっては、悲壮ともいえる様子を

思い出して、

今日のブログを書きました。

 

 

もし、これを読んでくださっている方で

子どもがいることによる不自由さを

感じている方がいらっしゃったら、


「上野千鶴子のサバイバル語録」からの

言葉をご紹介したいと思います。

 

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●「時間を一緒につぶしてくれるのが家族」

 

子どもたちは、自分の人生の時間を、

20年間ばかりわくわくどきどきさせて

つぶしてくれた相手だと思って、

それ以上の期待をせずに

感謝して送りだそう。

 

 

●「子育てと介護は、非暴力を実践する場」

 

自分の嗜虐性と暴力性を

どう抑制するのかは経験と学習です。

 

 

●「不幸な母であることをやめる」

 

どんなやり方であれ、

まずあなたご自身が、

不幸であることをやめること。

 

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このくらい割り切ると、

自分の不自由さ(不幸)は

(かわいいはずの)自分の子どものせいだ

とならず、

 

またそう思ってしまう自分を

責めることなく

 

何も終わらない毎日にも、

「ま、家が汚れていても

死にはしないし、だいじょうぶ」と

気楽になれるのではないかと

思います。

 

 

上野さんはお子さんがいないから

この大変さは分からないのだ、

などと考えず

 

むしろ、経験していない、

外の世界の人だからこその

客観的な視点だと捉えると

 

なるほど!

 

と思えるところがあるのでは

ないでしょうか。

 

 

 

【今日のまとめ】

 

子どもがいることの不自由さを

感じるときは

 

子どもは誰かから頼まれて

産んだのではない、

自分が選択したという覚悟を

思い出し、

 

子育ては自分の嗜虐性、暴力性を

抑制する経験と学習の場だから

イライラして当たり前。

イライラする自分を責めず、

 

自分の人生を

わくわくどきどきさせながら

時間をつぶしてくれる相手である

子どもへの感謝をもって

 

どんなやり方であれ

まず自分が幸せになることを考えたい。