以前、私のブログで紹介した方のブログがあります。

全盲の松永信也 見えない世界を伝える心を込めたメッセージ

というブログです。

私は以前ブログに書いたのですが、大学生のとき同級生に全盲の友達が居たことと、現在私の連れ合いが主宰する柔道クラブに2人の視覚障害者の若者がいることから、どうすれば視覚障害者の彼らの気持ちを少しでも理解出来るのかという問題意識を日々感じながら過ごしています。


そこで視覚障害を抱えた方やそのご家族のブログを読ませていただいているのですが、中でもこの松永さんのブログは、特に文章の美しさに胸をうたれ、思わず涙してしまった内容も多く、私のブログで紹介したという次第です。👇

親切なボランティアの方を介して松永さんご本人とメールをやり取りすることも出来るようになりました。松永さんにはご著書もあります。

今回、松永さんがご自身のブログで、私とのメールのやり取りの不思議さについて書いてくださったので、ここにリブログさせていただきました。

是非、多くの方に読んでいただきたいです。





(以下、ブログタイトル「地球儀」より抜粋)

最近知り合った人はチリという国に住んでいる。
チリがどの辺りなのかあまり分からない。
情けない。
季節は日本と逆らしくもうすぐ秋が終わって冬を迎えるらしい。
時間も日本が朝を迎える時に夜が始まるらしい。
分かるような気にはなるがやっぱり不思議だ。
それでも僕達の言葉はメールを使って一瞬にお互いに届く。

(略)

彼女のメールには雲一つない空の様子が描かれていた。
澄み切った空気の中で空は真っ青らしい。
僕の心は少年時代のように空を飛んだ。
思い描く空想の時間は豊かに流れた。
もし目が見えたら、スマホのカメラが映し出した空を眺めるのかもしれない。
でも、それはいくら画素数が高い画像だとしても本物のそらじゃない。
そして空の大きさはスマホの画面では何百万分の1も映し出されない。
と考えると見えない僕の空想の方がひょっとしたら真実に近いかもしれない。
そんなことまでも空想しながら僕はふと笑顔になる。
負け惜しみって言われるかもしれないけれど。


(抜粋終わり)




見えない僕の空想の方がひょっとしたら真実に近いかもしれない。

私はこの言葉に引きつけられました。

見えない松永さんの空想のほうが、私の伝えたい青空に近い、きっとそうだろうと思って私も笑顔がこぼれました。




松永さんは見える人、見えない人、見えにくい人が共に暮らせる社会」という目的を持って執筆や講演活動をされています。

この共に暮らせる社会、というのは、社会の中でその人その人違う状況があり、千差万別の違いを乗り越えてもなお共に生きていくには、空想できる力があるかどうかは実際の障害の有無以上に大きなことなのかもしれないと思いました。

相手の痛みが理解出来ない
自分が正しいと信じて疑わない
自分も他人も含め人間の可能性を信じられない

そういう態度は見えているとか見えていないという実際の肉体的な障害以上に、想像力の欠如として、きっと青空は、もう見えないのでしょう。




目は開いて見えているのに青空を感じられなくなってしまった人と、松永さんのように空想の力で、抜けるような青空を心の目で見られる人。




生きていれば日々辛いこともあり、目の前に黒い雲が重く垂れ込める日もありますが、空想の力で美しい青空を心に思い描いていたいものです。

毎日青空の下で、もう10ヶ月もまとまった雨のない空を恨めしく見上げつつも、私はこの青空が大好きでもある、という悩ましい毎日です。