TaiwanPlus 電影 戀戀風塵 / 1986年 | 做自己 Be Myself

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こんにちは~キラキラキラキラ

Taiwan Plusは映画やドラマを無料で開放してくれているのでずっとチェックしていて、2022年はかなりお世話になりましたが、2023年はめぼしいものがなく、遠ざかっていたのですが…

ここに来て見たい映画&ドラマが!!!!

ということで、まずはあまりにも有名な映画「戀戀風塵」を見ました。まさか、見られるとは思っていなかったです!!!!

 

丸レッド戀戀風塵 ウィキ

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注意感想ですが、ネタバレもありますのでイヤな人は読まないでくださいお願いまた、1970年~1980年代当時の台湾について、間違いがあれば教えてくださいお願い注意

 

この映画は1987年公開の映画ですが、描かれているのは1970年代なんですよね…

その当時の 台湾 の状況がわかっていないと見ていても❓❓❓なので、最初にいろいろ調べてから見ましたが、それでも難しかったです。

 

この映画は2021年のドラマ「歩道橋の魔術師(日本で見られてから公開しようと思っていたドラマですが、まったく公開される気配がないので全部アメンバー記事です)」の中で一部使われていて、その時からすごく気になっていました。このドラマでは1980年当時が描かれていて当時 台北 にあった大きなマーケットである 中華商場 がドラマの舞台だったのですが、この映画の中でも 中華商場 が出てきます。ドラマを見ている当時は、この映画のどの部分が使われているのかさっぱりわからなかったのですが、ここでようやくわかりました。ドラマでいちばんクライマックスの部分で使われている部分はここだったのか…というのもわかりました…。ドラマでの 中華商場 は、セットでしたが、映画では現役です。すごいな~と思いました。

 

ここからは映画の感想です。

 

ダイヤオレンジ字幕は中文・英語、でも実際話されているのは 台語

 

TaiwanPlusでは、普通字幕は英語だけなのですが、この映画では音声が 中文 でないので、中文字幕もついています。

なぜかというと、この映画で話されているのは 台語 …

ということで、この映画に描かれているのは 日本統治時代以前 から、ずっと台湾に住んでいる 台語 を話す台湾人で…

(当時、戦後大陸から渡ってきた人々でなく、以前からの 台湾人 について映画にされることはすごく珍しかったそうです。今もですが、台湾映画やドラマを見るときは必ずと言っていいほど、主人公がどういう出自なのかを図り知ることは、その人物のアイデンティティを強く投影していて大事かと思います。)

主人公 ワン の家は 十分 なのですが、田舎の炭鉱町で、総じてとても貧しくて…

 ワン のお父さんのセリフに「前は あいうえお(日本語) 今は ボポモフォ(中文)で、読み書きなど無理だ…」みたいなのがあったのがとっても印象的でした。どちらもできない ワン のお父さんにとって、当時の台湾では、貧困から脱することがいかに難しいか…という背景をセリフ1つで言い表していて、すごいなと思いました。要するに 日本 が統治者でも 大陸からの中華民国 が統治者でも ワン一家 の貧しさに変わりはないということで…ただただ、歴史に翻弄されているんですよね。

 

わたしも全部理解できているわけでないのですが、まず、多言語多文化の台湾で 台語 を話す 台湾人 を描いた映画である…という視点で見ないとこの映画はさっぱりわかりにくいなと思いました。

 

ダイヤオレンジ1970年代当時の 台湾人 

 

貧しい生活から脱出するなら、 ワン のお父さんの時代には 日本語 が、 ワン の時代には 中文 が必要なんですが、そのどちらも 台語 が母語の 十分 の住民にはハードルが高く、負の連鎖となっていて…

 

 家父長制 の色濃い 十分 で、 ワン に対する期待は 父親 もだけど、 ワン にとって血のつながらない おじいちゃん から 跡継ぎ として指名されていることがありそのおじいちゃんからの期待もかなり大きくて…

その 期待 に応えないといけない…

 

お父さんは ワン に、上の学校に行くことも提案するんですよね…

でも、 ワン は、すでに自分では 貧困から脱する という期待には沿えそうにない…ということはわかっていて…

で、 台北 に出たら、ますますそれが リアル になり、 実感 として、以前よりずっと具体的に ムリだ… とわかってくるんですよね…

それでも、期待に沿いたくて、最初の仕事を辞めてしまい、もっと実入りのよさそうな配送の仕事に鞍替えするのだけど、もちろん運転免許はないんですよ…

 

それでも、 ワン の幼馴染で 1年後 に台北に出てくる ホン にはいい顔をしたい…

 

