昨晩は久しぶりに映画見てきました。
新宿、テアトル新宿で上映中の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(監督若松孝二)。
宣伝コピーにもあるように若松孝二渾身の力作、と言えるし、連合赤軍兵士を演じている若手役者陣がまたいい。
「前段階武装蜂起」といった晦渋な新左翼用語を語っても、そこに違和感を感じさせないというのも大したものだ。

しかし、3時間超のこの力作、見終わっての印象はアリストテレス的なカタルシスとは程遠く、自分の人生、過去へと思いは連なり、一抹の後味の悪さを抱え込みながら帰途新宿駅へと向かいました。

しかし、この後味の悪さとは、即ち連合赤軍事件そのものに孕まれる後味の悪さであり、それは同時に彼らの、そして私の精神を形作った戦後の時代精神、更にそれを継承している現代という時代の後味の悪さではないのか。

とまれ彼ら連合赤軍兵士達は、その出発点の志の高さと実践力において、我ら団塊の世代の最良の部分。
この映画が描いているのは、そんな彼らが落ち込んだ地獄の世界。
まさに「地獄への道は善意で敷きつめられている」(ダンテ「神曲」)です。

現代からみれば愚行とも見える世界ですが、当時は革命幻想が世を覆い、戦後空間を打ち破るために若者が命を賭けていた時代。
そんな時代の貴重な精神の記録をよく伝えてくれているこの映画、若い世代に見てもらいたいですね。

更に映像から受けた印象として、
(α)
とにかく画面が暗いですね。
精神的な意味でなく、文字通り全編基調は光を消した薄暗がりの世界。

山岳ベースの夜の世界だから当たり前と言えば当たり前ですが、バーも喫茶店もすべてほの暗い。
そう、あの時代を覆っていたのはあの暗さ、光と影の交錯する世界でした。
そのほの暗さを、この映画的世界は象徴的に描いている。

あの光と影の世界から影を追放し、しらける程明るく光が覆いだしたのが、この連赤事件後の世界であり、その延長線上の現代。街を歩いていてもイルミネーションだとか、過剰なまでの明るさの押し付け、横溢を感じます。
しかし影=暗さを失った世界は怖い。
シャミッソーの『影をなくした男』や村上春樹の「世界の終わり・・・」を想起するし、そこはまた別の意味での地獄。現代はそんな地獄的世界に入りつつあるのか、とも思います。
(β)
上述の点とも関連しますが、連合赤軍的世界を圧殺した上で現代の日本社会が成り立っている、ということですね。

連合赤軍事件に象徴される新左翼運動の崩壊の上に現代資本主義のシステムが形成され、現代の痴呆的状況が、格差社会の進展が、社会的モラルの崩壊が起きている、ということ。
そんな、時代の屈折点を<実録>という形で映像化しているこの映画、戦後史を考える上でも実に価値ある作品です。