久々に総括を読んだら、ついつい大爆笑してしまった。と同時に怒りも覚えた。

http://hikarinowa.net/kyokun/joyu/03message/03.html

 

なんじゃこりゃ。アレフに対する言葉の全ては、今のひかりの輪に当てはまるじゃないか。

 

「愛着を背景とした盲信」、「愛著のあまりの凶行。愛著のあまりの狂信。」を上祐ギャルに対して求め、色恋営業とも言える勧誘を行っているではないか。

 

「合理的、客観的な証明なき信仰。」虹を見るたび吉兆だといって喜んでいるが、こんな信仰に何の合理的説明ができるのか。
 

もっと笑えるのは、

 

「私のいる世田谷の教団施設では、毎日、公安当局の方々が、教団信者を監視しています。新団体ができることもあって、表情が以前よりも、若干厳しくなったようです。私は、あま接することはないですが、ある信者が、最近、あんまり公安の人たちが、挨拶を返さなくなってきた、と言っていました。
 これは、公安当局の人々が、日本の国民のために、教団を監視して、教団の問題点を批判し、必要な圧力をかけるのは、過去の事件から、当然のことだと思います。」

 

などとも述べている。ならば現在、勧誘する時にもきちんと説明しとけよ。何故、偽名でも大丈夫などと言えるのだ。何故、監視活動をしている地域住民にも暴言を吐けるのだ。何故、我々は下等市民ではない、などと開き直れるのだ。

 

今のひかりの輪に私が最も言いたいのはこれ。

 

「自信がないのではなく、楽をしたいから自立しない」

 

これも今のひかりの輪にズバリ当てはまるんじゃないの?

 

「自分自身が、楽をしていたら、長い目では、自分はダメになる」

「自分には、元代表・旧教団の流れから自立し、成長していく能力がある」

「皆が自立できると信じ合うことだ」

 

元代表を上祐に置き換え、旧教団をひかりの輪に置換えて見たらいい。

 

解散できるやん。この当時の気持ちを思い出しさえすれば。

 

それとも、これらの言葉は、いつものごとく全て嘘っぱちだったということか。

 

世間を欺き続けた旧教団の時と同じく、この時も世間を欺き、会員を欺いてきたという訳か。

 

こんな言葉に騙された自分が馬鹿だったのかもしれないが、少なくとも私は今でも同じ気持ちでひかりの輪を見続けているぞ。

 

とっとと、自分の発した言葉の責任を取って解散してまえ。自立できると信じているから。