「世界にはきみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない、ひたすら進め。」(ニーチェ)

 

 

 

 

「思想としての全共闘世代」(小阪修平著、ちくま新書)という本を読んでみました。

 

著者の小阪修平は1947年生まれで私と同い年。

1970年に行われた三島由紀夫と学生たちの討論集会が、「三島由紀夫vs東大全共闘  50年目の真実」と題して昨年映画になりましたが、著者はあの討論会で中心的に発言していた人物。

 

ちなみに、その映画では芥正彦が何やら中心化され、「全共闘屈指の理論家」などと紹介されていますが、とんでもないデマ。

当時の東大全共闘の中心は運動的にも、イデオロギー的にも山本義隆などの本郷の学生達で、芥正彦などは周辺部分の位置付け、というより後に自殺した学生により当の討論会で「観念のお遊びをしているお前みたいな奴は全共闘を名乗るな」と真っ当にも批判、糾弾されていました。

 

その討論会で私から見て一番輝いていたのがこの小阪修平。

 

黒のタートルネックで長髪を振り乱しながら、三島由紀夫を前に“天皇制”やら“古事記論”やらを滔々と論じていたのがこの男。

自分と同世代の19,20歳でここまで思想を語る男がいるのかと感嘆した記憶があります。

しかし所詮は口達者な早熟男だったのか、本書を読んでの印象はあの時のキラキラした輝きとの落差が大きくがっかりでした。

 

「ぼくは、ぼくは・・・」と頼りない一人称で自分史を語っているわけですが、読み手にとってはくどくどとしたそんな語りは何やらうざいばかり。

 

本書の出版が2006年で翌年2007年に本人は亡くなっているので、いわば本書での語りが本人の思想の最終的到達点、そう思うと今ひとつ物足りない内容です。

 

そんな物足りない思想的総括が綴られた本書でただ一点、「全共闘運動とは『生をめぐる観念の闘争だった』」と定義している一点だけには激しく共感。

 

たしかに当時はベトナム反戦とかの政治的課題や学内自治の問題とか、表向きは様々な具体的課題が問われていましたが、その内実はまさに「生をめぐる」根源的な問いの提起。

 

そんな運動に関わった著者はまさに“時代につかまれ”、それ以降の人生が決定されてしまったという。

まあこの辺りは同世代として心情的によく分かるし、個人的にも「生をめぐる観念の闘争」の中で方向を見失い、人生彷徨の日々となった私。

 

気がつけば現在の老境へとたどり着き、まだまだこの“生をめぐる観念の闘争”からは逃れられないまま生の終焉を迎えることになるのでしょう。