★今日は珍しく、短編を書いてみました(^^;)。
 
■サックス奏者Aのライブ
《1990年の東京。今から25年程前のことです。東京で活動するサックス奏者Aは10年20年に一人の逸材との評判で、仕事も順調に入って来ていて、バンドのライブなどでも大活躍。生まれつき右足が不自由でしたが、将来有望なミュージシャンでした。
その彼がある夜、都内の有名なジャズクラブに出演し、自分のバンドのライブでソロを取っていた時のこと。それは、自分でも完璧と思われるほどの神がかった、美しいソロでした。こんなにいい演奏はめったにできません。
さて、精一杯の自分のソロを終えて、他の楽器プレイヤーがソロを回し始めました。ステージ上に置いたウイスキーの飲みかけのグラスを手にしようと、ふと客席を見ると、ピアノの近くの前の方の席に、夫婦で何度かライブに来てくれていた初老の男B氏がいたのです。
B氏は一人きりで、なぜかとてもつまらなそうにしていて、照明が暗いのと同じように、表情まで暗く、今にも帰りそうな雰囲気まで漂わせています。
(なんだよ。まるで、俺の演奏が良くなかったとでも言いたいのか。ふざけるなよ。)
そして、セカンドのステージ。B氏は相変わらずとてもつまらなそうに、そして時には「こんな音を聴いていられるか」といった感じで、辛そうにしています。
満場拍手喝采のステージが終了後、たまらなくなったA、つかつかとB氏のところに。「俺の演奏が面白くなかったみたいだね。もう二度と来なくていいから」。B氏は、やっぱりつまらなそうに、何も言わずに、静かに帰って行ったのでした。
 
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半年後。たまたま道端で、AはB氏の奥さんに声をかけられました。あの夜のライブの1か月後に、B氏は亡くなったそうです。壮絶な末期ガンでした。

「うちの主人は、あなたの演奏が大好きで、死ぬ前にもう一度聴きたいと、病院を抜けだして行ったんです。そして、演奏が聴けて本当に良かった、Aさんにはとても感謝している、と...」。
Aは男泣きに、声を上げて泣きました。(なんということだ。俺は一体何をやっていたのか。)
 
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それから20数年の月日が経ち、ニューヨークのジャズクラブで、とても美しいサックスを演奏する初老の日本人がいるとの話。なんでも、優しい目をした、片方の足が悪い人だそうです。風の噂ですが。》