でも、 ホン は、能力もあり察しもいい子なので、最初こそ不安なものの、 台北 での生活がどんなものなのか、 ホン の立場がどんなものなのか、わかってくるんですよね…

 

 ホン にとって ワン は大切な幼馴染だけど、生き方があまりに不器用だし、今の仕事は辞めてしまった印刷工と違って積み上げのあるものでないこともわかっている…

 

台北に出てからの友だちも一獲千金を狙って、指を切断してしまったら、それで終わりで…

 

そんな ワン に比べて、 ホン はみるみる洋裁の腕を上げていく、いつか独り立ちできる 職人 としての腕をあげていく、生き方が実直で、地に足がついているんですよ…

一緒にいても明らかに二人の間の距離が開いていく…

そこに… ワン は兵役に行くことになります…

 

別れの朝…

 ホン は別れがつらくて、最後まで見送ることができずに立ち去ってしまいます…

でも、この時の ホン の気持ちと ワン の気持ちは実は違っていたのではないか❓と思うのです。

 ホン は、幼馴染の ワン への気持ちが 友達 なのか❓ カレシ なのか❓まだ定まらず…

 ワン は、許嫁だとの気持ち…

 

ではなかったのかな…と…

でも、わたしもそう思ったのは結末を見てからなんですよね…

ここは、二人の気持ちがまるで同じであるかのように描かれていて、それが上手い。

そこが、この映画のいちばんの見どころであり、素晴らしいところだな…と思います。

 

映画を見た後で、実はすでに 別れの場面 で、二人の気持ちはすれ違っていたのでは…❓

後になってそう思うようになりました。

 

ダイヤオレンジ1970年代当時の 金門島 からの 兵變 

 

1970年代はまだまだ 大陸奪還 にリアルに 兵役 が付きまとっていた時代…

 

何と、 ワン は、兵役で前線である 金門島 に行くことに…

 

何度も言いますが ワン にとって、 中華民国 との、直接的な関りはない。

あったとしても、自分の知らない何代も前のことで…

だから、 ワン にとって、大陸への思い入れは希薄だとしか思えないんです。

なのに 大陸から迷って入り込んできた漁船に乗っていた貧しい家族 に お父さんから兵役直前にもらった大事なライターをあげてしまうんですよね…みんな自分の大事なものをあげているからと…

(ここでは、戦略上 大陸からの難破船は優遇される のだと思います)

 ワン は ホン に手紙を書きます。手放したあとでその大切さに気づくと…

 

そして、 ホン の大切さも ホン からの手紙が途絶えて、気づくことになります…

 

このような状況を 兵變 と言うんだよ~と教えてもらったことがありますが、 ホン の気持ちは 兵變 だったのでしょうか❓

もしかして、 台北 という都会に出て、「うっすら」気づいていたけれど、今回 ワン から離れてみて、「しっかり」 ワン との将来は無理だとわかった。

そんな気がします。

女は 女の子 であっても、「結婚」となると現実的になりますよね。

そうなのかな~と思いました。

 

 ワン は、最初に地道に努力する仕事を放棄してしまった時点で、どうだったんだろう…と思います。

その時点で ホン は あ~ と内心思っていたのではないでしょうか❓

わたしは、そこに負の連鎖を見てしまった気がしました。

 

ダイヤオレンジ出演者のみなさんの 今 

 

 ワン のお母さん役 梅芳さん は映画「トロッコ」で拝見しました。

 ホン のお母さん役 陳淑芳さん は映画「弱くて強い女たち」「親愛なる君へ」など今も現役ですよね!!!!

 

 ワン 役の人は、すでにお亡くなりになられているようで、若いのに残念です。

 ホン 役の 辛樹芬さん は、めちゃくちゃ可愛くて、この後もいろいろ出演されていたようで、いちばん有名ともいえる「悲情城市」を見たいな~と思いました。

 

ですが、今いちばん台湾ドラマで見るのは ホン の台北での同僚役を演じていた 楊麗音さん !!!!

最近では「俗女養成記」のおばあちゃん役が有名ですが、当時の 楊麗音さん は、常盤貴子さんっぽかったです。2004年のドラマ「孽子」でもすごく若かったですが、この映画では24歳!!!!

本当に時間が経ったのだな~と思います。

 

1987年だと、日本はバブルですでに大都会は今よりずっと賑やかでしたが、1987年の 台北駅 は、まだまだ田舎の駅のようで、今の台北駅とはあまりにも違っていました。

 十分 の景色や家の様子となるとなおさらです。

一体 台湾 は1990年から一気に発展したのだな~と改めて思いました。

 

いつまで見られるかわかりませんが、興味のある方はぜひご覧くださいね。