人は誰しもが自分の言動や考え方に矛盾のない行動をとりたいと思う傾向がある。これを「一貫性の法則」という。

 

例えば、ひかりの輪では聖地巡りでも金額やスケジュールが明らかになっていない時点で、勧誘を始めたりするケースが多かった。レンタカーを使う、使わないで値段も違ってくるから仕方のない面もあるのだが、日付だけが決まっていて、値段も決まっていない、細かいスケジュールも決まっていないという段階で、参加するかしないかを決めなければならなかった。M派時代にはスケジュールどころか行き先すら分からないという時があった(笑)。長野県ということしか教えてもらえず、長野のどこにいくのかは着いてみなければわからない(笑)。

 

今ではマシにはなったが、先に参加するかどうかは詰められる。誤魔化し方や言い逃れ方法がわからないと「参加する」ということを先に決めてしまう。一旦、決めてしまうといくら値段が高いと思っても「一貫性の法則」で心は動いていくので、断りきれないということになる。

 

仮に、お金が高いと言えたとしても、「参加する」ということが前提にはなっているので、バクティ(奉仕)参加として、金額を安くするかわりにお手伝いしてね、ということになってしまう。

 

それで、ちょっと手伝いする程度かな、なんて考えていたら大違い(笑)。みんなが散策していても食事の準備や後片付けなどを「ほぼ強制的」にしなければならなくなる。バクティ参加と言った手前(一貫性の法則)、行きたかった場所があったとしても観光もできずにバクティという名の強制労働をしただけで帰ってくることになる。安くしてもらったとはいえ、そこそこの金額を出していたとしてもである。

 

この「一貫性の法則」はセールスなどでもよく使われる。「話を聞くだけ」とか「試食だけ」とか受け入れやすいハードルで勧誘し、相手や商品を受け入れる態度を示してしまうと「一貫性の法則」や以前取り上げた「返報性の法則」などが働き、契約書にサインしていたり、物品を購入していたりということになってしまう。

 

人の心理にはそういう法則が働くということを熟知し、そういう状態を巧みに利用して心を知らず知らずのうちに操作していくのである。意図的にそのような手法を使っていたとしても、結局は「自己責任」ということになってしまう。

 

口約束でも契約は成り立つ。しかしながら、民法上には「錯誤」という概念がある。勘違いとか間違いということである。例え参加や売買の意思を示していたとしても、金額やサービスという法律行為の要素に錯誤があった場合は、錯誤無効を主張できる。

 

相手側は、一貫性の法則を使ってマインドコントロールを仕掛けてきているのであるから、相手を思いやる必要も、良い恰好する必要もなく、正々堂々と錯誤無効を主張すればいいのである。