「上尾」地名の由来となった『氷川鍬神社』 | 総合診療医:誰もがわかりやすく医療を理解する事ができるブログ

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JR高崎線上尾駅から徒歩2分のところに、『氷川鍬神社』があります。

ここは「上尾」地名由来となった神社なのです。

  

  

所説はあるのですが、その中の1つをご紹介します。

  

江戸時代の大晦日に近いある日、3人の童子が鍬(クワ)を持ち、踊りながら荷車を引いてゆくという変った一行が上尾宿を通り過ぎて江戸に向かっていきましたが、荷車の荷物の届ける先が見つからなかったため、大晦日の日に再度戻ってきました。
ところが、この荷車が上尾宿の辺りで急に何をしても動かなくなったため、ここに奉る事になりました。
荷物の中身は2本の鍬と金の弊束で、その事から現在の上尾駅から徒歩2分の所にある鍬神社(後に氷川神社と合祀されて氷川鍬神社)と言われるようになりました。

  

正月も明けた5日になると、童子もいなくなってしまいました。そこで童子が置いていった包みを開けると中から数十本の稲穂が出てきたので、神棚に上げて奉ったそうです。
この『稲穂』を『上げた』事から、上げ穂=あげお(上尾)という地名になったとされています。

  

▲正面鳥居

▲合肥された浅間大神

▲聖徳太子像碑

▲社殿

  

この日は文化の日翌日という事もあり、七五三詣の家族がたくさん訪れていました。

  

尚、同じ上尾市内のアリオ上尾という大型ショッピングセンターでは、9月中旬から2月下旬までの何と5か月半もイルミネーションを見る事ができます。

  

 

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