あじさいの花 | 前略、宇宙(そら)より

前略、宇宙(そら)より

はじめまして!都内在住、飛騨高山出身です。公認会計士・税理士をしております。
別名
チュートロバジーナ
シェアアズナブル
エドガワマス

 君ちゃん。もう私のことを忘れてしまったでしょうね。

 私は今年の春、中学校を定年退職したのです。あれから長い年月が過ぎ去りました。私もやっと自分の世界を取り戻した安らかな気持ちになりました。そんな私の心に、あなたの真心の贈り物が、ひときわ美しい輝きをもってよみがえるのです。

 初めて教員となった私の初めての生徒だった君ちゃん、黒目の大きな目でじっと見つめ、私をとても慕ってくれました。私の下宿に泊まり込みでがんばったテスト期間。それもたった一年だけで、三年生だったあなたは、翌年四月、東京の看護学校へ進学していきました。 

 その年の六月。糸のような細かい梅雨が降り続き、だれもがうっとおしい気持ちになっていた月曜日の朝。

 そのころ、私の勤務先は宮城県の西北、栗駒山の吹き下ろしの厳しい細倉中学校で、月曜日は仙台の家から汽車と栗原鉄道を乗り継いで細倉駅で下車、さらに細倉鉱山の町のはずれの山の上の中学校に坂道を十五分ばかり登って、合計二時間余かけてたどり着くのが常でした。

 その朝は、いつもより早めに職員室に着いたのです。その私の目にとびこんできたのは、鮮やかな紫の大輪のあじさいの花でした。

 私の机の中央にしっかりとおいてある新聞紙に包まれた大輪のアジサイの花が、量感豊かに、しっとりと美しく輝いていました。

「なんと美しいあじさいの花。いったい誰が」私はだれがこんなにも見事な大輪のあじさいの花を三輪も、黙って置いていってくれたことを感謝しながら、花びんを探し、湯沸かし室のガスでアジサイの茎の切り口を焼き、「長持ちしてね」と話しかけながら花びんに生けて、私の机の中央に飾りました。この日はめずらしく梅雨の晴れ間の太陽が輝いていて机上のあじさいは朝陽を受けて、一層美しく、輝いて見えました。私はしばらく見入っていたほどです。私は誇らしくうきうきしていましたが、「だれからの贈りもの」と聞かれた時、「一体。だれからなのかしら、こんな豪華なあじさいの花を、きっと丹精こめて咲かせたろうに」と思ったもののやはり思いあたらず困惑しながらも、私はひまさえあればあじさいの花を眺めました。

 やがて一週間が過ぎた月曜日。しっとりと梅雨に濡れた大輪の見事なあじさいの花が私の机の中央に置かれているではありませんか。梅雨にぬれたあじさいの花は、優雅に輝いているのです。「あなたは、だれですか。黙って置いていかないで。私の前に顔を見せてくださいよ。私は花が大好き。特にあじさいの花は」と心の中で叫びましたが、この週も贈り主の判らないままに、あじさいの美しさに魅せられて過ごしました。

 三週め、四週めとあじさいの花の贈りものは続き、あじさいの花はますます美しさを増し、今が盛りをばかりに咲きほこっていました。花のつくりや、紫色の微妙な違いなど、自然の造形の見事さに感動し、あじさいの花の美しさを満喫し、あじさいの花に魅せられていき、私の心は豊かになり、優しさであふれていきました。

 送り主に対して「一体、だれなの」と思いがつのり、いらだちさえ覚えるようになったあじさいの花の季節も終わりに近づいたある日、私の下宿に少女好みの一通の手紙が届きました。東京の看護学校へ進学した君ちゃんからです。

 手紙には次のように書いてありました。

「先生。お元気でしょうか。お会いしたいです。看護学校は覚えなければならないことがたくさんあり、大変です。でも、やりぬいてみせます。それから、

 先生。あじさいの花、見てくれましたか。先生は、紫色のあじさいの花が大好きでしたね。中二の弟に届けさせましたが…」

 私は胸があつくなり、涙が流れました。私のために、東京の空の下で、十六歳になったばかりの少女が、勉学に励みながら、東京の波にゆれながら、自分の教師を思う心を弟に託して、あじさいの花の季節の間中、私の机に、美しい紫色の大輪のあじさいの花を飾り続けてくれたのです。

 教師を思う姉の愛の心を託された弟は、しっかり姉の心を受け止めて、ひそかに教師の机に美しく最高のあじさいの花を飾り続けてくれたのです。

 姉の愛の心と、弟の強くたくましい行為とが織りなした真心の連携プレーと、美しい、紫色の大輪の見事なあじさいの花は、年を経るごとに美しい輝きを増して、私の心の中できらめくのです。

(隈元経子・非常勤講師・埼玉県)