恥ずかしくなければ何をしてもいいのか? | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

おはようございます。

大学ラグビーで

11シーズンぶりに

早稲田が優勝しました。

 

優勝した時だけに歌われる

第2部歌「荒ぶる」を

会場で生で聞けたのは

嬉しかったです。

 

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一昨日のブログで紹介した本

山口周さんの「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか」

の中に、

 

「恥の文化」に関して

以下の記載がありました。

 

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「恥の文化」においては、

たとえそれが悪行であっても、

世間に知られない限り、

心配する必要はない

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このことは

コンプライアンス違反の問題との

関係で述べられているのですが、

 

よく聞く

「恥ずかしいからやめなさい」

という注意の仕方について

 

自分が子どもの頃から

気になっていたことを

明言してもらったものでした。

 

 

屁理屈好きな子供だった

自分は

「恥ずかしいからやめなさい」

を聞くたびに、

 

「恥ずかしくなければ

何をしてもいいのか?」

と思ってきました。

(今でも思っています)

 

 

例えば、

駄々をこねている子どもを

注意するとき、

 

恥ずかしいという理由より

周囲の人の邪魔になるとか、

大声がうるさいとか、

 

という、他人目線の理由で

注意すべきではないか

と思ってしまうのです。

 

 

一見「恥ずかしい」というのは

他人の目線のようであって、

 

他人の目線を気にしている

自分の目線、

 

ではないでしょうか。

 

 

だから、

自分が「○○してしまって恥ずかしい」

と思うときも

 

案外、

他人は「この人は○○してしまって

恥ずかしい人だ」と

思わないような気もします。

 

 

実際に、駄々をこねている

他人の子どもを見たときに

「駄々をこねて、恥ずかしい子どもだ」

と思うことはなく、

 

通りの邪魔だなぁ、

声がうるさいなぁ、

ということの方が

頭に浮かぶのではないでしょうか。

 

 

 

もし、山口さんの言うように

恥の文化が

コンプライアンス違反の

原因の一つと考えられるなら

 

「恥ずかしいから」という理由だけ

行っていることや、

行っていないことが

あるのであれば、

 

本当にそれは

行うべきなのか、

行わないべきなのかを

「恥ずかしいかどうか」

ではない理由で

見直すべきなのかもしれません。

 

 

コンプライアンス違反という

重大なことでなくても、

「恥ずかしいから」やらないために

自分が損をしてしまうことも

あると思います。

 

 

共感頂ける方も多いと思いますが、

「聞くは一生の恥、

聞かぬは一生の恥」は

分かりやすい例です。

 

 

他にも、

親への感謝を伝えるのは

恥ずかしいとか、

 

電車で席を譲ろうとして

断られたら恥ずかしい

 

などと言うのも

一例かと思います。

 

 

また、仕事の場で

自分の意見を否定されるのは

恥ずかしいと

発言しなかったばかりに、

 

同じアイディアを持っていても、

採用されて評価されるのは

発言した人であり、

 

リスクの可能性を気づいていたのに

指摘しなかったばかりに

実際にリスクが発生してしまったり、

 

という経験のある方も

いるのではないでしょうか。

 

 

こうした後悔を減らすには

「恥ずかしい」思いを超えて

行動することが

必要なのだと思います。

 

 

「恥ずかしい」思いを超える

というのは、

 

もちろん

「恥ずかしくないから

気にせずなんでもやっていい」

と思うことではなく

 

自分では

やった方がいい、

やらない方がいい

と思ったのに

 

「他人の目」という理由だけ

やらなかったり、

やったりする

ことをやめる、ということです。

 

 

自分が第一義的に

やった方がいい、

やらないほうがいいと

思うことは、

 

それが「正解」かどうかの

判断はできませんが、

 

個人の善悪や

真善美に基づいた

判断なのだと

思います。

 

この判断のレベルを

上げていくのは

また別の話として重要ですが、

 

 

少なくとも

自分がやるべき、

やるべきではないと

思ったことを、

 

「恥ずかしい」という

理由だけ

やらなかったり、

やってしまったり

 

ということがないように

意識して

行動につなげたいと思います。

 

 

【今日のまとめ】

 

■「恥ずかしい」かどうかを

判断基準とすると、

 

世間に知られなければ

問題ないといった考えにも

つながる恐れがあり、

 

ンプライアンス違反という

重大なことが起こってしまう

可能性もある。

 

 

■「恥ずかしい」からという

理由だけで、

やる、やらないを決めていると

 

自分が損をする、

後悔してしまうことにも

つながる。

 

 

■「恥ずかしさ」を判断基準とせず

「恥ずかしさ」を超える勇気をもって

意識して行動していきたい