『手放す』より『超える』 | コズミック愛ランド♡Infinite universe☆

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在る人にとってはファンタジーでも、在る人にとっては真実かもね♪
私にとっての真実のストーリー(*ˆ﹀ˆ*)。.:*♡
『無条件の愛』を表現していきます♡

  なんか気になる〜!とか、なんか感じる〜!とか
共振共鳴が在ると嬉しいな~(*^^*)♡




自我を
『手放す』というより『超える』



自我があるから
体験そのものや伴う感情を味わえる。


その為のツールとして
喋る、書く、描く、歌う、踊る、他たくさん
であり

言語、音、リズム、肉体、物、他たくさん
ある。



闇を手放す。とか
重たいエネルギーを手放す。とか

色々手放していき自我も手放す。



手放して無くなるイメージ。


そこじゃない。


逆!


この『手放す』がトラップになる。




闇も重たいエネルギーも在っていい。
手放したいもの、それも在っていい。



闇を受け容れる。
重たいエネルギーを受け容れる。
色んな全てを受け容れる。


矛盾も含めて受け容れる。


全てを受け容れない。も、受け容れる。




自我の枠(受け容れられる境界線)を
超えて超えて拡大していくと

自我と真我が一体化して
自我の枠が無くなったように感じる。



まだ無くならない。


無くなるのは

真我と一体化した枠を
超えて超えて拡大して神我を感じる。



それでもまだ
真我と一体化した自我の枠はある。




そして

自我も真我も神我も手放したとき
自我も真我も神我も無くなったとき

全ての枠が無くなる。




自我も真我も神我も無くなったときが


空kuなのか
根源なのか
大いなる宇宙なのか
創造主なのか
sourceなのか


言葉は何なのか分からないけれど



真我も神我も無くなり
自我も無くなる。



ascension、統合の完了。

真空へ還るのかもしれない。




無条件の愛とは


自我と真我の枠が重なり
神我を感じているエネルギーそのもの
かもしれない。


私は
無条件の愛のエネルギーを感じている。



これら
視座が自我に在るときの話。


そもそも
一人一人が無条件の愛のエネルギーそのもの。