藤倉さんが非常に素晴らしい記事をあげている。

オウム事件の「風化」に言及しても「風化」の実情は報じない新聞・テレビ https://hbol.jp/215499?display=b

かつては、末端信者であっても当事者意識は持っていて、世間から罵声を浴びせられたり、厳しい視線に晒されたりしても、あれだけの事件を起こしたのだから当然である、という認識ぐらいは持っていたものだ。

でも、ここ数年でそのような事件当事者としての認識も大きく変化してきたように思う。

私がまだ信者時代であったので、5年ほど前になるだろうか。上祐とネットで議論していた時、彼は「我々は下等市民じゃない。」と言ってのけたのである。

この時はまだ吉田栄子さん殺害事件について隠蔽していた時期である。殺人事件を隠蔽しつつも、このような台詞を言えるようになるまで、増長しだしていた。

この背景には、記事中でも登場する河野義行さんの影響が大きかったと考えている。

河野さんは広告塔として利用されるだけじゃなく、「オウムだからといって何をされても許される訳じゃない」っていう権利意識をひかりの輪の連中にも感化させていった。

その権利意識は、事件加害者という自覚まで弱めていく作用を果たしていったと思われる。

賠償してるんだから加害者としての義務は果たしている、つまりは金を出してるんだから文句を言われる筋合いはない、ともいえる傲慢さが露骨に見えるようにもなってきた。

見方を変えたなら、オウム信者かそんな傲慢さを露呈しても許してもらえるほど、事件は「風化」したともいえるのだろう。

今月の10日に浅川幸子さんがお亡くなりになられた。

そのことを加害者の関係者に指摘したら、凄まじい反論が返ってきて、自らの正当性をネットで堂々と述べている。

これが、「風化」の実態であろう。