「世界にはきみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない、ひたすら進め。」(ニーチェ)

 

 

 

 

「僕はあと何回、満月を見るだろう」(坂本龍一著、新潮社)

 

図書館で借り出して読んでみました。

雑誌「新潮」2022年7月号~2023年2月号連載のエッセイ。

思いのほか予約件数が多く10人以上の予約待ち、この人気が曲者でした。

 

数ヶ月待って借り出し、たった1日で読了、というより半ば読まずに巻をを閉じました。

 

坂本龍一は昨年3月直腸ガンで死亡。

私も昨年末前立腺ガンと直腸ガンが見つかり、直腸癌はステージ3で入院、手術で現在は再発予防で抗がん剤服用中。

 

前立腺ガンはステージ4で手術不可ということで、ホルモン治療中。

経過は、現在のところまずまず悪くはなく、ここは一つ抗がん治療の先達たる坂本龍一の闘病記を読んで何か参考になればということで手に取りました。

 

しかし本書の内容を誤解してましたね。

 

ガン治療に関する部分は主に最初と最後の数10ページほど、後の大半は自分史というか自伝というか、そんな個人の生活記録でした。

 

図書館の予約数の多さから感じられるような坂本龍一ファンにとっては興味深いのでしょうが、私のように坂本龍一になんの興味もない人間にとっては、自慢めいた自分史など読む気にもならずすっ飛ばし、結果として1日で用済みとなりました。

 

自分史といっても、日経新聞の「私の履歴書」のような抑制のきいた人生の振り返りなら参考になりますが。

 

本書を読むと、自分が有名人であることがよほど嬉しいのか、旅する芸術家などと気取って世界のあちこちに仕事で出かけているのを“旅”と称してますがどうなんですかね。

 

ただただ資本の作り出す波をサーフィンしながらビジネスしてるだけと思いますが。

 

図書館の予約数の多さからも推察出来るように、タレント的な坂本龍一には熱心なファンがいて、資本は単に金になるからということで坂本龍一を利用し、やれ吉永小百合とコラボしたとか、そんな有名人のネットワークの中を自慢げに泳ぎ回っている記録を読まされても読み手の当方は鼻白むばかりです。

 

そして目当てだった闘病の部分も不快感に襲われました。

 

私など入院中の食事は美味しくて、残さず全ていただき、バランス考えたその食事に病院スタッフの気配りと熱意の結晶を感じ、感謝の念でいっぱいでした。

 

ところが本書で坂本龍一は、病院の食事はこの上なく不味かったと言い、とにかく不味すぎて食べられなかったのでわがまま言って鰻やカツ丼の差し入れを受けてたそうですが、なんとも鼻持ちならない野郎です。

 

そしてニューヨークでも東京でも、恐らくは“有名人”という立場を利用して、一般庶民ではかかれそうにない医療機関で診察を受けながら、その医者の態度が悪いと毒づいています。

 

まあ元々坂本龍一には好印象を持ってなかっただけに、偏見に満ちた読後感になってしまったかもしれません。

 

私らの世代から見れば坂本龍一は“遅れて来た青年”であり、シラケ世代の人間。

それなのに、自分は「学生運動世代だ」などと本書でも得意げに(そう聞こえる)語る、その意識が私はたまらなくいやなのです。

 

60年代末のあのシュトルム・ウント・ドラングの時代、更に連合赤軍の事件に象徴されるそんな時代の終焉、そして70年代に出現した“荒野”。

そんな“荒野”を自ら作り出し、その只中で生き抜いたかのような背伸びした意識、そんな意識に抵抗感じるんです。 

 

まああれこれ悪態をついた感想記になりましたが、YMOの「君に胸キュン」などは好きで、今でもユーチューブで時には見ることあるんですが。