どうもある人と会いたくなくなった場合
嫌なところが目に付く
嫌なところが許容出来なくなる
ということになるんだろう
実際、完全な人間は一人もいないだろうと思っているので
許せないことや、何か違うと思うことは
容易く見つけられるだろう
常識や空気を読むなどということは
それを考える側の主観に過ぎないと思う
だとすれば
一見、常識的に落ち着いて諭してる側も
実は自分の思いどおりにならないことを
大声を出す、怒りつけるという感情的と思われる手段を使わなくても
要はその人のことを許容できない
許せない
だから説得らしきことをする
この説得は、説明して納得させるという意味だと思うのだが
実際、納得させるのは難しく時間のかかるものなので
脅迫することで自分の思うとおりにしようとする
それが
常識だったり、空気を読めないとして
そういう嫌なことを強調して
合わない人をはじき出し、安心するのではないかと思う
常識とか当たり前とか、ある程度の科学的根拠だったり、教科書にかかれていることだったら
なんとなく納得は出来るかもしれないが
井戸端会議というか少人数の集団の中で
みんなもそう思うよね、的な常識が多いように思うので
うまく嘘をつかないとやってけない
だからストレスがたまるのだが
これってどうしようもないことかとも思う
だから趣味や仕事に打ち込むことがストレス発散になるのだけれど
人間関係からは逃れられないので
どちらでもストレス発散とストレスの蓄積をやっていて
バランスがとれているのではないかと思う
ただ文句ばかり書いたのですが
趣味と仕事や、家族との時間や恋人とのお付き合いとかは
全て別物であって、その空間というか世界の中で
ただあっちこっちストレスが移動しているだけだとしたら
仕事で受けたストレスはどこかで解消されないまでも
移動することで変化して
気にならなくなるのでは、と考えます
一つの世界でストレス抱えても
人はたくさんの世界を持つことで
ストレスを変化させて、どこかでそれが行動を起こすエネルギーとなって
極端にいえば勉強できないけどスポーツなら任せろ、というような
自分というものをある程度理解しながら、自信をもった生活が送れると思う
誰が嫌、何ができないという思いはあってしょうがないとは思うけれど
誰が好き、これがやりたいということも同時にあると思うので
今の世界というか一つの世界に固執しないで
たくさんの世界、たくさんの人に関わることが
いいことなのかと思えます
