Libra Style 




あー。今日も仕事に行きたくないなあ。


朝の電車に乗る前にいつも咲樹は思う。



もう仕事を辞めて、主婦になったら。



そう夫の佑翔はいつも言っている。



その道もあるけどね。私は自分で稼いだお金である程度は自由にやらせて欲しいのよね。



もちろん二人で働いてお互いに出し合って、それで生活をしているのだけども。




正直、佑翔の給料だけでもカツカツになるがなんとかやってはいける。



でもそうすると生活に潤いがない、喜びがない。


佑翔ともケンカをしたくない。



だから嫌だけど仕事に行く。




この仕事を始めて3年。

小さな会社だから、色々と不満はある。

あるがだとしても、なんとかはなる。



不満の一番は女性社員をまだかなり女性扱いするところだ。



来客にお茶を出させたりと、前近代的である。



しかし、給料は女性の事務職にしてはかなり良い。

しかも、正社員。

だから仕方ない。



小さな会社だから人間関係が大事だが、女性社員は問題ない。



後輩はかわいいし、先輩はどこか抜けているが悪い人ではない。



問題は課長よね。



まあ、本質的に悪い人ではないのだろうけど、生理的に嫌いなのよね。



気持ち悪いというか。

それでいて、威張ってくる感じで。



係長は良い人だから、係長に言えばなんとかしてくれるけどね。



まあ、いいか。



今日もなんとかなるさ。



そんなことを考えつつ電車に乗る。



普通の会社ならテレワークよね。



小さな会社ではテレワークにはならない。

もちろん去年の緊急事態宣言の最初の時に自宅待機になったが、今は緊急事態宣言だろうと何だろうと仕事には行く。



今日も何か嫌なことが無いと良いけど。





「ただいま。」

「お帰り、ご飯出来たよ。」


夫の佑翔がご飯を作ってくれていた。

今日の夜はバジルソースのジェノベーゼスパゲッティとトマトの薄切りとモッツァレラチーズの薄切りを交互に重ねてバルサミコ酢とオリーブオイルをかけた、カプレーゼだ。



二人ともイタリア料理は好きだから、夫のこんな料理はとても嬉しい。



咲樹はこの料理をスマホで写真に撮った。

後でインスタに上げる予定だ。



実は二人は新婚旅行ではイタリアに行った。



ちょうど3年前になる。



まだ新型コロナウイルス禍など無かったころだ。



「カプレーゼか、クリスチーネはどうしているかな。」



二人で新婚旅行に行ったときに、ミラノで出会った少女クリスチーネ。

二人でミラノのカフェでカプチーノを飲んでゆっくりしていると、一人の少女が写真を撮ってと言ってきた。



咲樹が写真を撮ってあげようとすると、その少女はいや、咲樹たち二人と写真に入りたいと言った。

咲樹は英語は多少出来る。

少女も英語は多少出来る。

なんとなく気が合って、少し話した。



少女は咲樹たちがいるカフェの近くに住む少女でクリスチーネという名前だった。



イタリア人特有のかなり唐突に色々なことを話してくる感じで、何でも私はカプレーゼというトマトとモッツァレラチーズを重ねた料理が大好きで、毎日、食べていると伝えてきた。



いきなりそんな話?と二人で驚いていると、すぐに「チャオ」と言って、帰っていった。



咲樹たち二人はあっけに取られて、その後二人で大笑いした。



そんな思い出。



だから佑翔もイタリア料理をするときにはこのカプレーゼをつい作ってしまう。



「そうだね。楽しかったね。」


「そうね。」




食事を終えたら、二人で格闘ゲームを始める。

二人ともゲーム好きで、特に夫の佑翔はesportsのセミプロとして、土日はesportsの大会に出ている。



咲樹はゲームキャラのユンを使う。

このユンはテコンドーを使う女性キャラで、レインボーかかと落としを得意技としている。



佑翔はサントスという男性キャラを使う。

ブラジリアン柔術の使い手でボーンクラッシュロックという決めワザがある。



咲樹がドンドン佑翔をキック技で追い詰めていく。

一転、佑翔が転がり足を払い、ボーンクラッシュロックでスーパーコンボを決め、勝負をつける。


「もう、佑翔くんにはかなわないなあ。」


そう佑翔はかなり強い。

でもesportsではもっと強い相手がゴロゴロいる。



特にK-taを使うプレイヤーは有名で、K-taのスーパー回転KARATEブローはK-ta使いの使い方によってどうにでもなるような技で、K-ta使いは恐れられている。



「まあ、俺ならK-taのKARATEブローをかわして、ボーンクラッシュロックを決めるけどね。」



そうかも。

でも佑翔くんはそれほど強いかなぁ?


そうだと良いけど。



でもこうして夫婦二人で格闘ゲームを毎日やれて幸せだ。



土日には佑翔がesportsをしないときには二人で街に買い物に行ったりする。



そんな毎日がとてもとても幸せなのだ。



会社の後輩にもそんな良い人がいればなぁ。



たまに話をふってもその後輩は一向に話に乗ってこない。


出会いがないそうだ。


夫婦生活は幸せなのになあ。




また仕事では面白くないことがあった。


咲樹はこんな日は美味しい物を食べようと思って、帰りにスーパーでプレミアムオージー・ビーフと宮のたれを買ってきた。


「咲樹ちゃん、今日は嫌なことがあったの?」



すぐに佑翔は分かってくれる。


ムシャクシャしながら、咲樹はステーキを焼く。




二人でステーキを食べながら、話す。


「咲樹ちゃん、俺は子供はいらないよ。」

「頑張ろうよ。」

「でもこれから病院に行ったりすると、大変になるよ。」


佑翔の気持ちも分かる。


でも咲樹は子供が欲しい。

もしかすると子供が出来にくい身体なのかもしれない。



「俺は今の生活で十分だよ。」



夫の気持ちは嬉しい。



でも…



「二人で頑張ろうよ。」


「分かった。そうしよう。」




「あの課長、お話があります。」

「何でしょうか。言ってみてください。」

「出産休暇が欲しいのですが。」


咲樹は晴れがましく言った。